第4話 バカでスケベな守銭奴です

 派遣薬剤師の羽鐘はがねさんがウチの薬局みせに来てから、早いもので1週間が経過した。


 結論から言うと彼女は優秀だった。どころか俺の想像をゆうに超えていた。


 契約書の通り『服薬指導をしない』という制限はあるものの、それ以外の業務はほぼ完璧。一度教えたことは間違いなくこなせるし、言葉遣いはお手本のように丁寧。おまけに腰も低い。

 ただ声にはあまり抑揚が無くて、笑顔も苦手なのか常に無表情だ。だからといってコミュニケーションが全く取れないわけでもない。

 格安の派遣料だったから一体どんな人が来るのか不安だったけど、これは杞憂に終わりそうだ。


「いやー、本当に雇って正解だった!」


受付で処方箋の整理をしながら、患者様の居ない店内で鼻歌まじりに呟いた。

 ウチが処方箋を受けている整形外科さんは、この時間帯が休診時間になる。その隙を狙って俺たちも順次休憩を取っているのだ。因みに今は羽鐘さんが昼休憩中。

 診療所と違い薬局には休診時間などというものは無く、基本的に朝から晩まで開けている。

 ただメインとなる診療所が午後の診察を開始するまで、患者様は殆ど来られない。おかげでこんな風に雑談も出来るのだ。


 「……良かったわね」


忙しい薬局業務の中で唯一と言って良いほど気楽に居れる時間だと言うのに、泉希みずきは何故か仏頂面で不貞腐れている。


「なに怒ってんだよ」

「別に、怒ってない」


言いながら泉希は不機嫌に唇を尖らせて、俺の方を見ようともしない。延々とノートPCを睨みつけるばかりだ。


「なんだよ。羽鐘さんに文句でもあるのか」

「ある訳ないでしょ、そんなの」


溜め息混じりにウンザリした様子で、泉希はタイピングの手を止めた。


 「彼女は本当に優秀よ。誰かさんと違って、素直だし文句も言わない。ピッキングも監査も的確だからこの1週間はミスがひとつも無かったわ。彼女が来てくれて私は本当に助かってる」

「じゃあなんでそんな不機嫌なんだよ」


何気なく聞き返せば、泉希はギロリと俺を睨みつけズカズカと俺の前に立った。そして唐突と俺の両耳を引っ張りやがる。


 「貴方があの子の胸ばかり見てるからでしょ!」


ギクリッ。激しい動悸を伴い俺は背筋を震わせた。粘り気のある汗が全身から噴き出て、意図せず視線が泳いでしまう。


「ミ……ミテナイヨ! ボク、ムネナンテ、イチドモミテナイヨ!」

「なにその分かりやすい嘘。貴方あの子と喋る時に鼻の下伸びてることに、まだ気付いてないの?」

「マジすか」


意外な事実に俺は腹の底から声を上げた。

 そんな俺を腐った生ゴミを見るかのように、泉希が軽蔑の視線を向けてくる。そうしてやっとこさ可愛い俺の両耳を解放した。


 「とにかく、私も羽鐘さんには長く続けて欲しいと思ってるんだから、間違ってもセクハラなんかして怒らせないでよ」

「せ、せんわい! 俺を何だと思ってンだ!」

「馬鹿でスケベな守銭奴ドケチ男」

「わ~、上司に面と向かって悪口言うとか新しい~」


冗談っぽく笑ってみせる俺を尻目に、泉希はノートPCを開いて作業を再開した。

 それにしても、俺が羽鐘さんの巨乳に目を奪われていることがバレていたなんて。その程度でセクハラにはならんと思うが……気を付けよう。

 それに泉希の言うことも一理ある。優秀で美人な彼女には是非ともウチで働き続けてほしい。楽しく働いてもらって、今後も契約を続行してほしい。


「泉希。俺ちょっち出てくる」


それだけ告げると、俺は店から歩いて10分ほどの場所にあるカフェチェーンまで行き、断腸の想いでお高価めの紅茶と珈琲を買った。いまさっき泉希に『守銭奴ドケチ』と言われた事もあるが。今日明日はもやし炒めに決定だな……。



 ◇◇◇



 折角のお高価い珈琲だ。冷めない内にと急ぎ足で店へ戻ると、羽鐘さんが休憩を終えて戻っていた。


「お帰り、羽鐘さん」

『はい。先ほど昼休憩より戻りました、店長』

「そっか……はい、コレ」

『こちらは?』

「珈琲だよ。いつも頑張ってくれてる御礼」

『恐れ入ります。ですが調剤室での飲食は禁じられております。また契約外の報酬を得ることは弊社の服務規程にも違反します』

「報酬とかそんな大層なモンじゃないよ。ちょっとした気持ちみたいなモノだから」

『しかし――』


頑なに受け取ろうとしない羽鐘さんに、俺は強引に珈琲を持たせようとした……が、その直後。


 ――バシャッ!


あろうことかカップの蓋が外れて、羽鐘さんの髪と白衣に掛かってしまった。


 「ちょっと! 何してるのよ!」

「ゴ、ゴメン羽鐘さん! 火傷やけどしてない?!」

『はい、問題ありません』


慌てふためく俺や泉希に反して、羽鐘さんはひどく落ち着いていた。どころかまるで何事も無かったかのように、眉一つ動かしていない。


「問題あるわよ! 事務所にシャワーがあるから、髪についた珈琲だけでも落としてきたら!?」

『ですが現在は業務中です。私はこのままでも支障ありません』

「いや支障あるって! 泉希の言う通りシャワー浴びて、服も着替えてきて!」

『それは業務命令でしょうか』

「もうそれでいいから! お願いだから早く!」

『承知致しました。ではこれより事務所シャワーを用いてボディの洗浄、および衣類の換装を実行します』


俺に背中を押されて、羽鐘さんはようやくと事務所に向かった。良かれと思って差し入れをしたのに、まさかこんな事になるなんて……。

 俺は愕然と肩落とした。泉希は買ってきた紅茶を啜りながら、ジトリと呆れた風に俺を見つめる。


「……今はなにも言うな」

「言わないわよ。それより、彼女タオルの場所とか知ってるの?」

「あっ! そういえば!」


ハッと気付いた俺は店を飛び出し、マンション2階にある事務所へと向かった。

 コンコンッ! と強めに玄関ドアをノックして、室内まで声が通るようドアに顔を近づける。


「ごめん羽鐘さん! 入っても大丈夫!?」

『はい、問題ありません』


冷静な声がドア越しに返された。まだシャワーを浴びていないあたり、やはりタオルの場所が分からなかったのか。


「ごめん羽鐘さん。タオルの場所を伝えて――」


その瞬間。俺は言葉を失った。

 なにせ俺の目の前には、一糸纏わぬ裸の羽鐘さんが立っているのだから……。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


調剤薬局は原則、病院から出される処方箋に沿ってお薬を調剤してるの。多くの薬局はメインとなる処方元の病院が決まっているわ。

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