第14話 ペアチケットって同性同士で使っても問題ないのかね

 「ひとつ、君と賭けをしたいんだ」


そう言って差し出された白い封筒。それを目にした瞬間、俺は嫌な予感がしてならなかった。


「賭けって……なにバカなこと言ってるんですか。そんな提案、俺が受けるわけないでしょう」

「そうかい。なら君と一晩過ごしたことを、今ここで彼女に言おうかい?」


調剤室で電話をかける泉希みずきを一瞥して、片桐たゆねは俺の耳元に唇を寄せて怪しげにささやいた。まるで楽しむような彼女に反して、俺の身体からは一気に血の気が引いていく。

 泉希は真面目な性格だ。俺がアイちゃんの胸を見ていただけで憤慨するくらいに。そんな泉希に『居酒屋で知り合った見ず知らずの女性といつの間にか一緒のベッドで寝ていた』などと知られたら、彼女は俺を軽蔑して辞めてしまうかもしれない。

 唯一の薬剤師である泉希が辞めれば、俺もこの店も終わりだ。【朝日向あさひな調剤薬局】の名を轟かすという俺の野望のためにも、この怪しい誘いを断る訳にはいかない。

 複雑な想いを抱きつつ、俺は片桐たゆねの封筒をぶっきら棒に奪い取った。見ればハートのシールで封をされている。どことこなく小馬鹿にされている気分だ。

 

 「それで、賭けの内容は?」


神妙な面持ちを浮かべる俺に反し、片桐たゆねはニコニコと笑顔を崩さない。御釈迦さま掌にイタズラをする孫悟空が思い出された。


 「この封筒の中に入っている物を君が『欲しい』と言えば、あるいは期日までに私に返却できなければ私の勝ちだ」

「……えっ、それだけですか?」

「そうだよ。反対にこの封筒の中身をそのまま私に返すことが出来れば、賭けは君の勝ちだ」


驚くほど簡単なルールに、俺は緊張の糸もほどけてキョトンと間抜けな面を晒す。


「因みに封筒の中身は、金券や小切手など金銭的なものじゃないよ。あ、でも中身は必ず確認してね」

「はい……分かりました」


どのみち中身を確認しないことには、突き返すことも出来ないからな。とりあえず金銭絡みじゃないようで一安心だが。


 「お待たせ致しました」


そうこうしている間に、泉希が預かっていた処方箋と地図を片手に戻って来た。


 「ここから20分ほど歩いた場所にある【キングファーマシー】さんが、この薬をお持ちのようなので片桐様がお越しになられること伝えています。この処方箋はあちらの薬局さんで御提示ください」

「分かりました。ありがとうございます」


淑やかな振舞いで処方箋を受け取ると、片桐たゆねは柔和な笑顔で応えた。


 「そうだ。次回はこちらで薬を頂きたいのだけど、用意して貰えますか?」

「え、ええ。大丈夫ですよ。では恐れ入りますが、患者様のご住所やご連絡先を登録をさせて頂いても宜しいでしょうか」

「ええ、構いません」


問診票に住所や氏名、保険番号など必要事項を記入して泉希に渡すと、片桐たゆねは終始笑顔を崩さず軽快に手を振り店を後にした。

 

 「ねえ」


そうして片桐たゆねの姿が見えなくなったと同時、何故か泉希が頬を膨らませ俺の白衣を引っ張った。


「さっきの患者さんと随分親し気だったじゃない。どういう関係なの」


氷柱つららのように冷たく尖った視線。ついさっきまでの余所余所しい態度とは打って変わって、普段の調子を取り戻したようだ。


「……別に。ただの知り合いだよ」

「それにしては随分と距離が近かったわよね」


眉根を寄せて訝しむ泉希に、今度は俺が目を泳がせ粘りつくような汗を流す。


 「その封筒、なに?」

「え、ああ。これは……」


俺が手にしている封筒を、泉希は値踏みするようにまじまじと凝視する。


「ハートの封って……まさか、ラブレター?!」

「そんなワケねーだろ」

「そ、そうね。貴方にラブレター送る物好きなんて他に居るわけないし……で、でもわざわざハートのシールを貼るなんて……」


訝しむ泉希が突き刺すように白い封筒を睨む。

 もはや背に腹は代えられない。誤解を解くためにも封筒を開示しなければ。中身が何なのかは分からないけど、片桐たゆねの言動を考えるに少なくともラブレターではないはずだ。なか自棄ヤケになりつつ、俺はハートの封を剥がして中身を取り出す。


 「これは……」


そうして封筒から取り出したものは、有名な水族館のチケットだった。それもペアチケット。まさか俺と一緒に行きたいからと、封筒に入れて渡した……なワケないか。

 下らない妄想を笑い捨て、俺はチケットを封筒に戻そうとした。

 

 「それ、前に私が行きたいって言った水族館!」


だがその刹那、泉希が嬉々と声を張った。驚き目を高速開閉する俺に反し、彼女は目を爛々と輝かせ俺の手にある封筒を覗き込む。


 「もしかして、私がこの水族館に行きたいって言ったから買って来てくれたの?」

「え?」

「お酒の席だったしメッセージでも『忘れて』って送ったのに。それもペアチケットなんて……本当に嬉しい! ありがとう!」

「お、おう……」


まるで子供みたく喜ぶ泉希の姿に、チケットを得た経緯や賭けの事を打ち明ける勇気など俺には無かった。というか、昨日のメッセージはそういう意味だったのか。酒のせいで全然覚えてなかった。


「まあいいや。じゃあ、今度の休み一緒に行くか」

「うん!」


今年一番の……いや、俺が見た中でも最上級の笑顔で泉希は頷いた。

 余程この水族館に行きたかったのだろう、泉希は鼻歌混じりで調剤室へ戻った。

 そんな彼女の後ろ姿を見ると、嘘を吐いた事実と彼女の御願いを覚えていない自分の不甲斐なさに、俺は胸の締め付けられる想いだった。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------

今回登場した『キングファーマシー』さんはこの話の前々々作に登場しているわ! 良ければ以下のリンクから読んでみてね!


『最近雇ったウチの事務員が可愛くて仕方ない』

https://kakuyomu.jp/works/16816927862354159053

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る