第17話 セクハラが怖くて社内恋愛が出来るかってんだ。したことないけど!

 「――ただいまー」

「お、お帰りなさい」


ポ〇リスウェットと果物のゼリーを買って戻ると、家の中から出迎えの声が響いた。泉希みずきは布団の中から、照れ臭そうに玄関先の俺を見つめている。

 薬局で勤め出してからは交通費と通勤時間削減のために一人暮らしを初めた。実家で暮らしていた頃もオフクロは働き詰めだった。家に帰れば誰か居てくれる……そんな当たり前のことが、なんだかとても嬉しい。

 

「汗かいて喉乾いただろ。今用意するからな」


なんとなくこそばゆい感覚に見舞われながら、俺は青いパッケージのポカ◯スェットを取り出した。キャップを外し錐で穴を開け、水洗いで削りカスを落とし、その穴へストローを挿し込む。再び蓋を閉めれば、簡易なストローマグの出来上がりだ。


「ほら、飲めるか?」

「ん……ありがと」


肩まで布団を被る泉希にストロー付きの飲料を差し出すと、彼女はゆっくりと起き上がった。俺の白いカッターシャツを羽織って。

 華奢な彼女にはやはり大きかったようで、ボタンを留めてもデコルテ部分がのぞき見えている。袖口からは細い指先だけが外に飛び出して、どことなく愛らしさが際立っている。

 ほんのり顔を赤らめ汗ばみ熱を帯びた姿も、どこか淫靡いんびで艶かしい。

 相手は病人。それも従業員だ。それは理解しているけれど、相手が泉希とあっては意識するなという方が無理というもの。

 

 「おいしい」

「そ、そうか。良かった! まだいっぱいあるから遠慮せず飲めよ!」


俺から受け取ったポカリのストローに口を付け、ちゅうと吸い込む姿も蠱惑的。邪な気持ちを誤魔化すよう、俺はわざとらしく大声を出した。そして泉希を見ないように視線を伏せる。


「ん?」


すると視界の端。布団の隙間から何やら見慣れない物が見えた。鮮やかな水色を呈すそれは、硬い布のようで綺麗な装飾があしらわれている。

 不思議に思いつつ摘み上げたそれは、あろうことかブラジャーだった。


 「あ、ちょっ、それはっ!」


言うが早いか、泉希は俺の手から水色のブラジャーを引ったくって無理矢理布団の中へと隠した。


 「こ、これはその……息苦しくて取っただけ! すぐ付けるつもりだったから!」


しどろもどろに釈明する泉希だったが、今の俺には微塵も届かなかった。なにせ俺の頭の中には『そのカッターシャツの下はノーブラなのか』という言葉だけが駆け巡っているのだから。まるでラブコメ漫画やアダルト映画のような状況に、俺の頭は瞬間湯沸かし器みたく煮え立つ。

 ゴクリ、と喉が鳴った。そして次の瞬間、自分でも訳のわからないまま泉希の両肩を掴む。彼女は細い肩がビクリと震やせ、一層と頬を紅潮させた。


「……」

「……」


驚きの様相を呈したまま、俺達は一言も発さず互いを見つめ合った。そうして彼女の大きな瞳を見つめていると、不意に泉希がまぶたをおろした。

 険しい表情も嫌がる素振りもない。むしろ穏やかにすら見える。これはつまり……なのだろうか。

 心臓の音が耳の奥に響いて、沸騰する俺の頭からますます思考と理性を奪い去る。

 俺は息を止めて、そっと泉希の唇に顔を寄せた。だが、その瞬間。


 ――ピンポーン!


鳴り響くチャイムの音に、俺は慌てて泉希から体を離した。

 「はーいっ!」と大声で玄関に返し、風邪っぴきの泉希と同じくらい顔を赤らめ、俺はそそくさと玄関に向かった。


「はいはい、お待たせしましたよ!」


冗談ぽく言いながら玄関を開けると、そこには鞄ひとつ携えるスーツ姿のアイちゃんが立っていた。


 『おはようございます朝日向あさひな店長。本日は御用命を頂き、有難うございます』



 ◇◇◇



 『――朝日向店長。御指示通り衣類の洗濯業務を完了いたしました』

「ありがとう、アイちゃん」


エプロン姿のアイちゃんに礼を言うと、彼女は丁寧に会釈を返した。

 彼女を呼んだのは、他でもないこの俺だ。

 今さっきスーパーへ行った際に明日の臨時休業を伝えた際、彼女に今から来てほしいと打診した。来てくれるだろうと予想していたが、まさか即答でOKしてくれるとは思わなかった。

 おまけに電話をしてから、まだ40分くらいだと言うのに。人間ならこうはいかない。アイちゃんを雇用したのは本当に正解だった。


 『では、次の御指示をお願いいたします』

「そうだな……泉希、何かアイちゃんにしてほしいこととか無いか?」

「……」

「泉希?」


俺達に背中を向けて横になっている泉希は、険しい顔つきでチラと横目に振り向く。


 「……どうして羽鐘はがねさんがいるの」

「俺が呼んだんだよ。俺じゃあ、してやれないこともあるだろ。汗拭いたりとか」

「だからって、今日は折角の……休みなのに」

『問題ありません。AIVISアイヴィスである私に労働法は適応されませんので』

「そういうことじゃ……ああ、もういいっ!」


突っ撥ねるように声を荒らげると、泉希は不貞腐れたように頭まで布団をかぶった。


 『朝日向店長。私の作業内容に、何か手違いなどありましたでしょうか』

「……いや、なにもないよ。これで良かったんだ」


不思議そうに首を傾げるアイちゃんの肩を叩いて、俺は彼女に「かゆでも作ってあげて」と頼んだ。

 泉希が憤る気持ちは、なんとなく分かる。けど、きっとこれで良かったんだ。


 体調を崩して体が弱っていると、泥酔状態みたいに自分でも思いもよらない発言をしてしまう。高熱を出した子供が急に暴れ出したり予想外の行動をとるよう、さっきの泉希も熱で脳がヤラレていたのかもしれない。

 もちろん、そうじゃないかもしれない。

 けど今の俺には、泉希の心を確かめる術も、それを受け入れる余裕も無いから。

 あの時アイちゃんが来てくれなかったら迸る熱に駆られて……俺はまた、取り返しのつかない過ちを犯すところだった。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


冷却シートはメンソールの効果で「ひんやりとして気持ちいい」感覚を与えてくれるわ。眠気覚ましに使う人も居るみたいね!

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