第60話 学歴は所詮、金を稼ぐための一つの手段でしかないので大事なのは学歴ではなく今の在り方だと僕は思います

 「――そんで火乃香ほのかがさー、俺のことを『兄貴』って呼ぶようになってさー」

「……あっそ」


メインの診療所の休診時間中。俺は薬局の調剤室で泉希みずきに火乃香の自慢をしていた。けれど泉希は仏頂面で黙々と薬の取り分けピッキングをしている。ちなみに今アイちゃんは事務所で昼休憩中だ。


「んで、アイツの作るメシがこれまた美味くてな。朝飯も用意してくれんだよ」

「……あっそ」

「そうなんだよ。流石に『昼の弁当も作ってくれ』って頼んだら断られたけど」

「……あっそ」


短剣のように鋭くつっけんどんな返答に、俺は笑顔と共にイヤな汗を浮かべる。


「あのー、泉希さん」

「……なに」

「なんか怒ってます?」

「別に怒ってない」


そう言いながら、泉希は眉間に皺を寄せて調剤台に向かったまま黙々と作業を続けた。どうやら今日は虫の居所が悪いらしい。


 ――ウィイイィ。


と、その時。店の自動ドアが開いた。

 受付に出ると、そこに居たのは患者さんではなく火乃香だった。なぜ俺のTシャツを着ているのかは気になるが。細い身体に男物の服だからワンピースみたいなオーバーサイズ感だ。


「よお火乃香。どうした、薬でも貰いに来たのか」

「違う。買い物ついでに、これ届けに来ただけ」


火乃香は小さな手提げ鞄を俺に差し出した。見れば見覚えの無い弁当箱と水筒が中に入っている。


 「言ってたでしょ。お昼も食べたいって」

「マジかありがとう! 作るの大変だったろ!」

「別に。ずっと家に居るんだし、これくらい何でもないから。買って食べるとお金もかかるし」

「いや-、火乃香の作る飯は美味いからな。願ったり叶ったりだ」

「ん、そう」

「ところでさ、お前さんなんで俺のTシャツなんか着てるんだよ」

「いいでしょ別に。減るものじゃないし」


フイと目線を逸らしながら、火乃香はつっけんどんに答えた。まあ確かに減るものじゃないし、火乃香が着るとオシャレみたく見えるしな。


 「じゃあ、わたしはこれで」


本当に弁当を届けに来てくれただけなのだろうか。火乃香は踵を返し店を出ようとした。けれど――


 「ちょっと待って」


そんな義妹いもうとの背中を、泉希が強く呼び止めた。


 「初めまして……ではないけど、改めて自己紹介するわね。水城みずしろ泉希みずきです。貴女のお義兄さんの、一応部下になるのかしら」

「いや『一応』ってなんやねん」

「一応は一応よ。貴方のこと上司だなんて思った事なんて、ほとんど無いし」

「はっはっは。セクハラすっぞコノヤロー」


乾いた笑いと共に、俺は指先で泉希の頬をぷにっと突ついてやった。

 するとやはり虫の居所が悪いのか、思い切り両耳を引っ張られた。なんか久しぶりだな、この感じ。

 そんな俺たちを火乃香はジトリと睨みながら、小さな会釈で返す。


 「朝日向あさひな火乃香ほのかです。その節は色々とお世話になりました」

「そんな、私は何もしてないわよ。それより火乃香ちゃん、少しだけ良いかしら?」

「……はい」


いぶかしし気な目を向けながらも、火乃香は泉希に従い待合室のベンチに座った。

 俺と泉希も彼女の対面に腰を降ろす。何となく、火乃香が最初にウチを訪れた時が思い出された。


 「単刀直入に聞くわ。火乃香ちゃんは、転校するつもりなの?」


前置きもそこそこ。泉希は真剣な声と視線で火乃香に尋ねた。


「転校って、どういうことだよ泉希」

「火乃香ちゃんはA市に住んでいたんでしょ。なら高校もA市に近いはずよね。ここからA市の学校に毎日通うのは現実的じゃないでしょう」

「あ……たしかに」

「火乃香ちゃんは、どう考えてるの?」


唖然とする俺を尻目に、泉希と火乃香は真っ直ぐに互いを見つめ合う。

 思えば学校の話は殆どしていなかった。後見人の申請や新しい生活、子猫の件なんかでそこまで頭が回らなかった。

 俺は火乃香の保護者になったはず。なのにそんな大事なことを見落としていたなんて……自分の馬鹿さが恥ずかしい。俺自身、大学を辞めて辛酸しんさんを舐める思いもあったっていうのに。


 「火乃香ちゃんは若いんだし、将来に関わることだしね。その辺はしっかり――」

「辞めます」


泉希が言い終わるより先に……まるで泉希の言葉を遮るかのように、火乃香は俺を見て声を繋げた。


「学校は、辞めるつもりだから」




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


2006年頃から薬学部は4年制から6年制になって、私立だと留年しなくても卒業までに1000万円以上の学費が掛かったりするわ。

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