第78話 いや初めてのデートっていうかそもそもデートの定義がどこかっていう話でそんなこと言えば小学生の時に……とか言うヤツにもメーーーーーーン!!

 アイちゃんからデートのお誘いを受けた翌日。我が朝日向あさひな調剤薬局の中は、ひどくギスギスしていた。


 泉希みずきは怒りすら表さない真顔で、俺とは一切目を合わせようとしない。患者様に服薬指導をする時も声と表情が暗くて、腹に抱えた爆弾を必死に押さえ込んでいような印象だ。

 おかげで営業時間中、俺はずっと冷や汗をかいていた。土曜日が午前診だけで本当に助かった。

 ただ今日は泉希と一言も会話をしていない。繁忙期にはそんな日もあるけど、これほど殺伐とした雰囲気は初めてだ。一体どうしたものだろう。


 『朝日向あさひな店長』


頭の中で延々と不安が駆け巡る俺にアイちゃんが声を掛けた。俺は無理矢理に作った笑顔で「なに?」と尋ね返す。


 『閉店時の清掃作業を完了致しました』

「ああ、ありがとう」

『他に御用命はございますか?』

「いや、大丈夫だよ。あとはもう処方箋を確認してシャッターを降ろすだけだから」

『承知致しました。それでは、本日はこちらで失礼させて頂きます』

「うん、ありがとう。お疲れ様」


恭しくお辞儀するアイちゃんに俺も会釈で返して「ほっ」と胸を撫で下ろした。彼女の帰社を名残惜しく思うことはあっても、安堵するなど初めてだ。


 『時に朝日向店長。明日のデートについて確認をさせて頂きます。午前9時にH電鉄◯△駅改札前にてお待ち合わせで間違いございませんか』


瞬間、俺の顔から安堵は消え失せ背筋が凍った。恐る恐る調剤室を振り返れば、泉希は相変わらず無表情でノートPCを睨みつけている。


「あ、うん……間違いないよ」

『ありがとうございます。では恐れ入りますが、明日は宜しくお願い致します』


再び丁寧に頭を下げると、アイちゃんは何事もなく店を後にした。俺は額に滲んだ汗を拭って処方箋の束を整える。


 「結局、デートは行くのね」


唐突な泉希の声に、ビクッと身体が震えた。慌てて調剤室の方を見れば、相変わらずノートPCを睨みつけている。


「あ、ああ……まあデートって言っても金無いから自然公園に行くだけだよ。ほら、モノレールの駅を降りた所にある」

「知らない」


突き放すような冷然とした答えに、俺の毛穴から冷たい汗が溢れて止まらない。苦々しい笑みを浮かべるより他に無い俺は最適解を模索した。


「あっ、そうだ! 良かったら明日は泉希も一緒に自然公園へ行か――」


 ――バンッ!


だがその瞬間。泉希は調剤台を勢いよく叩いて立ち上がった。まるで俺の言葉を遮るかのように。


「み、泉希?」

「……お先に失礼します」

 

そう言うと一瞥もくれず、泉希は肩を落として足早に店を出ていった。

 「お先に失礼します」だなんて他人行儀な挨拶、アイツの口から聞いたのはいつ以来だろう。

 まるで荒縄で締め付けられるように、胸が苦しくなった……。



 ◇◇◇



 苛立ちを露にしていたのは、泉希だけじゃない。火乃香ほのかも俺がアイちゃんにデートに誘われたと知った途端、不機嫌になった。


 「日曜日は兄貴に買い物付き合ってもらおうと思ってたのに。もうお米も残り少ないんだけど」

「ゴメンて。米なら俺が帰りに買ってくるから」

「そういうコトじゃないし」

「じゃあどういうコトなんだよ」

「知らない! バカ兄貴!」


眉尻吊り上げ怒鳴る火乃香は勢いよく立ち上がり、財布と携帯電話だけを握りしめてズカズカと玄関に向かった。


「お、おい。どこ行くんだよ」

「泉希さんの所!」


怒気を孕ませた声で答えながら、火乃香は勢いよく玄関を開いて家を出た。

 【性格が真逆になる薬】を飲んだ時から、火乃香と泉希は姉妹か友達のように仲良くなった。

 つい先日も泉希の家へ遊びに行ったらしい。仲が良いのは大歓迎だが、今日だけは素直に喜べない。二人して俺の悪口でも言っているのかと不安に駆られてしまう。

 夜には帰ってきた火乃香だったが、やはりムスッとした表情で俺とは口を利いてくれなかった。

 「おやすみ」の挨拶も無いままベッドへ潜り込んだ火乃香に、俺も悶々としたまま寝床についた。だけど結局、一睡もしないままデート当日の朝を迎えてしまった。

 火乃香はまだ昨日のことを引き摺っているのか、起床からずっとムスッと口を尖らせている。殺伐とした空気に耐えきれず、俺は約束の時間よりずっと早く家を出た。


 待ち合わせ場所は家近くの駅前。以前泉希と水族館に行ったのとは別の駅だ。

 アイちゃんのことだから時間ピッタリに来るはずだろうけど、今はまだ8時32分。約束の時間より30分早い。

 携帯電話を見たり缶珈琲を買って飲んだり、適当に時間を潰した。だが何をしても思い浮かぶのは泉希と火乃香のことばかり。

 折角アイちゃんが誘ってくれたデートだというのに、こんな上の空では彼女に対し失礼だ。一瞬一瞬を大切に、噛み締めるように楽しまないと。


「よし! 気持ちを切り替えて今日はアイちゃんとのデートを目一杯楽しむぞ!」


決意を固め俺はぐっと拳を握り締めた、その直後。


 『朝日向店長』


アイちゃんの声が、俺の耳に優しく触れた。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


ウチの薬局は木曜日が午前(夕方)で終わるから、私や悠陽は木曜日に用事を済ませることが多いわ。火乃香ちゃんがウチに遊びに来たのも木曜日よ。

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