第59話 「兄貴」

 大雨の中を駆けずり回り、俺は漸くと近くの公園で火乃香を見つけた。だが一人でない姿に、安堵感ではなく驚愕と衝撃が走った。


 なにせ傘を差してベンチに座る火乃香ほのかは、2匹の子猫を腕に抱いているのだから。


 濡れそぼった体でもって、火乃香の腕の中で懸命に鳴いている子猫たち。そんな彼らを慈しむよう、火乃香は小さな体を優しく撫でた。

 俺はゆっくりと彼女の方へ近付いた。火乃香は顔を上げたと同時に「あっ」と声を漏らして、バツが悪そうに視線を逸らした。そんな義妹いもうとの目を見るよう、俺はその場にしゃがみ込んだ。


「可愛い友達だな。最近知り合ったのか?」

「う、うん」


戸惑いつつも火乃香は頷いて答えた。腕に抱く子猫の頭へ手を伸ばせば、気持ちよさそうに目を細めて俺の愛撫に身を委ねた。


 「この間、買い物行くときに見つけた」


何を尋ねるまでもなく、火乃香はポソリと答えた。

 数日前のことだ。日用品の買い出しに出掛けた際に偶然この公園で子猫達ふたりを見つけたらしい。段ボールに入れられ、茂みに隠すよう置かれていたのだとか。

 家に連れ帰ろうかと考えたが、俺に迷惑が掛かると思い断念した。せめて誰かに拾われるまではと、昼間と夜中にこっそりと餌を運んでいたらしい。

 今朝もスーパーへ買い出しに行った帰り道で一度立ち寄ったとのこと。だが食事の支度中に雨が降り出したのに気付き慌てて飛び出したらしい。

 

 「ごめんなさい。勝手に食材持ち出して」

「いいよ別に」

「それにこの子達用に、ミルクとかも買ってた」

「だからいいって」


子猫らが濡れないよう傘を肩で支えながら、火乃香は俯きながら告げた。可愛いらしい罪の告白に、俺は思わず笑ってしまう。


「むしろ俺はお前のことを立派だと思う。誰かを助けたいって気持ちも、それを行動に移すことも、続けることも、なかなか出来ることじゃねーからな」


斜めになった火乃香の傘を直し、俺は彼女の頭をぐしぐしと撫でた。長く艶やかな黒髪に、雨の雫が浮かんで。


 「怒ってないの?」

「なんで」

「だって、ご飯の用意も放って出てきたし」

「怒ってないと言えば嘘になる」

「そう……だよね」

「ああ。こんな可愛い友達を独り占めなんて許されることじゃねーな。俺にも紹介して欲しかった」

「そっち?」

「他に何があるんだよ。いて言うならすげー心配したかな。お前が子猫達を心配して見にきたのと、同じくらいにはな」


俺はポケットからハンカチを取り出して、火乃香の髪に着いている雨粒を拭った。


 「私のこと、心配してくれたの?」

「当たり前だろ」

「そんなにズブ濡れになってまで?」


火乃香は俺の足元から頭の天辺までを見渡した。言われてみれば確かにビショビショだ。傘は差していたけど、走ってたから意味がなかったな。


「これくらいなんでもない。お前は俺の大事な義妹なんだから」

「……ゴメンなさい」

「だから謝るなって。それより、ここに居たら体が冷えちまう。その友達を連れて家に帰ろう」

「いいの?」

「飼うのはダメだけど、このまま置いてもいけないからな。なーに、俺がなんとかしてやるから」


雨雲を吹き飛ばす勢いで笑ってみせれば、火乃香はコクリと頷き子猫らを抱いて立ち上がった。俺は彼女の傘を取って頭上へ差した。なんだかVIPをエスコートしているみたいだ。


「……ありがと」

「どーいたしまして」


そうして俺と火乃香は、2匹の子猫と一緒にアパートへ連れ帰った。

 幸いなことに子猫らは元気だった。火乃香が毎日エサを運んでいたお陰だろう。

 大家さんには俺から話を通した。頭を下げて頼み込んだら、「飼うのはアカンけどちょっとの間だけ置いとくならエエよ」と言ってくれた。話の分かる大家さんで本当に良かった。


 翌週の日曜日。俺は火乃香と子猫を連れて市内にある保護猫カフェを訪れた。この店のオーナーとは知り合いで、電話で事情を説明すると快く引き受けてくれた。先月まで店に在籍していた猫スタッフが一匹、里親が見つかり卒業したらしい。

 「この子達のこと、よろしくお願いします」と、火乃香は丁寧に頭を下げた。


 「元気でね」


最後に子猫らの頭を撫でて別れを告げると、火乃香は振り返ることもせず足早に店を去った。

 

「また会いに来ような」

「いい。別れる時、また寂しくなるから」


目尻に涙を浮かべて火乃香は答えた。そんな彼女の頭をぐしぐしと撫で回す。


 「や、やめてよ。子供じゃないんだから」

「なあ、火乃香」

「なに」

「今度、動物園にでも行くか」

「二人で?」

「当たり前だろ。俺と行くのは嫌か?」

「……」


火乃香は何も答えなかった。けれど直後、彼女はピタリと立ち止まる。


「どうした?」

「……手」


不貞腐れたような顔でツンケンと、火乃香は小さく右手を差し向けた。言動の噛み合わないその姿に、俺は笑いながらも彼女の手を取り握りしめる。


「子供じゃないんだろ?」

「う、うるさい! バカ兄貴!」


毒吐きながらも、握り返した手を火乃香が離すことはなかった。


 この時、火乃香は初めて俺を『兄貴』と呼んだ。だけど俺がそれに気付いたのは、家に帰ったあとの事だった……。



-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


大雨の日だろうと台風の日だろうと調剤薬局に休みは無いわ! 私も電車がストップした日はタクシーで出勤しているわ。もちろん経費で落ちるわよ。

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