第56話 本当に会話を楽しめる相手じゃないと結婚してもつらいだけ

 火乃香ほのかとの生活は、問題の山積みだった。


 法律や戸籍の問題は当然のこと、実生活においても戸惑いと緊張の連続だった。

 例えば火乃香が俺の家に来た初日のこと。彼女は俺の胸の中で一晩中泣きじゃくっていた。

 けれど泣きつかれて寝てしまったのか、火乃香は俺の膝の上でスヤスヤと寝息を立てる。泉希みずきといい火乃香といい、俺の太腿はテン〇ュール級の寝心地のなのか。

 結局その日は未成年後見人の事を調べたり考えたりで、俺は一睡も出来なかった。

 よほど疲れていたのだろう、火乃香は俺が仕事に出掛けた時もまだ夢の中だった。

 

 20時頃に帰宅した俺は、帰り道にある弁当屋で二人分の弁当を購入して帰った。決して褒められた食事ではないだろうが、火乃香は「前からシャケ弁当を食べてみたかった」と意外にも喜んでくれた。


 腹も膨れてシャワーを浴びた俺は、昨日の徹夜も相俟って少し早めに寝る準備を始めた。自分の家に若い女の子がいる事実に落ち着かなくて、何をして良いか分からなかった。


「俺は床にマットか何か敷いて寝るから、ベッドは火乃香が使いな」

「別に一緒にベッドで寝ればいいじゃん」

「なに馬鹿なことを言ってんだ。あんな狭いベッドで大人二人寝れるか。シングルやぞシングル」

「じゃあ二人とも床で寝るのは?」


と、よく分からない気の遣い方をされた。二人一緒に寝るのが問題なのに、本末転倒も良い所だ。渋る火乃香を他所に、俺はそそくさと床にマットを敷いて就寝の準備を進めた。


「んじゃ、おやすみ」

「……オヤスミ」


電気を消して布団を被るも、同じ部屋に美少女JKの義妹が居る事実に寝付くことが出来なかった。


 「……スン……クスン……」


横になってからどれくらい経った頃だろう。暗闇の中から微かに音が聞こえる。啜り泣くような声に、俺は足音を殺してベッドへ近付いた。

 薄らぼんやりと見える視界に、頭まですっぽりと毛布を被る火乃香から嗚咽の声が聞こえる。


「火乃香? 泣いてるのか?」

「な、泣いてないし! ちょっと眠れないだけ!」


気丈に振舞いつつ、火乃香の目から涙が流れ落ちている。突然親が亡くなったうえ、他人だった男の家に住むことになったんだ。不安は当然だろう。


「少し、お喋りでもしようか」


頭を撫でながら提案すると、火乃香は目尻に浮かぶ涙を拭いながらコクリと頷いた。

 寝巻き代わりに着た俺のブカブカTシャツ。その姿のまま、火乃香はローテーブルに座った。そんな彼女に熱めの珈琲を淹れて渡す。


 「ありがと」

「どーいたしまして。ご注文通り砂糖とミルク入りですよ、お嬢様」

「い、いいじゃん別に。そういうアンタはブラックなの?」

「俺はミルクだけ。カフェ・オ・レってヤツだな。『俺はオ・レ』なんつって」

「なにそれキモい。オッサンみたい」

「実際アラサーのオッサンだからな」

「いくつなの?」

「27。今年28歳」

「うわ、わたしより12も上じゃん。お母さんのが年近いし」

「えっ、お母さん何歳?」

「32か、33だったと思う」

「マジか。四捨五入したら同じ三十路やん」


なんとなくそんな気はしていたけど、改めて言われると衝撃を受ける。自分なんてまだ子供だと思っていたけど、着実に年を重ねているんだな。


「しかしそう思うと、自分の息子と同年代の相手と再婚したウチの親父は相当だな」

「結婚に年齢差とか関係ないでしょ。てかアンタは結婚とかしないの?」

「そうだな。考えなくは無いよ。問題は相手が居ないってことだな」

「恋人も?」

「居たら真っ先にお前のこと紹介しとる」

「たしかに。そもそもモテなそうだし」

「やかましい。そういうお前の方こそ、学校にそういう男子とか居ねーのか」

「居たらソイツの所行く」

「それもそうか。でも意外だな」

「なにが」

「彼氏が居ないコト。めっちゃ美人なのに」


何気なくそう言うと、火乃香は頬を赤らめ唇尖らし視線を逸らした。


「び、美人とか……全然そんなことないし。わたしは別に普通だから」

「いやいや、かなり美人だべ。ウチのアイちゃんや泉希に引けを取らないレベルや。お前の周りの男共は見る目がねーなー」

「仮に見た目が良くても中身がコレだもん。性格も言葉もキツくて、可愛げとか素直さとか皆無だし」

「だから見る目が無いって言ってんだ。お前が本当は優しい人間だってこと、周りは一個も理解できてねーじゃねーか」

「……フン」


視線を逸らしながら小さく鼻を鳴らして、火乃香は甘めの珈琲を啜った。「素直になれない」という点は本人の申告通りだな。


「でも、告白された事とかはあるんだろ」

「まあ、何回かは」

「付き合ったのか?」

「ううん、断った。全部」

「なんで」

「同い年の男とか、なんかガキっぽくて。話してる内容も馬鹿っぽいし、一緒に居るだけ時間の無駄。そもそも遊ぶようなお金なんて無かったし」

「じゃあ、男と付き合った経験は」

「一回も無い」


淡々と言い切る火乃香の言葉に、何故か俺の胸の中にはホッと安堵感が広がった。


 「わたしのことは良いから、アンタのコトもっと聞かせてよ」

「おう、今夜は寝か三蔵法師さんぞうほうし

「だからオッサンくさいって、それ」

「だからオッサンだって、俺は」


言いながら火乃香は「クスクス」と楽しそうに笑ってくれた。昨日よりも、少しだけ距離が近くなったような気がする。

 

 そうして俺は自分の生い立ちや若い頃の話をした。

 最初は兄妹としてお互いのことを知ろうと思って話し始めたのだが、いつの間にか火乃香と話すのが楽しくなって、宣言通り俺たちは一睡もせずに朝を迎えていた。


 そうしてキッチリ寝不足で出社した俺は、仕事でケアレスミスを連発し泉希に白い目で睨まれた。


 流石に今日は寝れると良いが……。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


病院が院内で薬を出す場合を『院内処方』、処方箋を発行する場合を『院外処方』と言うわ。どちらもメリット・デメリットがあるわね。

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