第27話:SideGM ゲームを統べる者の末路



「ば、化け物……、なんだよあれ……」


 目の当たりにした映像が信じられず、野間が震える声で呟いた。

 手にしていた携帯電話をソファに放り投げるのは触れるのも恐ろしくなったからだ。携帯電話は関与していないと分かっているが、それでも陰惨な光景と自分を繋げているように思えてならない。

 その恐怖心を汲んだのか偶然か、ソファに放り投げられた携帯電話が再び振動を始めた。画面に映るのはまたも同じ社名だ。

 野間が引きつった悲鳴をあげた。「ひぃいい!」と細く高い悲鳴は男らしさの欠片もなく、腰を抜かしかけながら部屋から出ようと立ち上がった。


 どこかに逃げなければ。

 部屋を出れば住民が居るはずだ。誰も居らずともエントランスホールまで下りればコンシェルジュが居る。

 この際だ、警察に通報されても良い。いっそ捕まれば警察に護ってもらえる。


 頭の中で逃げる算段を立てる。

 だがなぜか足は動かず、それどころかぐいと体が前のめりになった。


「うっ……!」


 ソファの上に置かれた携帯電話を覗き込む。

 見たくないはずの画面を見下ろし、その体勢のまま体が動かなくなる。指一つ動かせず、目線すらも眼下の携帯電話に固定されてしまった。


「いやだ、もう見たくない……、いやだ……」


 譫言のように野間が呟くも、携帯電話の画面は無情にも切り替わった。



 ◆



 蘇芳、日野岡と続き、映ったのは今度は羽場だ。

 彼女は床に倒れたまま「何よこれ!誰か!」としきりに訴えている。上半身を映していた前二人と違い、今の映像は羽場の全身を、それも少し引いた場所から映している。

 フローリングに俯せになったまま転がる羽場。動けないようで声だけを荒らげ……、そしてふわりと体全体が浮き上がると悲鳴をあげた。


 体が浮いている。

 それも俯せに倒れたまま。

 横一文字に体を伸ばした状態で浮かぶ様は手品のようだ。もしも前二つの映像を見ずにこれを見せられていたなら、チープなトリック映像とでも思っただろうか。


「なに、なにこれ。誰の仕業よ! 誰か来て! 早く助けなさいよ!!」


 羽場が声を荒らげるが、その間も彼女の体は真っすぐ上へと吸い込まれるように浮いていく。

 そうして天井にその背がとんと当たった。

 瞬間、浮かび上がっていた羽場の体が停まり……、


 そして、勢いよく床に叩きつけられた。


「ぎぇっ!」


 咄嗟にあがった羽場の悲鳴はまるで潰れたカエルの鳴き声だ。

 受け身もましてや顔を庇う事すら許されず顔面が打ち付けられ、碌に悲鳴もあげられなかったのだろう。

 かと思えば再び羽場の体が浮かび上がった。床に押し付けられていた鼻が開放されるとプッと勢いよく血を噴き出す。口の中を切ったのか中途半端に開かれた口から涎と血が垂れた。


「あ……? が……、なに」


 何が起こったのか理解が出来ないと言いたげな声。

 次いで彼女の体が再び天井に着くと、羽場が「待って」とくぐもった声をあげた。

 だがその制止の声もむなしく落下が始まった。その速さは、まるで何者かが勢い付けて振り下ろしているかのようだ。

 無情な衝突音が響き、その音が終わるやすぐさま羽場の体が浮き始める。フローリングに残された白い小さな欠片は歯だろうか。


「……やめへ、まっで……だずげ」


 抗う術の無い浮上と落下に羽場が救済を求めるも、その言葉の最中に再び落下が始まり床に叩きつけられた。

 それを更に三度繰り返すと、落下の衝撃音に不快な音が重なった。

 何かが折れるような鈍い音。羽場が一際激しい悲鳴をあげ、半狂乱で助けを求める。


 何度も床に打ち付けられたことで骨が折れたのだ。だが彼女の体はいまだ横一文字で固定されており、画面越しでは骨折は判断できない。

 ただ顔の負傷は目に見えて分かる。幾度となく繰り返される落下で羽場の顔は歪に変形しており、鼻は折れて潰れ、唇も歯で切ったのか裂けている。頬骨も折れたようで顔を上手く動かせなくなっており、中途半端に開いた口から覗く前歯は無惨にも折れていた。

 左の眼球は潰れかけているのか赤黒く染まっており、動く右目に反してまるで飾り物のように止まっている。


「だずけで……、もういや、だれが……」


 抗うことも許されず羽場が泣き言を漏らし始めた。

 警察に行く、自主をする、だから許してくれと繰り返し懴悔するも、その合間に何度も床に叩きつけられる。

 もはや今の羽場の顔に元の面影はない。どす黒く変色して晴れており、元の顔より一回り膨らんで見える。


 そうして再び羽場の体が浮き上がり天井まで到達し、床目掛けて落下した。



 ◆



 耳障りな音が携帯電話から聞こえ、その直後に携帯電話の画面が暗く切り替わった。

 きっと羽場が死んだのだろう。

 野間の体はまるで金縛りのように硬直し、いまだ携帯電話を覗き込んでいた。既に画面は何事も無かったかのように黒一色になっており、そこに自分の顔が映り込んでいる。

 酷い顔だ。これが自分の顔なのかと疑いたくなるほどに変貌している。


 だがそんな野間の変貌すら歯牙にもかけず、携帯電話の画面が再び灯った。

 次に移ったのは猿渡夫妻だ。もはや猿渡夫妻が映ること自体には驚愕は無く、「やはり」という気持ちと「もうやめてくれ」という絶望が湧き上がる。

 ……それと、刻一刻と何かが迫っているような恐怖。硬直し携帯電話を見るしかない野間の体に悪寒が纏わりつく。


「もう許してくれ……、警察に行くから……全部話す……俺は何もしてないんだ……」


 野間がぶつぶつと呟くも何の成果もなく、画面の中ではまた新たな拷問が始まろうとしていた。



 猿渡夫妻は性行為の最中に襲われたのか、裸で肌を重ねたまま体を硬直させていた。

 仰向けの夫人の上に夫君が覆い被さる。重なっている下半身がどうなっているかは分からないが、どうなっていようと彼等には地獄が待っているのだ。

 どちらも動けないことに動揺し声を荒らげているが、結局のところ二人居ようが無力な事には変わりはない。


 まず最初に夫君の足が揺れた。

 足の指が曲げられ縮こまり、力が入っているのか筋が浮かぶ。夫君が悲鳴をあげ始め、口から飛んだツバが夫人の顔に掛かった。

 だが二人は顔を動かすことが許されず、己の身に何が起こっているのか分からずに居た。夫君はしきりに自分の足がおかしいと訴えるが、さりとて夫人にはどうしようもないのだ。


 そうして夫君の足先が潰れた。まるで粘度を両手で押し潰したように。ブチュリとコミカルとさえ言える音をたてて足先が骨ごと潰れたのだ。

 夫君の絶叫が携帯電話から響き、夫人の恐怖の声がそれに被さる。

 だがどれだけ悲鳴をあげようともこの拷問が終わる事は無い。今度は指の付け根が潰れ、足の甲、土踏まずと潰れていく。

 夫君は獣のような声をあげて狂乱しているが、彼の足先は既に原型を留めておらず赤黒い塊と化していた。血と潰れた肉片がベッドのシーツに散らばり、辛うじて筋で繋がっている肉片はぷらぷらと揺れている。


 そんな陰惨な拷問の魔手は、程なくして夫人にも伸ばされた。

 ペディキュアで爪を彩った女性らしい足の指がきゅっと縮まり、力が込められて潰れる。夫君の時と同じだ。

 夫人の悲鳴が響き渡る。既に太腿の半分まで潰されていた夫君も先程から苦痛の声をあげており、二人の悲鳴と助けを求める声が部屋の中に溢れかえった。

 もちろん、どれだけ彼等が悲鳴をあげようが助けを呼ぼうが拷問が止まることはない。二人の足が潰されていく。


 だがいったい何が押し潰しているのか。

 彼等の足には触れている物は無い。それでも二人の足は徐々に潰れていくのだ。


 まるで、人間をも噛み砕く粉砕機に巻き込まれているかのように。


 そうして見えない粉砕機に腰から下を食われる頃、ようやく夫妻は事切れた。

 二人の人間が力なく体を重ね合う。その下半身は挽肉のように潰されており、前三人の死体よりもグロテスクだ。画面から血生臭い匂いが届いてきそうな程である。


 こんな有様になるまで夫妻は死ぬことも気を失うことも許されずにいた。

 普通ならばもっと早い段階で気を失い、そして息絶えているはずなのに……。

 だが今はもう【普通】等という言葉は存在しない。何もかもが異常としか言えないのだ。


「……やめろ、やめてくれ。もう良いだろ」


 いったいなにが【もう良い】のか。それは口にした野間自身も理解していない。

 この拷問を終わらせたい一心で言葉を紡いでいるだけなのだ。謝罪を繰り返しても意味がないと理解し、今度は説得である。


 だがこれも結局は何の効果も無く、携帯電話の画面が一度暗転するとすぐさま明かりを灯した。

 表示されるのは先程までと同じ会社名。その直後に画面が映像に切り替わる。これも同じだ。


 だがそこに映し出されるのは猿渡夫妻ではない。

 ……相島だ。今回の優勝者。

 その姿を把握し、野間は恐怖と絶望の中にありながらも「やはり」という気持ちを抱いた。

 蘇芳・日野岡・羽場・猿渡夫妻。この流れで相島が選ばれないわけがない。


 映像では相島が鉄の杭に襲われ、体の至る所を杭に貫かれる様を隠すことなく映していた。

 杭は骨も貫通させて床に刺さり、時には耳や腕の肉を引き千切る。そのたびに相島は悲鳴をあげ、どこから来るか分からない杭から逃げようともがいていた。

 だが最後にはまるで標本の虫のように杭で床に固定され、碌に動くことも出来ずに額を貫かれて事切れた。

 目の前に現れた杭の先端が額に触れた瞬間の絶望と恐怖の顔、顔を背けてなんとかして逃げようと藻掻く様、そして最後に聞こえてきた杭が頭蓋骨を貫く鈍い音……。全てが生々しく野間の耳に残っている。


 それと、最後の杭を押した稲見メグの姿も脳裏に焼き付いている。



「復讐……、まさか、はは、そんな馬鹿なことあるかよ」


 己の発言を己で笑い飛ばすが、野間の声は上擦っており乾いた笑いしか出てこない。心の中では自分で言った言葉が事実だと確信しているからだ。

 だが確信はしているが、同時に信じられないという気持ちもまだ残っていた。

 稲見メグはさておき、峰真尋も八幡流星も既に死んでいる。ゲームマスターの仕事には居たいの確認もあり、画面越しではなく実際にこの目で見ている。見るも無残とはまさに彼等の遺体のことを言うのだろう。どれだけ無惨だろうと野間はどうとも思わなかったのだが。


「そうだ、あいつらは死んだはずだ。それにあのガキだって今は運営が管理してるはず……」


 だから彼等が観客のもとにいるはずがない。

 否、もしも仮に、何かの手違いや、それこそ瓜二つの双子が復讐のために観客の元を訪れていたとしても、あんな真似が出来るわけがない。

 携帯電話に送られてきた映像はどれも惨たらしく有り得ないものだった。手品どころではない、【魔法】、そんな馬鹿げた単語さえ思い浮かんでしまうほどに人間が出来る物事の範疇を超えていた。


 ならばやはりあの映像はフェイクだろうか。デスゲームの運営が余興として自分の怯える様を観客に見せて楽しんでいるのか。

 いや、だがそれも有り得ない。観客達は誰もが富裕層の際たる存在で、強い選民思想の持ち主だ。それこそ【自分には人の死を楽しむ権利がある】と当然のように考えるほどには彼等は己を特別な存在だと考えている。

 そんな観客達があれほど無様な姿を晒すわけがない。彼等はあくまで命乞いし苦しみ抜いて死ぬ様を見る側なのだ。

 つまりあの動画はすべて事実で、観客達は拷問と言える苦痛の末に死んでいった……。


 それなら、次は誰だ?


 考えの末に浮かび上がった疑問に、野間は己の中に湧いていた恐怖が嵩を増すのを感じた。

 体が震える。歯の根が合わずガチガチと音がする。

 いつの間にか体の硬直は解かれており動くことが出来るようになっていた。……が、足に力が入らず、逃げることが出来ない。


 何も考えられず、それでも何かしなくてはと焦燥感を抱いた瞬間……、

 ぞわりと背に冷たいものが走った。


 何かが来た。


 考えてみれば当然で、ゲームの被害者達が復讐をしているとなれば、ゲームを進行していた自分がその標的から外れるわけがない。

 だが自分は誰に、どう、殺されるのか。


 蘇芳は体のあちこちを弾け抉られて殺された。それはまるで首筋の小型爆弾を作動させられて死んだ峰真尋のように。

 日野岡は溶けた人間の血肉を吐き出していた。その血肉はガラスの個室で体を溶かされて死んだ八幡流星のものだった。

 羽場は床に叩きつけられて歪な肉塊になって死んだ。床に叩きつけられる彼女の姿は、高所から落下し息絶えた常盤紅子を彷彿とさせる。

 猿渡夫妻は足から順に押し潰されて死んでいった。夫君が賭けた久我銀丈はまさに足元から大型粉砕機に巻き込まれて死んでいったのだ。

 そして最後の相島。彼が賭けた稲見メグは存命のはずだが、彼女は最後のゲームで肩に鉄の杭を受けていた。


 観客達の死因は全てゲーム参加者の死因と連動している。

 まるでゲームでの死が生温いとでも言うかのように、恐怖も苦痛も何十倍にも増して。


 それならば自分には何が来る?


 野間の疑問に答える者はおらず、その代わりにふわと野間の体が浮いた。


「ひっ……!」


 気持ちの悪い浮遊感が体を包む。直後、体が床と並行するように横一文字に固定された。うつ伏せのため眼下の床が遠ざかっていくのが見える。

 これは羽場と同じだ。つまり彼女の時のように何度も床に叩きつけて殺すつもりなのだろうか。

 潰れてどす黒く腫れあがった羽場の顔が脳裏に蘇る。あれになるのか。

 いやだ、と恐怖が野間の胸に湧いた。抵抗しようと藻掻くも体は動かない。今まで見た映像で叫ぶのは無駄だと分かっているはずなのに助けを呼んだ。


 そうして天井に到達すると、、次の瞬間、ぐんと体に重みが掛かった。

 落ちると思う間もなく体が床に叩きつけられる。


「ぎゃっ!」


 短い悲鳴が口から零れる。全身に痛みが走り、とりわけ顔面は激しく打ち付けているため衝撃で視界が白んだ。

 次いですぐさま野間の体が再び浮き上がった。


「も、もうやめてくれ! 頼む、俺が悪かった! だからっ、ぎああ!」


 制止の声の中、野間が悲鳴を上げた。

 固定された頭でそれでも激痛の走った右肩を見る。そこには己の肩を貫く鉄の杭があった。

 血が杭を伝って滴り落ちていく。なぜ、と疑問を抱くのとほぼ同時に体が落下し床にぶつかった。肩に刺さっていた杭がその衝撃を受けてずると動く。……肩の肉を擦りながら。

 そしてその傷を更に悪化させるように、杭の刺さる肩の肉がパンッと音を立てて弾けた。血と肉変が飛び散り頬に付着する。


「ぎゃぁぁ! ああ、なんで、あぁぁ!」


 体が浮いている最中に今度は腰に杭が刺さり、その激痛に悲鳴を上げた瞬間に落下が始まる。床に叩きつけられ、その痛みに呻くと同時に太腿の肉が音を立てて抉れた。

 杭で貫かれる痛み、床に叩きつけられる痛み、身体を抉られる痛み、杭が動いて体の内側から肉を引きちぎられて更なる激痛が走る。

 もはや何が痛いの分からず悲鳴をあげた。だがその悲鳴が一瞬止まり、野間の胸元が大きく膨らんだ。


「ぐぅう」とくぐもった音が喉から漏れ……、野間の口から大量の血と肉片が溢れ落ちていった。


「おっ、ごぉお、おぐぅう」


 無様な声と共に野間は嘔吐した。天井付近まで浮かび上がっているため血と肉片を交えた吐瀉物はびちゃびちゃと音をたてて床に散っていく。

 その中に人間の耳らしき物を見つけ野間は目を見開き……、吐瀉物の池に顔面を叩きつけられた。続けざまに鉄の杭が耳を削ぐ。


 なぜ、どうして。

 そんな疑問が激痛と恐怖の合間に浮かび上がる。


 だがその疑問は、再び浮き上がった際に足の指が圧迫されるのを感じた瞬間に消え去った。


 体の肉が弾けて抉られる。

 喉から血が溢れて呼吸を邪魔する。

 床に叩きつけられる。

 足先が潰される。

 鉄の杭が体を貫く。


 この拷問が始まる前【自分には何が来る】と疑問を抱いた。

 だがその疑問は間違いだった。自分には【何が】ではなく、全てが来るのだ。


 蘇芳、日野岡、羽場、猿渡、相島。

 今まで見た惨たらしく残酷な拷問。あれが全て己の身で再度行われるのだ。

 容易には死ねないだろう。二十分、三十分……、もしかしたら一時間。既に観客達が死に自分が最後の一人だというのなら、彼等の気分が晴れるまで嬲られ続けるのかもしれない。


 復讐する彼等が人間ではないのなら、それこそ、死は訪れず、永遠に。



「こ、殺してくれ……! 頼む、殺してくれ!!」



 もはや生存という救いは諦め、死という救済に縋る。

 そんな野間の願いも虚しく、彼の体は軽い音と共に肉を弾けさせ、大量の血と肉塊を嘔吐し、床に叩きつけられ、足首を潰され、鉄の杭が腹を貫いた。


 それでも死ねないのだ。

「殺して……殺してください……」という野間の懇願は、これから先も続くことになる。

 時間も生死も無関係な者達が飽きるまで。




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