第9話 結局真面目な男よりちょっと悪いヤツのが好きなんでしょ! フンだ!

 それは業務中に起きた出来事だった。


 メインの処方元である整形外科が、明日は院長が学会に参加されるらしく臨時的にお休みとなった。おかげで明日来ようと考えていた患者様は今日お見えになられて、ウチの業務も忙しくなった。

 祝日の前後は大体そんな感じだけれど、心なしかいつもより忙しい。とりわけ泉希は一人で調剤業務と服薬指導をしてくれているから、本当に目の回る思いだろう。


「アイちゃん。悪いけど俺が受付に居ない時は、君が泉希のレジフォローに入ってあげてくれないか」


泉希の負担を少しでも減らそうと思い、短い午後の診療が始まる前に俺はアイちゃんに打診した。

 調剤薬局では、薬剤師が服薬指導を行なった後に事務員が会計をする店舗が多い。これは薬剤師の工数(業務負担)を少しでも減らそうという意味合いが大きい。ウチも泉希が服薬指導を終えた直後、俺が彼女と代わり会計処理を行っている。

 だが他の患者様のお相手をしている時や、配送の受け取りをしている時などは泉希がそのまま会計もしてくれる。

 とはいえ今日みたく患者様が多いとその負担もバカにならない。そこでアイちゃんに『俺が居ない時のレジフォロー』をお願いしたのだ。


「どうかな、アイちゃん」

『承知致しました。それでは水城先生が服薬指導を終えた時点で朝日向店長が受付に居られない場合、私が会計処理を実行致します』

「ありがとう。頼むよアイちゃん」


微笑み返す俺にアイちゃんもペコリと小さな会釈で返した。まだ数日しか経っていないけど、すっかり『アイちゃん』という名前が板についてきた。


 「ちょっと悠陽。本当に羽鐘さんにレジもお願いするつもりなの?」

「ああ」

「私は今まで通り調剤補助だけでいいと思うけど。実際、負担は少なくなって充分助かってるし」

「けどお前がレジに取られる時間は、その分調剤が進まなくなって他の患者様を待たせることになる。何よりお前の負担を少しでも減らしたい。そのためにアイちゃんに来てもらってるんだし」

「だけど……」

「大丈夫だって。俺も居るんだから、毎回レジに入るわけじゃないし」


不安そうな泉希を安心させる意味でも、俺は笑いながら彼女の頭を撫で叩いた。それでも泉希は何か言いたげだったが。まったく心配性なヤツだ。



 ◇◇◇

 


 「お前なー! もっと愛想よくしたらどないやねん! それでもサービス業か!」


もうすぐ19時になろうかという頃。御年配の男性患者様が、突然とアイちゃんを怒鳴りつけた。

 俺や泉希、待合室にいる他の患者様たちもギョッとしてレジ前の男性患者様に視線を集中させる。


 『申し訳ございません』


憤りを露にする男性患者に反して、アイちゃんは微塵とも表情を崩さずにいつも通り丁寧な振る舞いで頭を下げた。


 「すみませんとちゃうやろ! ホンマお前ええ加減にせぇよ! 姉ぇちゃん!」

『申し訳ございません』

「だーかーらー! その人形みたいな顔と言葉遣いをやめ――」

「あーすみません、すみません! 彼女まだ新人なもんで、緊張してるんですぅ~」


カウンター越しの患者様とアイちゃんの間へ割って入り、出来る限りの笑顔を装って俺は平謝りした。


 「はぁ~!? 新人とか何とか関係あるかい! 退いとけや!」


中年男性は俺を無理やり押し退けるとアイちゃんの白衣に手を伸ばし、彼女の胸ぐらを掴んだ。瞬間。俺の脳内で何かがプツンと弾ける。


「……おい。待てや、おっさん」


気付けば俺は中年男性の手首を思い切り掴み、眉を顰めて睨みつけていた。


 「な、なんやねんお前!」

「なんやねんじゃねーよ……ウチの大事な従業員に、なに手ェ出してくれてんだ!」


声にドスを利かれば、男性の手首を掴む手にも力が込められる。男性患者様は「痛い痛い!」と叫んで身をよじった。


 「ちょっ、落ち着いて! ストップストップ!」


泉希の制止で我に返った俺は、すぐさま患者様に「失礼しました」と頭を下げる。

 患者様は「二度と来るか! こんな薬局!」と吐き捨てるだけでお帰りになって下さった。大事にならず済んで良かったが、そんな光景を見ていた他の患者様も「よそでお薬を貰うから」とお帰りになられてしまった。


「……やっちまった」

「お馬鹿。すぐにカッとなるんだから」

「……ゴメン」

「私に謝っても仕方ないでしょ」

「……ごめん」


深い溜息を吐く泉希に、俺は追い打ちをかけられたみたく消沈してしまう。そんな俺の隣に、アイちゃんが寄り添うよう立った。相変わらず無表情のままだけど。


 『申し訳ございませんでした朝日向店長。私の接遇に不手際があったこと、お詫び申し上げます』

「そんなのいいのよ羽鐘さん。このお馬鹿が勝手にやったことなんだから。それより悠陽、やっぱり羽鐘さんにレジフォローは荷が重いわよ。今まで通り調剤補助を専門にしてもらいましょう」

「いや、でもそれだとお前の負担が……」

「まだそんなこと言ってるの? さっきあんなことがあったのに。羽鐘さんからも何か言って頂戴」

『いえ。私は朝日向店長の指示に従います』


断ち切るようなアイちゃんの即答に俺も泉希も目を見開いた。直後、泉希の眉尻と頬がピクリと動く。


 「で、でも羽鐘さんだって怖かったでしょう?」

『私に感情はございません。御命令とあらば、指揮命令者である朝日向店長の指示に従うのみです』


言い切るアイちゃんに俺は呆気に取られてしまった。同時に、泉希の眉と頬がまるで痙攣しているかのようにピクピクと動く。


 「それって、要するに『私の言う事は聞けない』って意味かしら?」

『いえ。私の指揮官が朝日向店長にあるという意味です。こちらの薬局内において、朝日向店長の命令は全てにおいて優先されます』

「な、なによそれ! じゃあ悠陽が脱げって言ったらここで裸にもなれるわけ!?」

『はい。御命令とあらば』

「なんやてっ!?」


怒りのボルテージを増していく泉希に反して、アイちゃんは至って冷静。それが起爆剤となったか、俺の泉希は俺の両耳を思い切り引っ張りやがる。


 「フン! だったら二人して仲良くスケベなことしていればいいじゃない! どうせ私は色気も魅力も無い、まな板小姑こじゅうとよ!」

「誰もそんなこと言ってないだろー、泉希ー」

「うるさい! 名前で呼ばないで! いいわよいいわよ! どうせ私なんか!」


プイッとそっぽを向いて泉希は一人調剤室に入っていった。こうなった時のアイツは聞く耳を持たないからな。


「……仕方ねーな」


痒くもない頭を掻きながら、俺は店の壁に掛けている時計に視線を向けた。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


お薬を作る(準備する)調剤の工程後は必ず監査と呼ばれるチェック作業が入るわ。ウチも監査装置を設置しているけど、羽鐘さんの方が早くて的確よ!

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