第15話 遠足の前に必ず体調崩す人って実はあんまり居なくない?

 訪れた泉希との約束の日。俺は薬局近くにある駅にやって来た。日曜日に通勤経路を使うのは出勤している気がしてどうにも落ち着かない。

 

 「それにしても泉希みずきのヤツ遅いな」


約束の時間は9時ちょうど。にも関わらず、既に5分の遅刻だ。俺ですら10分前には来ているというのに、何をしているんだアイツは。

 苛立ちと不安から喉が渇いて、俺はすぐ傍の自販機で缶珈琲を買った。


 「お、遅れてごめんなさい……」


自販機の取り出し口に手を入れた瞬間、俺の背後にか細い泉希の声が響いた。

 ようやくの到着にわざと眉間に皺寄せ振り返れば、そこには顔を赤らめ肩で息する泉希が居た。よほど急いだのか、髪はボサボサに乱れてゲンナリとしている。


「どうしたんだい泉希さん。珍しく寝坊かね」

「ええ、まあ……ごめんなさい、待たせて」

「それは良いんだけど、なんかお前顔赤くない? ちょっと駅前の喫茶店で休んでいくか?」

「だ、大丈夫よ。折角の休みなんだし時間を無駄にしたくないわ。さあ行きま――」


汗の浮かぶ赤らんだ顔に無理矢理と笑みを浮かべ、泉希は改札に向かった。だが数歩も進んだところで、足をもつらせフラついてしまう。


「危ねえ!」


俺は咄嗟に彼女の腕を取り支えた。だが泉希は筋肉が弛緩したよう、その場にへたり込んでしまった。


 「あ、ありがとう悠陽。でも大丈夫だから。早く行かないと、電車が来ちゃうわ」

「何が大丈夫だよ! お前フラフラじゃねーか! よく見りゃ顔も疲れきって……ていうかコレ、絶対熱あるだろ!」


座り込む泉希の前に膝を付け、俺は赤みを帯びる彼女の額に手を当てた。

 やっぱりだ。体温計を使わなくても分かるほど、泉希の体は熱を帯びている。眉間に皺を寄せて険しい様相を呈す俺に、泉希はバツの悪そうな顔で目を逸らした。


「ったく……今日は中止だ。家帰って寝てろ」

「い、いやよ! 絶対にいや! 私、今日のことずっと楽しみにしてたのに!」

「だからってその体じゃ無理だろ。チケットは今日じゃなくても使えるんだし、また今度にしよう」

「そんなの、いつになるか分からないじゃない! お互い仕事が忙しいんだし!」

「バカたれ。俺がお前との約束破るわけねーだろ」


不安げにかぶりを振る泉希の頭に、俺はポンと手を乗せ撫で叩いた。ようやくと落ち着きを取り戻し、泉希は上目遣いに俺を見た。


 「ぜったい、約束忘れない?」

「もちろん。なんなら水族館だけじゃなくて動物園でも植物園でも、いくらでも連れていってやる」

「本当に?」

「ああ。だから今日は一緒に帰ろう。な?」


まるで駄々っ子のような泉希に、俺も子供をあやすよう彼女の頭を撫でた。そうしてやっと納得してくれたか、彼女は唇を結んでコクリと頷く。


「迎えに来てくれる知り合い、居るか?」

「……いない」

「OK。ならばこの朝日向あさひな送迎社が、御自宅までお届けにあがりましょう」

「えっ!? 送るって、まさかウチに?」

「当たり前だろ。他にどこへ行くってんだ」

「駄目よ! 絶対ダメ! 掃除とか全然してないし服とかも放りっぱなしだから!」

「そんなこと言うとる場合か」


とはいえ今日の泉希は明らかにおかしい。熱のせいだとは思うが、いずれにせよこれ以上駄々をねられても困る。ここは言うことを聞いておこう。


「じゃあ、俺のアパートならいいか。ここから歩きで20分くらいだ」

「貴方の、家?」

「おう。やっぱり俺の家はイヤか?」

「……ううん。行く」


ほうけた目で俺を見つめる泉希は、赤い顔を一層と熱に染め上げながら、囁くように答えた。


「じゃ、決まりだな!」


言うが早いか、俺は泉希に背を向けその場にしゃがみこんだ。


 「なに、それ」

「おんぶだよ。さっき言っただろ、送迎社だって」

「お、おんぶって! でも、ここから貴方の家まで20分も歩くんでしょ。そんなの悪いわよ」

「大丈夫だって。この体勢で居る方がしんどいわ。いいから早く乗れ」


トントンと自分の背中を叩くと、泉希は戸惑いつつも俺の背中に体を預けた。


「よっと」


細い体だ。体重も軽い。俺は苦もなく立ち上がり、背中の泉希に響かないよう静かに足を踏み出した。


 「お、重くない?」

「重たいに決まってんだろ」

「え……あ、や、やっぱり自分で歩く!」

「おい暴れんなって! 質量的な意味じゃねーよ。重いっていうのは全部だよ、お前の全部」


俺の言葉の意図を理解できず、泉希は背中の上で首を傾げた。俺は一旦立ち止まって汗を拭い、泉希を背負う位置を少しだけ変えた。


「背負ってるモンが大切なほど歩く速度は遅くなる。弱音も簡単には吐けなくなる。なにより絶対に降ろしたり出来ない。だから重い。けど、たとえお前がパンダ並みの体重だろうと、俺は一生背負い続けてやる」

「……よくわかんない。パンダの重さとか」

「ははっ。実は俺も」


柔らかな泉希の声に答えると、俺たちはどちらからともなく笑い出した。そんな俺達の姿をすれ違う通行人らが怪訝そうに見遣る。だけどそんな冷ややかな視線なんて、今の俺には屁でもなかった。


 「……ねぇ」

「なんだ」

「今日、仕事じゃないよね」

「当たり前だろ。日曜なんだから」

「じゃあ今日だけは、名前で呼んでいい?」

「そのような期間限定サービス、弊社では実施しておりません。いつでも好きなように呼べ」

「……うん。ありがとう……悠陽ゆうひ


囁くように俺を呼べば、泉希は俺の首元に腕を回して押し付けるようにぐっと身を寄せた。


 「俺からも一つ聞いていいか?」

「なに?」

「お前、意外と胸あるのな」

「……馬鹿。セクハラ魔王」


弱々しくも憎まれ口を返しながら、泉希は後ろから思い切り俺の耳を引っ張った。だがその指先にいつものような力を感じない。


 「あのね」

「うん?」

「今日、パット入れてる」

「……さいでござんすか」


俺は少しだけ、歩調を速めた。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


調剤薬局や病院は御高齢だったりお身体の不自由な患者様の為に、タクシーを手配することがあるわ。中には送迎サービスを設けている病院もあるの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る