第79話 手を繋いだ時の汗って気になるけど本当に好きな人の汗なら手汗だって好きだよね!
『――朝日向店長』
アイちゃんの声が、優しく俺の耳に触れた。
振り返って見ると、そこには水族館デートと同じ可愛いらしい私服姿のアイちゃんが居た。毛先にもゆるふわなウェーブを掛けている。
ミロのヴィーナスも嫉妬しそうなその美しさは、老若男女問わず見惚れてしまうこと請け合いだ。
『おはようございます、朝日向店長。本日は私の
「こちらこそ誘ってくれてありがとう。じゃあ早速行こうか」
『はい』
挨拶もそこそこに俺達はホームへ向かった。けれど電車はまだ来ていない。
「そういえば、まだ約束の時間じゃないよね。アイちゃんが時間ピッタリに来ないなんて珍しい」
『申し訳ございません。本日の朝日向店長とデートについて考えていると、普段よりも歩調が早まってしまいました』
ほんの少しだけ俯き加減に、心なしか照れ臭そうな様子でアイちゃんは答えた。
見た目だけでなく言うことまで可愛いすぎる。俺は「コホン」とひとつ咳払いをして、ついニヤけてしまう顔を取り繕った。
「ま、まあデートって言っても今日は公園で散歩するくらいだよ。水族館の時みたいに特別な展示があるわけでもないし」
『構いません。私はただ朝日向店長と一緒に居られるのなら、それだけで』
「げふぁ!」
射抜かれたような衝撃に、俺は吐血を真似た奇声を漏らし膝から崩れ落ちる。ホームの客が奇異の視線を俺に向ける中で、アイちゃんは『大丈夫ですか』と優しく背中を
「あ、ありがとうアイちゃん。因みになんだけど、
『そういうこと、とは?』
「一緒に居られるなら――みたいな台詞」
『いえ、私がこのような言葉を投げかけるのは、朝日向店長ただ御一人です』
「げふぁっ!」
またもや見えない矢で撃ち抜かれ、俺は吐血のような声を上げて四つ手をついた。
そうして
『あちらの席にお掛けください』
アイちゃんはグロッキー状態の俺をロングシートへ座らせてくれた。時間帯のせいか車内に乗客は少なく、俺の隣も空いている。にも関わらずアイちゃんは俺の前に立ち吊り革を握った。
「座らないの?」
『はい。私は
平然と無表情に、アイちゃんは答えた。
ふと車内の壁に目を向ければ、〈〈荷物は座席に置いたりせず、1人でも多くの人が席を利用できるように配慮しましょう〉〉というマナー啓発の広告が目についた。まるで、アイちゃんが人間でない事を主張しているように思えた。
「……俺も立とうかな」
『いえ、朝日向店長はお掛けになって下さい。私の事は御気になさらず』
「なに言ってんのさ。折角のデートなんだし同じ目線で話したいじゃない」
立ち上がり笑って返すも、アイちゃんは首を傾げてよく分からないと言った様子だ。格好つけた手前、ちょっと恥ずかしい。
そうこうする内に俺達は電車を乗り換え、1時間と掛からず目的の自然公園へ到着した。駅の目の前には大型のショッピングモールも併設されているけど、生憎と今日は金が無い。
小規模だが動物園や観覧車、子供用の遊具なんかもあってカップルやファミリーの姿が目立つ。
(そういや、前に火乃香と動物園に行くって約束をしてたっけ)
手を繋ぐカップルの姿に、俺は猫カフェからの帰り道のことを思い出した。
いかん、また頭が別の方向に行ってしまった。
今日はアイちゃんとのデートなんだから、アイちゃんのことを考えていたい。
俺は足早に駅を離れて、車道を挟んだ向こう側にある自然公園へと向かった。
広大な園内には飲食店やレジャー施設をはじめ、博物館などの文化施設もあって、丸一日でも遊べる仕様となっている。
残念ながら施設はどれも金が掛かるけど、入園するだけなら大人一人250円という優しい値段設定となっている。
「それじゃあ行こうか、アイちゃん」
『はい』
俺達は入場ゲートを抜けた。だが途端、アイちゃんが不意に立ち止まった。
彼女の視線の先を辿れば、学生らしいカップルが手を繋いで歩いている。初々しくも楽しそうな二人は幸せオーラを振り撒き園内を進んだ。
『朝日向店長』
「なに?」
『御手を、繋いでは頂けませんか』
まるで握手を求めるみたく、俺を正面に見据えアイちゃんは右手を差し出した。
「ど、どうしたの急に」
『今しがた通り過ぎた二人組の男女が、手を繋いで歩いておりました。それに以前の水族館でも朝日向店長と
「そ、それは……」
『ダメ、でしょうか』
差し出した手を少し引き気味に、アイちゃんは上目遣いで俺に伺い立てた。庇護欲をそそられる姿に、一体誰が「NO」などと言えるだろうか。
「えっと……うん、じゃあ」
照れ笑いで恐る恐ると右手を差し出せば、アイちゃんは優しく俺の手を握り返した。細長い指は妙に冷たくて、
「い、行こうか」
『はい』
あからさまに緊張する俺とは打って変わって、アイちゃんは平然と頷いて答えた。
「ところでアイちゃん、俺の手、汗だくだと思うから離したくなったらいつでも離してね」
『申し訳ございません。本来であればこの手を離し汗を拭って頂くべきだと承知しております。ですが今は、この手を離したくありません』
囁くように言いながら、アイちゃんは握る手に少しだけ力を込めた。ひやりと心地よい感覚が一層と伝わって、瞳からは熱を帯びた視線が注がれる。
そんな彼女の一挙手一投足が、俺の心臓を痛い程に打ち鳴らす。
耳奥に響く心音が脳を揺さぶり意識に
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もしかすると、今回の自然公園の場所が何処か分かった方も居るかもしれないわね。夏場に行くときは帽子と日傘が必須よ。熱中症には気を付けて!
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