第58話 折り畳み傘の脆弱性について今度論文を出そうとは思いません
「――んんっ……」
ある夜、ふと目が覚めた。床にマットを敷いて眠る俺の枕元で、なにやら人の気配がした。
(……
そろりそろりと音を殺して歩く人影。薄暗い部屋の中を寝ぼけ眼で見やれば、玄関扉を開いて静かに外へ出ていった。
(コンビニでも行くのかな)
こんな夜更けにと思いつつ、学生の頃には俺もよくやっていたのを思い出す。ここは住宅街だから、夜になると殆ど人が出歩いてない。まるで世界が自分だけの物になった気がするのだ。
「若い頃のあるあるだな」
ノスタルジーに駆られながら、俺は布団を肩まで寄せてまた夢の中へ落ちていった。
そんな夜が、もう三日から続いた。
流石にこれはおかしい。火乃香が非行に走っているとは思わないが、なにか危ない事にでも巻き込まれていないだろうか。
「なあ、火乃香」
「なに」
「最近、夜中にどこかで遊んでるのか?」
火乃香の特製パスタを食べながら、恐る恐ると俺は尋ねた。直後、火乃香のフォークがピタリと止まる。けれど視線は一度も合わせない。
「別に、遊んでなんかない」
「じゃあ何してるんだ?」
「ちょっと、散歩」
淡白にそれだけ答えると、火乃香は再び手を動かしパスタを啜った。
俺はといえば、それ以上は何も聞くことが出来ずチュルチュルと麺を啜り上げた。今日も火乃香の飯は美味い。
◇◇◇
「――ということがあったんだけど、アイちゃんはどう思う?」
『どう、とは』
土曜日。午前診が終わり店の片付けをしている最中、俺はアイちゃんに尋ねた。
「普通、夜中に家を出て散歩とかするかな。それも毎日」
『普通という定義が明確でありませんが、そのような
「それはまあ、そうかもしれんけど」
『危惧される点がお有りなのですか?』
「うーん、まあ火乃香は女の子だしさ。犯罪とかに巻き込まれてないか心配だよ」
『では御本人に直接確認されては
「それが出来たら苦労は無いよ」
大袈裟に肩を竦めてみると、アイちゃんは『お役に立たず申し訳ありません』と丁寧に頭を下げてくれた。そうして13時には業務を終え、アイちゃんと泉希を見送ってから俺も帰宅の途についた。
「おろ?」
事務所を出て少ししてから、俺は足を止めた。雨が降ってきたからだ。
さっきまで曇り空だったのに、とうとう降り出したか。傘を差すか悩む程度の小雨だが、念のため折り畳み傘を確認する。
雨足は次第に強まって、家に着く頃には打ちつけるような雨に変わっていた。
「ひー、こりゃやべぇ!」
折り畳み傘では防ぎ切れないほどの雨量。濡れた体で玄関ドアに手を掛けるも施錠されている。火乃香と一緒に暮らしてから、俺の帰宅時には必ず彼女が居て鍵も開けてくれていたのに。
「ただいまー」
部屋の中に呼び掛けるも、返事はない。
台所を見れば、包丁やまな板がシンクの上に置かれたままだ。ついさっきまで食事の準備をしていたらしい。もしかすると足りない食材でも買いに出たのだろうか。
(でも財布はテーブルの上に置いてるし、小銭だけ持っていったのか?)
電話で確認を取れれば済む話だが、生憎と火乃香は携帯電話を持っていない。今時に珍しいが、それが彼女の人となりを表している気もする。
「ま、そのうち帰ってくるだろ」
タカを括った俺はシャワーを浴びて濡れた服を着替えた。だが風呂から上がっても、まだ火乃香は帰って来なかった。そこから更に30分以上待ったが、一向に帰る気配が無い。
落ち着かない俺の心情を表すかのように、雨足はどんどんと強くなっていった。既に土砂降りと言ってもいい。食事の準備を放り出して、こんな雨の中をどこに行ったと言うのだ。
「いや、待てよ」
瞬間、火乃香が夜中に出歩いていたことを思い出した。まさか犯罪にでも巻き込まれたのだろうか。
居ても立っても居られなくなった俺は、傘だけ持って家を飛び出した。
視界も遮られる土砂降りの雨の中、俺は火乃香を探して走り回った。
だが彼女の行く宛てなど見当も付かない。警察に行こうかとも考えた。
(いや、流石にそれは最終手段にしよう)
今はとにかく、目ぼしい場所へ行ってみるべきだ。
食事の準備が途中だったということは、計画的に出て行ったわけではない。財布も置いてあったし、電車やバスも使っていないだろう。恐らく近場に居るはずだ。
俺は近所のスーパーやドラッグストア、ラーメン屋など火乃香が行きそうな場所を回った。
だけど何処にも見つからない。こんな大雨の中、フラフラと散歩するはずがない。いよいよ警察に行くべきかと考えた、その矢先。
「あれは……」
公園のベンチに座る火乃香を見つけた。
けれど、1人ではなかった。
-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------
ウチは木曜日と土曜日が午後休みよ。ただし法令の関係から木曜日は17時まで開局して、土曜日は12時までと届けているわ。
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