第32話 薬局に来るのはお客さんじゃないから。患者さんだから。間違えないでねそこんところ。

 『私は、あの方の申し出を御受けする所存です』


落ち着いた様子で答えたアイちゃんに、俺と泉希みずきは開いた口が塞がらなかった。


 「ほ、本当に彼とお付き合いする気なの?」

『はい。そのつもりです』


やはり冷静と答えるアイちゃんに、泉希は戸惑いをあらわに眉尻下げて俺を見る。色々と聞きたいことはあるが、残念ながら午後診の患者様がお越しになられた。


「こんにちはー」

『こんにちは』


俺はすぐに患者様の元へ行くと、処方箋をお預かりして専用PCに処方データを取り込んだ。

 因みに医療機関は「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」や「こんばんは」などの挨拶で患者様をお迎えするのが基本だ。


「とりあえず、この話は店が終わってからだ。二人とも今は仕事に集中しよう」

『承知しました』


スキャンした処方箋の原本を調剤室に回すと、アイちゃんはすぐ作業へ取り掛かる。けれど泉希はポカンとその場で立ち尽くしている。


「なにしてんだ泉希」

「いえ……貴方が珍しく店長っぽいことを言ってるから。何か変な物でも食べた?」

「はっはっは。泣くぞコノヤロー」


そうして以降も続々と患者様が来院されて、俺たちは話をする間もなく業務を進めていった。

 そうして時刻が19時を回った頃、処方元である整形外科から診療終了の御連絡が入った。最後の患者様もお帰りになられて、俺達はすかさず閉店作業を始める。

 俺とアイちゃんは売り上げのチェックや調剤機器の清掃を、泉希は服薬指導の内容をデータ入力していく。

 いつもより早めに店を片した俺達は、揃って2階の事務所へ上がり面接みたくアイちゃんと向かい合った。


 「羽鐘はがねさん。さっきの話だけど……本当に岩永さんとお付き合いするつもり?」

『はい』


相変わらずの無表情で、アイちゃんはコクリと首を縦に振った。反して泉希は複雑な面持ちで隣に座る俺を見やる。


 「貴方はどう思うの?」

「どう思うって、なにが」

「なにがって……羽鐘はがねさんがあの岩永いわなが君と付き合うことに決まってるでしょう!」


憤慨する泉希とは裏腹に、俺は「うーん」と眉間に皺を寄せて腕組みする。


「そらあのイケメン君とアイちゃんが付き合うとか言われたら嫉妬の炎に燃え尽きる勢いだけど、ウチはアイドル事務所みたいに従業員の恋愛を禁止してるわけじゃないしな。逆に泉希ちゃんよ、お前さんは何をそんなにツンケンしとるんだ」

「別にツンケンなんかしてないわよ。ただ……」

「ただ?」

「あの人とお付き合いしたら、羽鐘さん辞めることにならない?」

「……えっ」


不安気に眉を顰めて放った泉希の言葉が、俺の身体から血の気を引かせた。


 「羽鐘さんはAIVISよ。言い方は悪いけど人間と違って所有権が発生するわ。羽鐘さん、いま貴女の所有権は貴女が所属している派遣会社にあるのよね?」

『はい。その通りです』

「じゃあ今度は悠陽ゆうひに聞くわね。もし二人が交際を始めたら、それは業務じゃなくてプライベートになるわよね」

「そりゃそうだ。それがどうしたよ」

「本当に鈍いわね! 所有権が会社へ帰属している羽鐘さんに【自由な時間】なんてあるのかって話じゃない。どうなの羽鐘さん?!」

『基本的に弊社の指示がなければ、私が独断で行動することは禁じられています』

「……マジで?」


驚く俺とは打って変わって、アイちゃんは平静と首を横に振った。会社から指示された以外のことは何も出来ないだなんて、そんなの奴隷と変わらないだろう。

 

 「ということは、もし岩永さんが羽鐘さんと遊びに行くとすれば、彼は羽鐘さんの会社に彼女を派遣してもらう形になるんじゃない?」

『はい。そうなります』

「ということは、必然的にウチと二重に派遣契約することになるわよね。それは違反にはならないの?」

『いえ。二重契約は弊社の規約に違反します』


小難しい言葉を並べて二人は平然と話を進めているが、要するに岩永君がアイちゃんと付き合う為には派遣会社に金を払う必要があるってことだな。だけどアイちゃんはウチの薬局と契約しているから。それもNGってワケだ。


 「そこまで分かっていて、羽鐘さんはどうして彼の申し出を受けたの?」

『今回お誘い頂いたのは御社と取引のある企業様の従業員です。そのため業務外での食事や遊興は接待交際および折衝の類と考えられ、御社の利を考慮し要求を承諾いたしました』


なるほど。確かに俺も薬の納入価の交渉で取引先の営業さんと食事に行ったり、接待ゴルフなんていう言葉も未だ耳にするからな。


「あれ? ということは、アイちゃんは岩永君と恋人になりたくてデートをOKしたわけじゃないの?」

『はい。そもそも我々AIVISアイヴィスと人間が恋愛関係を構築するなど前例がありません』

「つまり、あくまでもウチの従業員として彼と仕事上の交際をするつもりなのね」

『はい。ですが――』


そこまで言いかけ、アイちゃんはチラリと俺を一瞥してからすぐに視線を伏せた。


 『――いえ、なんでもありません』


そう言って首を横に振りながら、アイちゃんはやはり表情を変えず答えた。

 そんな色の無い彼女の姿が俺にはひどく悲し気に見えて……チクリと刺すような痛みが胸に走った。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


本来病院と薬局は特別な関係にあってはならないのだけれど、診療終了の連絡や暗黙の了解など、実際は繋がっている所が多いわ!

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