第27話 子供の頃オカンにやってもらった耳かきって、すんごく痛くなかった?

 「――ねえ」


揺蕩たゆたう意識を引き戻すかのように、泉希みずきの深く重い声が俺を震わせた。思わずビクリと体が震えて、背中に冷たい汗が滲む。


 「耳掃除って、そんなに気持ち良いもの?」

「え……ああ、うん、まあ」


けれどその声とは裏腹に、泉希は何の気ない様子だった。拍子抜けすると同時、俺はアイちゃんに膝枕をされたまま「ほっ」と胸を撫で下ろす。


 「貴方って、本当に変わってるわね。耳掃除なんて痛いだけじゃない」

「いやいや、そんなことねーよ。確かに自分でやるときは何とも思わんけど、誰かにやってもらうのは気持ちいい」

「そうなんだ。なら私もやってみようかしら」

「おう、やってみやってみ」


俺はアイちゃんに「ありがとう」と礼を述べて、かなり後ろ髪を引かれつつ彼女の膝から頭を上げた。


 「じゃあ羽鐘はがねさん、耳かき棒を貸して」

『承知いたしました。どうぞお持ちください』

「……へっ?」


だが俺の予想に反して、泉希はアイちゃんから耳かき棒を譲り受けた。そして白衣姿のまま、アイちゃんと入れ替わるようベッドに腰を降ろす。ついさっきまでバチバチと火花を散らしていたのに、何故今はそんな仲良しなんだ。


 「反対側の耳がよね。私はそっちを掃除してあげる」


にこり。屈託ない笑みを浮かべて泉希は俺の耳を摘まむと、力一杯に耳を引っ張って俺を膝の上に寝かせた。


「えっ、『やってみよう』ってそっちのこと?! つーか大丈夫なの? すごい不安なんですけど!」

「大丈夫よ、薬剤師なんだから。ちゃんと耳の構造も勉強してるし」


自信満々な笑みを浮かべながら、泉希は腕捲りして耳かき棒を握りしめた。俺を寝かせる素振りにも微塵と優しさ感じられないから不安だ。とはいえ「薬剤師だから」という泉希の言い分ももっともか。

 それにここで断ると、また変に話がこじれる恐れもある。俺ははらを括り彼女に身を委ねた。白衣のまま耳掃除されるのは、どことなく医療行為のように思えて落ち着かないけれど。


 「それじゃあ、行くわよ」


だがそんな俺の不安など知る由もなく、泉希は意気揚々と耳かき棒を掲げて勢いよく俺の耳に突っ込んだ。

 

 ――ぞりっ!


肉壁を抉る不気味な音が頭の奥にまで響いて、激しい痛みに俺は言葉に出来ない絶叫を上げた……。



 ◇◇◇



  「――……ごめんなさい」

「い、いや、大丈夫。鼓膜は無事だったしな」


シュンと項垂れる泉希を前に、俺は冷やしたタオルで耳を押さえる。

 泉希の一撃は耳の壁を引っ掻いただけで鼓膜まで到達していなかった。大事はないと思うが、念の為アイちゃんが薬を買いに行ってくれている。


 「本当にごめんなさい。だけど、やっぱり耳掃除なんて痛いだけじゃない。何より危険だし。これが気持ち良いとはとても思えないわ」

「そんなことねーって。コレはただお前の力加減が間違ってただけだ」

「本当に?」

「本当ホント。試しに俺がやってやるから、ちょいとココに寝転んでみ」


言いながら俺はベッドに座り、自分の膝をポンポンと叩いてみせた。


 「え、そんな……男の人に膝枕してもらうなんて恥ずかしい……」

「さっき俺のこと膝枕しとったくせに、なにを今更恥ずかしがる。ほれ、早う寝転びんさい」


モジモジと手遊びして躊躇ためらう泉希。その腕を引いて、俺はなかば無理矢理にベッドの上へと彼女を転がした。

 

「え、ちょ、本当にするの?!」

「とーぜん。だから覚悟を決めるのだ」

「や、優しくしてね?」

「分かってるって」


ぎゅっと固く瞼を閉じた泉希の耳に、俺はゆっくりと竹のさじを挿し入れた。

 最初こそ怖がりビクついていた泉希だが、耳殻の外側や浅い箇所から順に撫でるにつれ、少しずつ強張こわばりが抜けていった。


「どうだ、痛くないだろ」

「うん……すごく気持ちいい」


トロンと溶けるような声で泉希は答えた。同時に、彼女の緊張も消えていくよう。


 「子供の頃にやってもらったのと、全然違う」

「あー、オカンの耳かきって痛いよな。『絶対耳クソ取ってやるからな~』って気概が滲み出てて」

「フフッ、なによそれ」

「あ、おい。笑ったら危ないだろ」

「ああ、ごめんなさい」


言いながらまだクスクスと笑う泉希に、俺は慌てて腕と共に耳かき棒を抜いた。

 

 「ねぇ」

「あん?」

「羽鐘さんにしてもらった時も、これくらい気持ち良かったの?」

「お前の感じ方が分からんから何とも言えんけど、少なくともオカンのよりは気持ち良かったな。あのまま寝ちまいそうになった」

 

あっけらかんと笑いながら俺が答えれば、泉希はさっきまでの明るい笑顔を忘れて身を捩り、華奢な身体を小動物みたく丸めてしまった。


 「羽鐘さんて、本当に色んな事が出来るわよね」

「ああ、そうだな」

「それに美人だし、胸も大きいし。それに比べて私は家事もろくに出来ないし、貴方に何もしてあげられなくて……どころか与えてもらうばかり。本当、ダメダメよね」


自嘲気味に笑うも、泉希は表情に暗い影を落として細い指に拳を握り込んだ。たぶんアイちゃんと自分を比べて卑屈になっているのだろう。

 俺は「ふむ」と鼻から息を吐いて耳かき棒を置き、膝の上にある彼女の頭をそっと優しく撫でた。


「そうだな。本当にダメダメな子だぜ、泉希ちゃんはよ」

「……そうよね」

「つっても、俺はそんなお前じゃねーとダメなんだけどな」

「……え?」

「どんなに料理が出来なくても、掃除がヘタクソでも泉希は泉希だ。お前が居てくれたから今の俺が在るんだから、それで最高だ」

悠陽ゆうひ……」

「たとえ何も出来なくたって構わない。だから他の誰かになろうなんて思うなよ。お前はお前だ」


ニカッと歯を剥き笑って見せると、泉希は少しだけ恥ずかしそうに頷き返した。


「けど、胸はもう少し大きくなっていいかもな」

「……それはセクハラよ、バカ店長」


プクッと片頬を膨らませる泉希に反し、俺は「ははは」と剽軽ひょうきんに笑ってみせる。そうして耳掃除を再開しようとするも、泉希は俺の手を取り包み込むよう握りしめた。


「泉希……」

「……」


俺達は会話をやめた。

 静寂が部屋の中を満たしていく。

 だが居心地の悪さや不安はない。

 どこか暖かく、安堵に心地の良い感覚。

 なんの飾り気も色気も無いひと時。

 それが堪らないほどに愛おしい。

 この瞬間が、永遠に続けばいいのに。


 ちょっとだけ、そう願った。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


調剤薬局に勤めていると、社員割引などで薬を安く買うことも出来るわ。割引率は各企業の規定によるけれど、ウチは原価分だけ支払えばOKなの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る