第18話 朝日向悠陽(太陽)

 朝日向あさひな悠陽ゆうひ


 この名前に見合うような存在になりたかった。

 太陽のように皆を照らしたかった。


 陽の光が無いと命は生まれない。生物は育む事も叶わない。

 太陽の光と熱は生命の源。全ての原動力。

 同じだと思っていた。俺の中でたぎる情熱を表せば、周りの皆も呼応してくれると信じていた。植物が光合成するように、従業員は俺と共に一層と上を目指して、大樹の如く薬局を育ててくれると思った。


 でも、それは間違いだった。


 どれだけ俺が強く言おうと、どれだけ俺が一人で頑張ろうと、結局は空回りに過ぎなかった。当時25歳。社会人としての経験なんて殆ど無いに等しい俺には、それが分からなかった。


 気が付けば一人、また一人と辞めていった。


 『ウチの息子と同じ歳のくせして偉そうにして』

『言い方が気に入らない』

『男のくせに』

『薬剤師でもないのに』


十人十色に不満を吐き捨てて、皆この薬局を去っていった。


 認めたくなかった。この薬局が無くなれば、俺は全てを失ってしまうのだから。

 認められなかった。この薬局を大きくすることが、俺の存在意義だと信じたかったから。

 認めてはいけないと思った。この薬局かいしゃが倒産でもすれば、従業員は仕事を失ってしまうのだから。


 それは本心だった。嘘偽りなく。でも結局はすべて俺の傲慢……自意識過剰にすぎなかった。そもそも医療に従事する女性が路頭に迷うことなど有り得なかった。培われた知識と技術、資格やバイタリティを武器に、働く場所など幾らでもあった。

 彼女らが仕事に求めていたのは、店を大きくすることではなく居心地の良さだった。従業員が半分も辞めた時、俺は漸くとそれに気付かされた。


 ほかでもない、泉希みずきによって。


 「貴方は、まるで砂漠の太陽ね」

「どういう意味ですか、水城みずしろさん」


当時、俺は彼女を苗字で呼んでいた。

 距離感も今よりずっと遠い……というより、俺は泉希のことが苦手だった。

 泉希だけじゃない。俺は自分の店の従業員を誰も信用できなくなっていた。とくに薬学部だいがくを中退したことがコンプレックスで、薬剤師とは勝手に溝を作っていた。


 「太陽はとても大切なものよ。私達が生きる上で欠かせない。ビタミンDを作ったりセロトニンの分泌を増加させたり……だけど太陽の輝きは、時に人を殺すほど危険なものよ」

「何が言いたいんですか!」


冷静な彼女の言い回しが、まるで俺のことを小馬鹿にしているみたく思えて、俺は手に持っていた書類を床に叩きつけた。


 「言った通りよ。今の貴方はまるで砂漠の太陽。焼けるような熱と光にみんな辟易へきえきしているし、怒りさえ感じているわ」


それでも泉希は冷静に、それこそ水面みたく穏やかな声で答えた。けどその落ち着いた様が、尚一層と俺を苛立たせる。


「じゃあ、どうしろって言うんですか」

「少しでいいの。ほんの少し、貴方のその光を弱めるだけで。私がこの店に入職した頃、貴方はもっと笑顔が多くて言葉遣いも穏やかだったわ。もう一度あの頃の貴方に戻ってみたらどうかしら」

「……っ!」


俺は何も言えなかった。図星だった。

 彼女の言う通り、この薬局に来た頃の俺にはまだ心の余裕があった。何も知らない俺を母が手助けしてくれたし、若気から俺は根拠のない自信に溢れていた。

 だけど入職から半年もすれば、そんなハリボテの自信など呆気なく崩れ去った。

 自分の親ほど年の離れた職員らを、薬剤師でない俺が指示し導くなんて……どだい無理な話だった。


 なにより……孤独だった。


 仕事の愚痴をこぼせる相手も、不満をぶちまける相手も、一緒に飲みに行ける相手も居ない。思うことがあっても押し殺して、馬鹿にされても涙を呑んで、いつしか俺は笑うことを忘れていた。

 

 「貴方の光、私は嫌いじゃなかったから」


そう言うと泉希は、何事も無かったかのように仕事へ戻った。


 俺の中で、何かが変わった。


 激しく燃え盛る劫火が、降り出した雨に鎮火されたよう。乾ききった砂漠に、煌々きらきらと輝くオアシスが現れたかのよう。

 俺は少しずつ、泉希に心を開くようになった。

 母の真似をして泉希をファーストネームで呼ぶようになった。口では嫌がっていたけれど、まんざらでもないように思えた。

 彼女の言う通り、笑顔を意識して売り上げや薬局の成長を意識しないよう努めた。

 でも結局、職員は泉希以外辞めてしまった。新しく雇った事務員も薬剤師も、何故か皆逃げるように辞めていった。

 

 「貴方のせいじゃないわ。人間は、自分と異なるものを恐れたるだけ」


その時は意味が分からなかった。けど最後の薬剤師が辞める間際、新しく雇った職員に嫌がらせをして辞めさせていた事が分かった。

 以前までの俺なら、鬼の首をとったように怒っていたことだろう。だけど、その時の俺には泉希が居た。だから従業員らに怒りをぶつけることなく、穏やかにその後姿を見送れた。


 この地球に生きる全ての命は、太陽の光を必要としている。だけど同じくらいに水も必要だ。海という水が地球に届く太陽の熱を分散し大気の温度を調節してくれる。雲という水が太陽の光と熱を遮り地上に生きる生物を守ってくれる。


 乾ききった俺の心にも、泉希というオアシスが潤いを与えてくれた。


 だからこそ俺はこれ以上彼女と距離を縮めてはならない。俺が近付きすると、他の従業員と同じように彼女も去ってしまうだろうから。

 俺の熱が、彼女を涸らしてしまうから。


 だから、これで良い……これで良いんだ。


 泉希が居なくなれば薬局は元より……俺の心も、終わってしまうだろうから。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


医療従事者には気の強い方も多いわ。でも患者様の命や健康に関わるお仕事なのだから、それだけ気を張らなきゃいけないのよね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る