第67話 好きだよ、兄貴のこと

 「――好きだよ。兄貴のこと、一人の男として」


一糸纏わぬ姿で俺に覆い被さる火乃香ほのかは、目を細めて唇を寄せた。


 この状況、以前と似ているけれどまったく違う。なぜなら今の火乃香は、俺に対して純粋な好意を持っているのだから。


 確かに俺達は兄妹だ。けど血は繋がっていない。どころか、つい最近まで赤の他人だった。年齢さえクリアすれば結婚も問題無い。そういう事例も現実にある。

 本当はこのまま彼女の身も心も受け留めたい。現に火乃香と暮らし始めてからというもの、俺の中のリビドーは常に爆発しそうだった。

 なにより火乃香は可愛い。一回り年齢の違う俺が見れも十分に魅力的だ。擁護するつもりは無いけれど、カフェの店長が火乃香に手を出そうとした気持ちも分からないではない。このまま腕を伸ばせば、きっと至福と悦楽の海に溺れられるだろう。


「……いや、ダメだ」


だけど俺は火乃香を身体を優しく押し退け、ゆっくりと寝床から体を起こした。


 「兄貴?」


不安気な様子の火乃香に何も答えず、俺は布団代わりに使っている毛布を彼女の背中に掛けた。その意味を理解したのか、火乃香は微苦笑を浮かべて顔をふさぐ。


 「……やっぱり、わたしみたいな子供じゃ、魅力なんて無いよね」

「そうじゃない。火乃香は魅力的だ。同年代の女の子の中でも飛び抜けて可愛い」

「ならどうして。私のこと嫌いなの?」

「そんなわけないだろ」

「じゃあなんで」

「それは……」


俺は声を詰まらせた。断る理由が分からない、などということもない。ただそれを口にするのが、残酷なに思われた。

 そんな俺の無言の訴えを察したか、火乃香は「ふっ……」と小さな息を吐いた。


 「ゴメン、本当は分かってる。わたし達一応兄妹だもんね。保護者の兄貴が未成年のわたしと関係を持ったら、ダメなんだもんね」


ピシャリと言い当てられた。けれど俺は、是とも否とも返さない。代わりに彼女の肩に手をかけ、純な瞳を真っすぐに見つめる。


「お前のことは好きだ。浮ついた言葉に聞こえるかもしれないけど本当に愛してる。お前の気持ちも嬉しいし、出来ればお前の全部を受け止めてやりたい。その気持ちに嘘は無い。だけど――」

「分かってる!」


並べ立てた俺の言葉を遮るように、火乃香は俯いたまま悲しげな声を返した。


 「分かってるから、その先は言わないで」

「火乃香……」

「でも正直、納得はできない。兄貴のことを好きなのは本当なのに。この気持ちに嘘なんか無いのに。なんで未成年だからダメなの? なんで兄貴がアンタなの?!」


顔を赤らめ激昂すると同時、火乃香の目から大粒の涙が零れ落ちた。ホロリほろりと数を増して、細い身体が小刻みに震え出す。

 華奢な肩に両手を回して、俺はそっと火乃香を抱きしめた。肌理きめ細やかな肌が指先に触れて、少しでも気を抜けば理性を失いそうになる。ギリリと奥歯を噛み締めて、俺は目一杯の想いを込めて火乃香の髪を撫でた。


「もし別の出会い方をしてたら、きっと俺はお前の想いを受け入れてた。だけど現実に俺はお前の義兄にいちゃんで、お前の親代わりなんだ。その現在いまが無かったら、俺はお前と会うことも出来なかった。俺はお前と出会えたことが、何よりも嬉しい」


俺の肩に顔を乗せる火乃香から、グスグスと涙鼻を啜る音が聞こえる。嗚咽の声が増すたいに、彼女を一層と強く抱きしめた。


「だけどもしも俺がお前と関係を持てば、その瞬間に保護者としての権利を失うかもしれない。それは絶対に出来ない」

「そう……だね」


だらりと落ちていた火乃香の手が、俺の背中に回される。まるで一つになるみたく、俺達は互いの熱を感じあった。


 どれくらいの時間が経っただろう。触れ合う身体の熱が涙の雨を乾かして、嗚咽の声も止んだ。薄いような深いような、藍色の闇に紛れる俺たちは一つの毛布に包まり肩を寄せ合う。


 「……ねぇ、兄貴」

「なんだ、火乃香」

「ひとつ、聞いてもいい」

「ああ」

「わたしが大人になったら、結婚してくれる?」

「……約束は、出来ない」

「どうして」

「お前が大人になるまで、少なくともあと三年以上はある。その間に好きな男の一人や二人できるだろう」

「ないよ。兄貴以外の男なんて、考えられない」

「未来なんて分からんよ」


「ふふ」と鼻で笑ってみせれば、火乃香は握り合う俺の腕に爪を立てた。細腕にも関わらず、先が肌に食い込んで少し痛い。


 「もうひとつ、聞いていい?」

「いいぞ」

「好きなヒト、いるの?」

「……どうだろうな」

「兄貴の薬局みせにいた人?」


言われて俺は口籠った。すると今度は火乃香の方が「ふん」と小さく鼻を鳴らす。


 「だと思った」

「……ごめん」

「謝らないで」

「……ごめん」


同じ言葉を重ねる俺の横顔に、火乃香はげんなりと深い息を吐いた。

 罵倒よりも胸を締め付ける溜め息に、俺は思わず顔を伏せた。そんな俺の腕を、火乃香は尚も指先で突いてくる。


「なんだよ。だからゴメン――」


瞬間。俺の声を塞ぐよう、火乃香が唇を重ねた。

 柔らかく温かく、そして甘く切ない感触と吐息。それらが俺の意識を絡めとる。

 刹那のような永遠のような、ふわふわとした感覚が俺の中へと流れ込んでくる。


 「今日は、これで勘弁してあげる」


恥じらうような微笑を浮かべ、火乃香は裸に毛布をくるめながら一人ベッドに向かった。


 「おやすみなさい」


パジャマを羽織ることさえせず、火乃香は裸のままベッドへ横たわった。そんな義妹とは打って変わって、俺は蕩けた面と頭で一夜を明かすした。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】------

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成婚相手の連れ子同士で結婚した事例は本当にあるらしいわ。でも年頃の男女が一つ屋根の下に暮らしていたら、好きになるのも無理ないわよね。

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