第50話 実話を元にしていますが基本的にフィクションです

 「――待って!」


薬局を出ようとする朝日向あさひな火乃香ほのかの背中に、泉希みずきが手を伸ばして引き留めた。

 紺色のプリーツスカートを翻して、少女は刃物のように鋭い視線で振り返る。


 「なんですか」

「えーと、その……い、家はどこなの?」

「……A市」


県内だけど随分遠いな。ここからだと電車で2時間近く掛かるぞ。


 「学校は?」

「先生が『しばらく休むように』って」

「そう……そうよね」

「でももう辞める。お金かかるし、行ったところで友達とか居ないし」


つっけんどんに言い放ったと同時、俺の脳裏に黒いイメージが走った。暗い部屋の中で、一人佇む彼女の後ろ姿。それが脳裏にこびり付いて離れない。

 ここには親父の骨を届けるためだけに来たと彼女は言うけれど、本当にそれだけだろうか。

 

 「あ、あのさ!」

「なに」

「いや……その、昼飯は食べたかなと思って」

「食べてない」


長い黒髪を揺らして彼女は首を横に振る。俺は財布から千円札を一枚取り出し彼女に差し出した。

 「なに、これ」

「腹減っただろ。ウチの事務所を使っていいから、何か食べなよ。少し歩いたら美味いラーメン屋とかカフェとかもあるけど」

「でも」

「いいから。俺もまだ聞きたい事あるし。言ってもまだ仕事が残ってるから。少しだけ待ってて欲しいんだ。あ、予定とかは大丈夫?」

「それは大丈夫……別に、予定とか無いし」

「良かった。アイちゃん、悪いけど事務所に彼女を案内してあげて」

『承知いたしました』


ペコリと一つ会釈して、アイちゃんは朝日向火乃香を連れて店を出る。自動ドアを潜る直前に、朝日向火乃香が何か言いかけていたが、直ぐに身を翻してアイちゃんの後を追いかけた。

 本当は昼飯を食ったかなんてどうでも良かった。ただ、今彼女を一人にしてはいけない。そんな気がしてならなかった。


 「ちょっと悠陽ゆうひ。いいの、彼女を事務所に一人にして。あそこは薬とかも置いてるのよ?」

「分かってる。でも今あの子を帰したら、良くないことになりそうな気がするんだ。そう思ったから、お前も引き止めてくれたんだろ」

「まあ……ね。けど大人しく事務所で待っててくれるかしら。お金だけ持って帰ったりとか」

「そればっかりは、あの子を信じる他に無いな」


 朝日向火乃香を事務所に案内した後、アイちゃんが一人で薬局に戻ってきた。彼女は事務所に鞄を置いて、近くのコンビニへ行ったらしい。


「なあアイちゃん。未成年後見人ってのは、資格とか無いと成れないモンなの?」

『いえ。成人者であることや行方不明者でないことなど、いくつかの基準を満たせば基本的に何方どなたでも未成年後見人になることが可能です。ただし、候補者として申し立てをした後に家庭裁判所の職員(家裁調査官)が本人や未成年後見人候補者と面談をするなどして生活状況や本人の意思や心身状態、職業や経歴などを調査されます』

「それで合格なら、晴れて後見人になれるわけだ」


俺の返答にアイちゃんは『はい』と頷いて応える。

 マンガやドラマでは『血の繋がらない兄妹』とか『親に捨てられた不良少年』みたいな主人公が沢山居るから、手続きも簡単かと思ってたけど、現実には色々とややこしいんだな。


 

 ◇◇◇



 朝日向火乃香を事務所に行かせ5時間ほど経った19時30分。処方元の整形外科は普段通りの時間に終わり、俺達はいつもと同じ閉店作業に勤しんだ。


 「ねえ悠陽」

「あん?」


やはりいつも通り表の看板を仕舞う俺の元に、神妙な面持ちの泉希が寄ってきた。


 「火乃香ちゃんのこと、どうするつもり?」

「どうするって、なにが」

「貴方の家に連れて帰るの?」


ドキリ、心臓が強く跳ねた。

 泉希の言わんとしている事は分かる。未成年者の彼女を男の俺が連れ込むことは、世間的にも法律的にも問題があるかもしれない。少なくともコンプライアンスには反するだろう。

 万が一にもその現場を患者様に見られるような事があれば、「朝日向調剤薬局の店長が女子高生を家に連れ込んでいる」と噂になりかねない。

 こう言っては何だが、そう言った事案というのは業務ミスやハラスメントよりもダメージが大きい。泉希はその辺りも気にしているのだろう。


 「その……今日は、ホテルとかに泊まって貰った方が良いんじゃないかしら」

「そんな金ねーよ。それに一人にするなら、あの子を引き止めた意味が無いだろ」

「それはそうだけど、彼女はまだ未成年よ。男の貴方の家に泊めるのは……」

「お前が言わんとすることは分かるよ。だからって放ってはおけねーよ。一応、俺の妹らしいし」

「血は繋がってないじゃない。戸籍上でも血縁者とは見なされないんだし」

「……取りあえず、彼女の様子を見てくるよ」


表のシャッターを半分だけ閉めて、俺は駆け足気味に2階の事務所へ向かった。

 

 ――コンコンッ!


音が響くよう、強めに玄関ドアを叩いた。けれど中からは声の一つも返ってこない。


「朝日向さん……だとややこしいな。えっと、とりあえず今から入るねー」


共同廊下から部屋の中に向けて声を上げる。けれどやはり何の反応も無しだ。


「失礼しまーす」


今度は声を殺しながら、重たい玄関ドアを開けた。

 部屋は真っ暗だった。カーテンの隙間から差し込む街灯の明かりだけが、闇の中で小さく揺れている。

 

(やっぱり帰っちまったかな)


彼女の心情を考えると今一人にするのは心配だ。とはいえ無理矢理に引き止めるのも違う気がする。冷たいかもしれないが、結局自分の道を選ぶのは己自身なのだから。


「ま、いい気分ではないけどな、っと」


パチン、と玄関の壁にあるスイッチを押して明かりを点けた。その瞬間、俺は全身が泡立つような寒気を覚えた。


 なにせ部屋の隅っこで、黒髪の女子校生が膝を抱えて蹲っていたのだから。


 俺の脳裏に、『死』の一文字が浮かんだ。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


朝日向調剤薬局があるのは山近くの閑静な住宅街だけれど、火乃香ちゃんの家があるA市は海沿いの町で都心からも大分離れているわ。

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