第63話 パワハラ、ダメ、ゼッタイ
最初は家事とバイトを両立できているようだったけれど、ここ最近は俺が帰ると寝ていることが多くなった。
おまけに飲食業だから夜シフトもあって、俺より帰りが遅くなる日もある。必然と俺が食事の用意をする日も増した。
環境が変わると疲れるものだし、火乃香の希望とは違う仕事だ。色々とキツイだろうし今はそっとしておいてやろう。
そう自分に言い訳をして、俺は無意識に火乃香を避けていた。気付けば俺達の生活はすれ違い、会話の無い日々へと逆戻りしていった。
◇◇◇
――ヴーッ、ヴーッ。
薬局の業務を終えて事務所でデスクワークをしていると、突然に携帯電話が震えた。
未登録の番号だった。時刻は既に20時を回っていたので、出るのは躊躇われた。だけど仕事関係の電話という可能性もある。俺は渋々と通話ボタンを押した。
「もしもし」
『あ、
「はい、そうですけど」
『こちら【※※カフェ】の店長ですけど』
【※※カフェ】というと、たしか火乃香がバイトをしている店の名前だ。一体なんの用だろう。
「どうも、
『ええ。実はその妹さんがですね。僕に対して暴力行為を働いたんスよ』
「……は?」
一瞬、思考が停止した。火乃香が暴力行為だと? いったい何の冗談だ。
事態が飲み込めず言葉を返さないでいると、電話の向こうから『もしもし?』と苛立ち混じりの声が響いた。
「あ、すみません。えーと……一体どういうことでしょうか。状況が今ひとつ理解できなくて……」
『だーかーらー、オタクん所の妹が俺を殴ったって言ってんだよ!』
いよいよ隠そうともせず、電話口の男は乱暴に怒鳴り上げた。鼓膜が破れそうになる声に俺はビクリと肩を震わせる。
「そ、そんな……火乃香がですか?」
『当たり前だろ! とにかく今すぐ来い!』
言うが早いか、男はブツンと通話を切った。背中に大量の汗が滲んで、動悸が激しくなる。心臓が耳の奥で痛いほどに鳴り響く。
(まさか火乃香が……いや、そんなことを言ってる場合じゃない。とにかくこの店に行かないと!)
俺は目の前のノートPCで【※※カフェ】の住所を調べ、取るものも取らず事務所を飛び出した。
数十分後。俺は隣町にある【※※カフェ】の前へとやってきた。正直ここまでどうやって来たのか覚えていない。電車に揺られてている間も、頭の中は火乃香のことで一杯だった。
お世辞にも綺麗とは言いがたい外観の店へ入ると、レジの前に仏頂面の女性店員が立って居た。名前を告げると、「ああ」とだけ言われ奥へと案内された。
(それにしても……)
飲食店の割に掃除が行き届いていない。埃っぽくて煙草の臭いが充満している。ヤニで黒く汚れた壁紙は所どころに剥がれて。まるで廃屋のように薄暗い廊下を通り抜けると、『休憩室』と書かれているドアが現れた。
息を整え3度ノックしてみせれば、「あい」とドスを利かせた声が返される。
「……失礼します」
一拍分の間を開け、俺は部屋に入った。するとそこには私服姿の火乃香と、
「……兄貴」
パイプ椅子に腰掛ける火乃香が、俺を見るなりバツの悪そうな顔で呟いた。
反して男は眉間に皺を寄せ、まるで親の仇みたく俺を睨みつけてくる。震える気持ちを抑えるよう、俺は「んんっ」ひとつ咳払いした。
「夜分にお忙しい所を失礼します。恐れ入りますが今回お呼び頂いた件について、改めてご説明を頂戴しても宜しいでしょうか」
「ああ?! なに訳分けんねーこと言ってんだ! テメェまずは謝罪だろうが!」
脳内に沸き上がる不安と恐怖。平静を装う俺に対し、店長と思しき男は怒声を放つ。
荒々しい声に一瞬怯みかけるも、腹に力を込めて奥歯を噛んだ。俺は拳震わせ男を睨み返す。
「謝罪は……お話を伺ってからです」
「バカかテメェ! こっちゃあ殴られてんだよ! 兄妹そろって常識ねぇーのかテメェらよ!」
「……確かに私は常識知らずかもしれません。でも義妹が暴力を振るうとは、どうしても思えません」
「ぁんだとテメェ!」
ガタンッと椅子を揺らして勢いよく立ち上がれば、男は俺の前に立ちガンを飛ばしてきた。
今すぐにでも火乃香を連れてこの場から逃げ出したい。けどそれは火乃香がこの男に暴力を振るった事実を認めるようなもの。火乃香がそんな事をするとは思えない……するはずがない。
「火乃香。本当に店長さんを殴ったのか?」
決して語気は荒らげず冷静に、だけど否定の言葉を願いながら尋ねる。けれど――
「……殴った」
――俺の願いは、絶望と共に儚く散った。
-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------
訪れる患者様の中には言葉遣いが荒々しい方も沢山いらっしゃるわ。男性女性を問わず、罵声を浴びせる患者様も結構いらっしゃるわ。
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