第2話 人手が全然足りてまへん

 「い……一番大切ってどういう意味?」

「決まってるだろ。いいか泉希、俺は――」


俺は椅子から立ち上がり泉希の華奢な肩に両手を置いた。泉希は頬を桜色に染めて、ギュッと固くまぶたを降ろす。

 そんな彼女の顔へそっと静かに口元を寄せた、その直後。俺は彼女の肩を抱き寄せ二人並ぶよう隣に立った。

 泉希は固く閉じたはずの眼を開き、呆気に取られた様子で傍らの俺を見上げた。


「――俺はいつかこの薬局みせの名を日本中に轟かせる! そのためにも従業員は欠かす事の出来ない大切な存在だ! お前はウチで唯一の従業員だから自動的に一番大切ってワケだな! おめでとう!」


唖然とした様子で口を開く泉希に、俺は日頃の礼を込めて賞賛の拍手を送った。笑顔で手を叩く俺とは裏腹に、彼女は白い眼で俺をめつける。


 「……はぁっ」


店長からの貴重な称賛だというのに、肩を落とす泉希は店の奥にある調剤室へと引っ込んだ。

 

「あ、ちょっ、どうしたの泉希さん! あんまり溜め息ばかり吐いてると幸せが逃げていくわよ!」


冗談交じりに叫ぶも泉希は目線一つ返してこない。

 というかアイツ、さっき俺を名前で呼んでたよな。自分のことは『名前で呼ぶな』と怒るくせに、勝手なヤツだなまったく。


「ま、何にせよ早く薬剤師は見つけんとな」


自分に言い聞かせるよう呟き、俺はまたPCの画面にかじりついた。さっきは冗談ぽく誤魔化したけど、泉希を大切に想っているのは本当だ。

 ただ一人辞めず今も尚この店に残ってくれている泉希。そんな彼女の為にも、一刻も早く新しい薬剤師を雇いたい。

 だがそんな俺の想いを嘲笑うかのごとく、未だに面接はおろか応募の一つとして来ていない。もはやわらにもすがる思いで、こうして今も求人情報サイトに念を送っているという訳だ。


 「ちょっと、馬鹿店長」


そんな最中、泉希が俺を呼んだ。何かと思って振り返れば、俺の目の前にA4用紙を突き出して。


「なんだよそれ。つーか、誰が馬鹿店長だ」

「他に誰が居るのよ。いいから見なさい馬鹿店長」


差し出された紙を受け取れば、それは薬剤師を派遣している企業の広告だった。


 「そんなに人が来ないなら、取り敢えずその会社を使ってみたら?」

「いやでも派遣なんて、下手すると社員を雇うよりコスト掛かるんだぞ。今のウチにそんな余裕はありませんわよ」

「そうでもないのよ。ほらここ」


泉希は俺の持っている用紙を覗き込み、細く綺麗な指を這わせた。同時、記載されている派遣料金に俺は思わず目を見開いた。

 

「い、1時間あたり一律2000円?! これ本当に薬剤師の派遣料金かよ!? そこらの薬剤師派遣なら最低でも5000円以上かかるぞ!」

「書いてある通りよ。この会社なら普通に雇うよりも低コストで済むんじゃない?」

「たしかに安いけど、ちょっと怪しくないか。絶対に裏があるぞコレ」

「それは多分、これが理由ね」


息が掛かるような距離まで近づくと、泉希は指先で文面をなぞった。


 〈〈※当社が派遣する職員には、絶対に服薬指導をさせないで下さい※〉〉


小さく記載された注意事項。途端に高揚する気持ちが萎えてしまった。


「なんじゃ、この文言もんごん

「たぶんだけど、対人スキルに乏しい薬剤師を集めたんじゃないかしら」

「……そーゆーことね」


すっかり白けた声で俺は答えた。

 店舗勤務の薬剤師にとって、患者様と対面し薬の説明をする『服薬指導』は最も重要な業務だ。同時に一番大変な業務でもある。

 患者様の中には無理難題を仰る方や言葉遣いが乱暴な方も居られるから、コミュニケーションが苦手な者にとってはストレスでしかない。

 

「派遣料が安い理由は分かったけど、服薬指導できなかったら意味ないだろ。結局お前の負担は変わらないだろが」

「そんなことないわ。調剤と監査の負担が減るだけでも私は大助かりよ。試しに3ヵ月だけでも契約してみたらどうかしら?」

「うーん……」


煮え切らない態度で腕組する俺は、結局その場で結論を出せなかった。

 たしかに派遣社員を登用するのは手軽だし確実な方法だが、原則的に面接をしてはいけない点や契約期間が終われば辞めてしまうリスクもある。

 だが様々な現場を経験し百戦錬磨のスキルを持つ派遣さんが居るのも事実。

 なにより、泉希の業務負担が減ること以上に勝るものなど無い。


「……よし!」


はらを決めた俺は、その日のうちに派遣会社へ連絡を入れた。

 翌日には恰幅かっぷくの良い女性営業が薬局みせに来て派遣サービスの説明が行われた。

 派遣社員を雇用するのは初めてなので詳しいことは分からなかったが、書面内容が賃貸契約のようで少し不思議だった。

 とはいえそれ以外に不審な点は無いし、派遣料金は一時間あたり2000円と広告に記載の通り。契約期間も三ヶ月更新と一般的で。


 ただ営業さんが帰り際に『来週から薬剤師を派遣しますが、絶対に服薬指導はさせないで下さい』と念を押してきた。彼女の圧迫感もさることながら、派遣されてくる人物はよほど対人スキルに難のある方なのかと、少しだけ心配になった。


 そして2週間後。いよいよ派遣社員さんの初出勤日となった。一体どんな変わり者が来るのかと不安を覚えつつ、俺はいつも通り店先で開店前の清掃をしていた。その時だった。


 『お忙しい所を恐れ入ります。こちら朝日向あさひな薬局さまでお間違いありませんか』


とても落ち着いた若い女性の声が背中越しに響いた。

 おそらく派遣の薬剤師さんだろう。意外と利発的な声で挨拶もキチンとしている。これは嬉しい誤算かと期待を胸に振り返った、その瞬間。俺は思わず声を失った。


 『お初お目に掛かります。SF派遣サービスより参りました、羽鐘はがねと申します』


なにせ俺の前に現れたのは、息を呑むような絶世の美女なのだから。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


調剤薬局は基本的に『待合室』『受付』『調剤室』という具合に仕切られているわ。調剤室というのは薬を保管したり準備する部屋のことよ。

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