第34話 年棒制なのでどれだけ働こうと残業代なんて出ませんクソが

 処方箋を持って来てくれた片桐たゆねさんに薬を渡すと、彼女は何事もなかったかのようにアッサリと帰った。

 俺は事務所で漸くと昼飯にありつき、再び薬局へ戻ると、卸会社の岩永いわなが君が夕方配送に来ていた。

 発注した薬の納品確認を済ませて、泉希みずきと共に並び立ち『アイちゃんとのデートは断らせてもらう』旨を彼に伝えた。


 「嫌です!」


だが岩永君は断固として受け入れなかった。例の如く真っ直ぐな声と視線で。


 「恋愛は本来自由なはずです! たしかに彼女はAIVISアイヴィスかもしれませんし、派遣会社に所有権があるのかもしれません! だからと言って、それが彼女を拘束する理由にはならない!」

「なるわよ。法律なんだから」


熱量を増す岩永君に対し、泉希は呆れたように冷たく返す。けれど岩永君も頑として引こうとせず一層と意志を固めていく感じだ。


 「お願いします! たった一度で構いません! 彼女とデートをさせて下さい! それで駄目なら自分は身を引きます! 派遣料が必要なら自分が払います! だからお願いします、アイちゃんさん。どうか自分とデートしてください!」


頭頂部が見えるほど深く頭を下げる岩永君に、流石の泉希も困った顔で俺を見る。そんな彼女に応えるよう、俺は後ろのアイちゃんを振り返る。


「アイちゃん。君はどうしたい?」

『法令違反や弊社の服務規定に違反ない限り、私は御社の意向に従います』

「そうじゃなくて、俺は君自身の気持ちを聞かせてほしいんだ。規則や業務は関係なく、アイちゃんはデートとかしてみたい?」


笑って尋ね返せば、アイちゃんは鋼鉄はがねのように表情を固めじっと俺の目を見た。


 『先にも申し上げた通り私はAIVISです。人間と恋愛関係を構築するなど私には理解ができません』

「ア、アイちゃんさん……」

『ですが、だからこそ人間の恋愛というものに興味があります』


豊かすぎる胸に手を触れ当て、アイちゃんは瞬きもせず答えた。俺は顎に手をやり「ふむ」と鼻から息を漏らして、岩永君とアイちゃんを交互に見遣る。


「よし。なら今度二人でデートしておいで。派遣料はウチが出すから」

「ちょ、悠陽!?」

「店長さん!」


驚く泉希と裏腹に、さっきまでの消え入りそうな声が嘘みたく、岩永君は晴れやかに声を上げた。


「ただし、アイちゃんが『嫌だ』と思ったらすぐに中止して帰宅すること。君も彼女のことはスッパリ諦める。それが条件だけど、いいかな?」

「はい! もちろんです!」

「アイちゃんも、それでいいかな?」

『……はい。朝日向店長の御命令とあらば私に異存ありません』


ほんの少しだけ間を空けて、アイちゃんは視線を伏せながら頷く。何か思う所があるのだろうか。


 「ちょっと悠陽!」


するとその時。怒りと焦りをミックスさせる泉希が、俺の腕を掴み調剤室の奥へ連れ込んだ。


 「さっきのあれ、本気で言ったの?」

「ああ、もちろん」

「勿論って……もし二人がそのまま付き合うことになったらどうするのよ!」

「その時はその時で、また考えるよ」


声を殺しながら凄味を利かせる泉希に平然と答えてみせれば、彼女は複雑な溜め息を吐いて額に手を当てる。そんな彼女の肩を軽く叩いて、俺は受付へ戻りアイちゃんの前に立った。


「確かに色々と思う所はある。けど俺はアイちゃんの気持ちを汲んであげたい。いつも仕事を頑張ってくれるアイちゃんに、ささやかなプレゼントだ」

『お心遣いを有難うございます。ですが私は派遣のAIVIS。慰労は不要です』

「派遣だろうとAIVISだろうと、アイちゃんはウチの大切な従業員だよ」


ニッと歯を見せ笑顔を向け、俺はアイちゃんの頭に手を伸ばし子供のように撫でた。絹糸のように艶やかな髪が指先を流れて心地よい。


 『朝日向あさひな店長……』

「その代わり、アイちゃんを危ない目に合わせたり嫌がることをするなら、その時はウチも相応の対処を考えさせてもらう。そのつもりでね岩永君」

「はい、もちろんです! 有難うございます!」


今までの中で一番キレのあるお辞儀を披露すると、岩永君は足取り軽く鼻歌まじりに薬局を後にした。まったく、素直すぎる青年だな。


 『あの、朝日向店長』

「ん?」

『本当によろしかったのですか? 私の遊興のために御社の大切な資金を費やすことになってしまいましたが』

「大丈夫だよ。さっきも言ったでしょ。アイちゃんはウチの大切な従業員なんだし、これくらいはね」

『しかし――』

「派遣さんにはボーナスも出せないからさ。今回はその代わりだ。ゆっくり楽しんでおいで」

『……はい。ありがとうございます』


ペコリとお辞儀をしたアイちゃんは、やはりいつもと変わらず無表情のまま調剤室へと戻った。けれど何故だろう。俺にはその後ろ姿が悲し気に見えて仕方なかった。

 そうしてアイちゃんの背中を見送る俺の白衣を、泉希がクイクイと摘んで引いた。


「どうした、泉希」

「私もボーナス欲しい」

「いやお前には年2回渡してるだろ。額が少なくて申し訳ないとは思うけど」


俺はジトリと流し目で言うと、彼女は腫れたように両頬を膨らませ「もういい!」と調剤室へ戻った。


 いったい何がしたいんだ……アイツは。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


個人薬局で儲けるのは正直言って難しいわ。ウチの薬局も私の方が悠陽よりお給料が多いの。おまけに彼は経営者だからボーナスも残業代も無いわ。

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