第65話 強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ。

 「――あるよ、証拠なら」


火乃香ほのかのバイト先の店長らしき男に詰められ、絶体絶命のピンチかと思われた。けれど火乃香の放った一言が、俺に希望の光を見せてくれた。

 

「証拠って、どこに?」

「ここ」


そう言って火乃香は携帯電話を取り出した。ここのバイトを始める前、俺と契約しに行った物だ。


 「ずっと録音してたから。それにあの防犯カメラも偽物だし。この前ココの先輩が『この前取り付けさせられた』って愚痴ってた」


横目で天井のカメラを睨む火乃香に、俺も釣られて視線を上げる。さっき俺が感じた違和感はイミテーションだったせいか。

 あれがハリボテなのは恐らく間違いない。それが証拠に、店長の男は焦りを浮かべ視線を逸らした。大方、自分の店の従業員に不信感を抱き設置したのだろう。つくづく可哀そうな男だ。

 

「まあ、とにかくココでどれだけお前をボコしても証拠は残らないってわけだ」


パキパキと指の骨を鳴らしながら男に近付き、高く拳を振り上げる。鮮血にじわりと染まる右手に勢いを付けて放った。

 

「わああああっ! ごめんなさいごめんなさい! 謝りますから殴らないで!」


ピタリ、慌てふためく男の鼻先で止めた。

 男は恐る恐ると目を開けて、殴られていないことに胸を撫で下ろす。でも一番安堵していたのは他ならぬ俺だ。どんな理由があろうと人を殴るのはダメだからな。

 俺はゆっくりと拳を引いて、へたり込む男の前にヤンキー座りでめつける。


「履歴書」

「ふぇ?」

「火乃香の履歴書、返せ」

「そ、それは……」

「さっさとしろ!」


ドゴンッ! 男がもたれ掛かっているキャビネットを殴りつけた。拳から染み出る血が、凹んだ金属板に薄っすらとこびり付く。

 男は慌ただしく立ち上がると、まったく整頓されていないデスクに向かった。それにしても、履歴書のような重要物をすぐに取り出せないだなんて。

 呆れながら男の背中を見守っていると、数分して漸く書類と引っ張り出してきた。なんという杜撰ずさんな管理者だ。


「火乃香、雇用契約書は?」

「なにそれ」

「ここに就業する時、契約書を交わしただろ?」

「ううん、なにも」


キョトンとした様子で火乃香は首を振った。まさか雇用契約書も無いとは……。

 溜め息混じりに男を見遣れば、目線を泳がせバツが悪そうに顔を背けて、うわ言のように「ごめんなさい」とボソボソ繰り返している。なんだか、途端に馬鹿馬鹿しくなった。


「バイト代は要らん。その代わり二度と火乃香に関わるな。もし今後お前を見かけたら、その時はお前の人生を終わらせる」


ギロリと睨み釘を刺せば、男は無言のままコクコクと首を縦に振った。

 俺は踵を返し入り口の近くで立ち呆ける火乃香へ履歴書を手渡すと、横目に振り返って射殺いころすように目で刺した。


警察デコ通報しチクリたきゃチクればいい。たとえ刑務所ブタ箱に行こうと俺は俺のすべてを賭けてお前に地獄を見せる。死んだ方がマシだと思えるくらい、二度と俺の家族に手出しできないようにな」


「分かったな」というトドメの台詞を吐き捨ると、男は3度頷いて返した。

 そうして俺は火乃香と共に店を後にした。表に出るまでに先ほどの仏頂面な店員とすれ違ったが、特に何を言われるでもなく興味も無さそうだった。

 頭の中が煮え立ってハッキリとしないまま、俺は火乃香の手を引き駅まで戻った。


「あー、怖かった!」


ホームのベンチに勢いよく腰を降ろし息を吐くと、全身から汗がどっと拭き出して、いまごろ緊張に震え出した。手の甲で汗を拭うと、赤く腫れた右手が痛んだ。


 「ちょっと待ってて」


火乃香は傍にある水道でハンカチを洗い、俺の右手に巻いてくれた。ヒヤリと心地よい感触が、傷んだ拳に染みる。


「ゴメンな、火乃香」

「なんで謝るの」

「お前がツラいことに気付いてやれなくて」

「違う。わたしが兄貴の言うこと聞かずに、焦ってバイト決めたから……本当はあの店がヤバそうなのも分かってのに」


どこか申し訳なさそうに視線を伏せながら、火乃香はキュッと優しく縛ってくれた。


「ありがとう、火乃香」

「お礼を言うのはわたしの方。本当に、ありがと」

「俺は何もしてないよ。実際火乃香の録音が無かったら、俺は本当に暴行と脅迫の罪で刑務所行きだったろうから」

「そうじゃない」

「ん?」

「わたしのこと、信じてくれて」

「当たり前だろ。お前は俺の義妹なんだから」


左隣に座る火乃香の頭を撫でてやるも、彼女は顔を伏せて素っ気なく「……そう」と呟き、そっと俺の肩に頭を乗せた。


「火乃香?」

「ちょっと、疲れちゃった」


軽いようで思い義妹の重みを肩に感じながら、俺は黒い髪を撫でた。

 電車の到着を知らせるメロディが流れた。けれど火乃香は立ち上がろうとしない。

 数秒後に電車は到着するも、俺達はベンチに座ったままそれを見送った。


 微睡まどろみのような時間が、俺達を包みこんで。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽のお母様がよく「薬剤師は塀の上を歩いているようなものだ」と仰っていたわ。一つ間違えれば刑務所に行ってもおかしくないという意味ね。

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