第25話:Side勝者 ゲームですらない死を



 ゲームの優勝者である相島は若くして起業に成功した実業家であり、都内にある本邸宅の他に、別荘を二つほど所有している。

 どちらの別荘も避暑地と呼ばれる一等地だ。豪邸に十分過ぎるほどの設備を整え、それでいて訪れるのは年に数える程度。時折は知人に貸したりするものの一年の殆どを管理会社に丸投げしている。

 そんな二つの別荘に加えて、相島はもう一つ別荘を所有していた。

 交通の便が良い二つの別荘と違いこちらは森の中にあり、家屋の外観も見て分かるほどに劣っている。

 滅多にどころか碌に人が立ち寄らない奥まった場所ゆえ、ここに家屋が建っている事は近隣住民ぐらいしか知らない。その近隣住民だって、まさかこの薄寂れた家屋がエリート実業家の別荘とは考えもしないだろう。


 そんな別荘を相島は訪れていた。

 薄寂れた家屋。だが定期的に清掃と管理を外注しているため屋内はきちんと整えられている。外見に反して中は豪華だ。


「明日の夜か……」


 寝室のベッドに寝転がり、相島がポツリと呟いた。

 その呟きに返す者はいない。

 この別荘には今、相島一人しかいないのだ。

 そもそもこの別荘に相島が居る事も、それどころかこの別荘の存在そのものを相島の関係者は知らない。恋人にも、親にも、友人にも教えていない。

 唯一知っているのはデスゲームの運営だけだ。彼等にはアリバイ作成に協力してもらっているし、なによりこの別荘を提供してくれたのは彼等である。


「今回のゲームも気持ちが悪かったな」


 数日前に見た光景を思い出し、相島は眉根を寄せた。

 集められた六人の男女がたった一人の生存枠を賭けて死を伴うゲームに挑む。その光景は陰惨としか言いようがなく、モニター越しに見ているだけで血生臭い匂いが鼻孔にこびりつく錯覚に襲われる。

 赤黒い肉片、溢れる血、粘ついた血の泡が弾け、不自然に折れ曲がり骨を突き出したさ手足がビクビクと跳ねる……。

 あまりに陰惨過ぎて逆にチープなスプラッター映画のような光景だ。


「あぁ、思い出してしまった……。酒でも飲むか」


 誰にともなく不快を訴え、ベッドから降りた。



 壮絶なゲームと参加者の悲惨な死を望む他の観客達と違い、相島はそういった光景には興味も期待も抱かずにいた。

 といっても中止を訴えたり残酷だと顔を背けるほどではない。せいぜい「うわ」と小さく声を漏らして眉根を寄せる程度だ。それに陰惨な死の瞬間こそ興味はないが、窮地に陥った人間の駆け引や裏切り、無様なまでの生き汚さを眺めるのは楽しんでいる。血生臭い光景には興奮より衛生的な嫌悪が勝るだけだ。

 それになにより、このゲームには【賞品】がある。

 賭けの勝者にだけ与えられる特別な賞品。これこそ相島が多額の資産を寄付してもゲームに参加する理由だ。


「早く楽しもうね、メグちゃん」


 相島の囁きが向かうのは一枚の写真。

 そこに映っているのは一人の女児。金色の髪と同色の長い睫毛は西洋人形のようで、まだ幼いながらに美貌と言える麗しさを持つ少女だ。

 茶色掛かった瞳は写真では他所を向いてしまっているが、その瞳が自分を見つめる瞬間を想像し、相島がゴクリと生唾を呑んだ。酒を飲んだ直後なのに喉が渇くのは興奮しているからだろう、期待に体温が上がっていくのが分かる。


「きみのためにいっぱい玩具を買ったんだよ」


 写真の少女に話しかけ、まるでエスコートをするように一室へと向かう。

 その部屋は一見するとさながら子供部屋のように映るだろう。中央にベッドが置かれているという不思議な配置ではあるが、柔らかなラグと淡いピンク色のカーテン、四方は可愛らしい動物と雲の壁紙で覆われている。ベッドも天蓋付きの豪華な造りだ。


 だがよくよく見るとその異質さに気付けるだろう。

 天蓋ベッドの四隅からは鉄の鎖が伸び、太いベルトが繋がっている。壁に沿うように配置された棚には玩具、……ではなく、男性器を模した梁型。どれも異様な大きさや歪な形をしており、とうてい女性器に入るとは思えない。無理やりに挿入すれば痛みを与えるどころか傷を負わせるだろう。

 壁には鞭が何本も掛けられており、その隣にも子供部屋には似つかわしくない鉄の道具が並んでいる。


 SM部屋。

 否、もはや拷問部屋である。


「メグちゃん、早く遊ぼうね……。あぁ、待ち遠しい……」


 興奮から息を荒くさせ、相島が手にしている写真に舌を這わせた。

 ねっとりと舐め上げる。まるでそこに本物の稲見メグが居るかのように。幼い幼児の柔らかく白い頬を舐めるように……。

 その姿は異常の一言に尽きる。極平凡で印象の薄い男という面影は既に無く、誰だって今の相島を見れば一目で異常と判断し、二度と近付くまいと記憶に焼き付けるだろう。

 だが今この場には相島しか居らず、取り繕う必要はない。そのためにこの別荘を用意しているのだ。


 己の性癖の発散場所。

 傷付き怯え切った幼い子供を凌辱し、嬲り、生命ごと弄ぶという、地獄の先で鞭を手に待ち構えるような趣味嗜好。

 この別荘は性癖を曝け出し発散できる唯一の場所だ。公表している他の別荘と比べれば規模も外見も見劣りするが、相島にとってはこちらこそが城である。

 そして共にこの城で暮らす生贄、歪んだ性癖の捌け口を求め、相島はゲームの観戦を続けていた。


 賭けの勝者にはゲームの生存者が賞品として贈られる。


 ゲーム参加者は【最後の一人は生きて帰れる】と勘違いするが、実際はただ地獄の中で生き長らえるだけである。もちろん家には帰れない。賞品として治療はされるが、それも痛めつけ嬲られるための前準備だ。

 眠らされている間に治療を施され、新たな地獄で目を覚ます。

 そうして加虐心を持つ異常者に時間をかけて嬲られるのだから、いっそゲームの最中に死んだほうがマシなのかもしれない。


「楽しみだよメグちゃん。いっぱい楽しもうね……」


 ゲームの運営から連絡が入ったのが数時間前。稲見メグの治療も目途が立ったらしく、明日の夜に届けると告げてきた。

 それを聞いて相島は居て貰ってもいられず、はやる気持ちを抑えきれずに一足先にこの別荘に来ていたのだ。急遽アリバイを作成することになり金を上乗せする羽目になったが、それも仕方あるまい。

 連絡を受けてからは稲見メグとどう過ごすかばかり考え、ズボンの股座を張り詰めさせていた。その姿を見られるよりは金を積んで別荘に引き籠るのが正解である。


 そうして再び写真に写る稲見メグをねっとりと舐め上げ、子供部屋と拷問室を綯交ぜにした異質な部屋を後にするため電気を消し……、



「お家に帰りたい……」



 聞こえてきた細く弱々しい声に、扉から出ようとしていた足を止めた。


 今の声はなんだ。

 背後から聞こえてきた。

 だが背後には何もないはず。

 ならばあの声はなんだ。


 一瞬にして疑問が頭の中で湧き上がり、相島は自分の心臓がドクリと跳ねるのを感じた。だが足は動かず振り返る事すら出来ない。


 その間も小さな声が聞こえてくる。

 すすり泣く幼い子供の声……。母と父を呼ぶ声……。


 有り得ないが、確かに声が聞こえてくる。

 疑問と困惑を綯交ぜにした感情で心臓が鼓動を速めるのを感じながら、それでもゆっくりと背後を振り返った。ぎこちない動き。たったこれだけの、体を半身捩じるだけの動作なのに体に力が入り息が荒くなる。


 そうして部屋を見回し、中央に設けられた天蓋付きのベッドの上に小さな影を見つけた。


 人の影だ。

 だが大人の影ではない。小さな、それこそ十歳にも満たないような幼い子供の影。

 それが背を丸めている。微かに震えているのは啜り泣きのしゃっくりだろうか。暗がりの中で震える様は全身が黒い生き物のようにも見える。

 はっ、はっ……、と相島は犬のような浅い呼吸を繰り返した。ベッドの上の黒い影から目が動かせない。ただじっと、そこに有るはずのない影を見開いた目で見つめるだけだ。


「おかあさん……、いたいよ……おうちに帰りたい……おとうさん……」


 憐れなその言葉は相島が何度もこの部屋で聞いてきたものだ。どの子供も両親を呼び家に帰りたいと啜り泣き、それを聞くたびに加虐心を煽られ性的な昂りを覚えていた。

 だが今は違う。疑問と混乱、そして恐怖が嵩を増していく。

 それでも相島は震え出しそうになる体を律してベッドへと一歩近付いた。電気を着けるという考えが浮かばなかったのは、部屋の暗がりに目が慣れ始めていたのと、不要な動きをすれば何かが起こりそうだからだ。


 なんでここに居るのか。

 どうやって入ってきたのか。

 先程部屋を見た時はいなかったはずなのに。


 矢継ぎ早に浮かぶ疑問を投げかけるため、もう一歩、更に一歩とベッドへと近付いた。

 部屋の端から見ていた時は全身が黒い影でしかなかったが、ここまで近付くと細かなところが見えてくる。

 暗がりのせいで色味を濃く見せる金色の髪、細い手、小さな肩。そこに深々と刺さる鉄の杭。流れる血……。


「稲見メグ……」


 その姿はまさに先日のゲームのコマであり、相島が賭けた稲見メグだ。明日の夜にはこのベッドの上で凌辱の限りを尽くされる幼子。

 彼女はひっくひっくと子供らしいしゃっくりを上げていたが、己の名を呼ぶ相島の声を聞くとピタリと動きを止めた。不自然なまでに静かになる。その奇妙さに相島の背にぶわと汗が浮かんだ。


 とてつもなく異常な何かが目の前に迫っている気がする。

 逃げなくてはと本能が訴えているが、反面、逃げようとした瞬間に恐ろしい事が起こる気がして体が動かない。


 身体が硬直し眼球すら動かせずにいる相島に対して、ベッドの上にしゃがみこむ稲見メグはゆっくりと動き出した。

 顔を覆っていた手を降ろし、俯いていた顔を上げ、首を支点に顔だけを相島へと向けてくる。

 元より大きな目が今はいっぱいに見開かれ、瞳がぎょろりと動いて相島を捕らえた。光を一切宿さない瞳が、真っすぐに相島を見据える。


「ひっ……!」


 そのおぞましさに相島が小さな声を漏らし……、次の瞬間、今度は口を開き悲鳴をあげた。


「ぎっ、ぎゃあぁ!」


 先程まで硬直させていた体を大きく跳ねさせ、右肩を庇う。

 その右肩には深々と鉄の杭が刺さっており、その光景に相島は目を丸くさせた。


「な、なんで、ひぃっ……! どうして……! ぎゃっ!!」


 再び悲鳴をあげ、大きく体をよじる。

 今度は左の脇腹に鉄の杭が刺さったのだ。まるで自分の腹から生えたかのように杭の先が貫通している。

 次いで左の太腿に、右足の膝に。衝撃と激痛が走り眩暈さえ覚える。立っている事が出来ずにその場に頽れるように尻もちをついた。

 どこから現れたのか分からない鉄の杭はそれでいて深々と相島の体を貫き、その激痛から抜くことすら出来ない。それに下手に抜けば激しい失血を招き死に繋がる恐れもある。

 なにより、抜くか否かを考えている余裕は相島には許されていない。今まさに新たな一本が右の腕を貫いたのだ。


「ぎゃぁあ! な、なんで、ぎっ、な、なにが……! あぁぁ!!」


 もはや立ち上がることは出来ず、腰を抜かしたままベッドから距離を取るように後退る。

 激痛と恐怖で足が言う事を聞かず床を滑り碌に進めない。更に追い打ちをかけるように左膝を鉄の杭が貫いた。膝蓋骨が割れ、その勢いのままにフローリングに杭が突き刺さった。

 自分の足が鉄の杭で床に串刺しにされている。その光景はあまりに異質で己の事とは理解出来ず、相島は一瞬痛みも恐怖も忘れ「え……?」と間の抜けた声をあげた。


 次の瞬間、再び激痛と恐怖が舞い戻ってくる。

 それも倍になって。


「あぁああ!!」


 口の端から唾液を垂れ流しながら叫び、これ以上の責め苦から逃れるために左腕を振るって拒絶を示す。


「誰かっ、誰か助けてくれ! 誰か!!」


 相島が助けを呼ぶも、残念ながら助けも返事もない。

 別荘には相島以外には誰も居らず、他でもない自身が人払いをしているのだ。人払いにはデスゲームの運営が関与しているので徹底されているだろう。更には別荘全体が防音対策を取られており、とりわけこの部屋は何があろうと物音一つ漏らすまいと強固に造られている。


 全てはこの部屋で幼子を嬲るためだ。

 ……だが今、嬲られているのは自分だ。


「なんで、なんでっ……、嫌だ、どうして! ぎゃぁあっ! だっ、誰か助けてくれ! 死にたくない!! 死にたくない!!」


 新たに現れた一本の杭が相島の右耳を貫いた。杭は耳そのものを破壊し、止まることなく部屋の奥へと転がっていった。

 顔の側面、本来ならば耳があるはずの場所が何も無くなり、血渋きだけが細かに噴き出ている。相島が悲鳴をあげて己の耳を、……あったはずの右耳を押さえた。

 そんな相島を憐れむことなく鉄の杭が彼を襲い続ける。


 足の甲を貫いて床に貼り付け、肩を、腕を、腹を、残っていた左耳を、容赦なく串刺しにしていく。

 それでいて致命傷となる箇所は貫いていない。

 そのおかげか、そのせいと言うべきか、体を貫く杭が十を超えてもなお相島には息があり、床に串刺しになりながらも「たすけっ、だれかっ」と声をあげていた。痛みが走るたびにビクッビクッと体を震わせ、その振動で走る痛みに呻く。

 床についた両の手もそれぞれ杭で貫かれており、不自然な態勢をそれでもより強い激痛を恐れて維持するしかない。倒れることも許されないのだ。


 そんな相島の目の前にまた新たな杭が現れた。

 今度は突如貫くことはせず、まるで手品のようにゆっくりと宙に浮かんでいる。

 ……先端を相島の額に突きつけるようにして。


 それが何を意味しているのかを察し、相島の喉から掠れた声が漏れた。

 汗と涙と鼻水、そして血で汚れ切った顔を更に引きつらせ、動きを制限された身でそれでも杭の先端から逃れようと頭を動かす。

 だが宙に浮かぶ杭は逃げることを許さず、相島が頭を右にずらせば右へ、左へずらせば左へ、逃れようともがく動きに合わせて追いかけてくる。

 そうして相島が天井を仰げば、杭は相島の額に先端を添えて垂直に立った。硬い先端がチクリと額の肌を突く。もう動けない。


「あ、やめ……、やめてくれ……、死にたくない、死にたくないんだ……。自首する、全部話すから……」


 額を突く杭に視線を止めたまま相島が命乞いと懴悔の言葉を繰り返す。

 そこにふっと影が掛かった。

 相島の目が見開かれる。自分を見下ろすのは……、


 稲見メグだ。


 暗い部屋の中で金色の髪が揺れる。茶色掛かった瞳は一切の光を失い、淀みのような色でじっと相島を見下ろしている。笑うでも泣くでも怒るでもなく。

 稲見メグの細い腕がゆっくりと動き、小さな手が相島の額に掛かる杭に触れ……、


「やめ、たすけっ」


 次の瞬間、杭はズンと鈍い音を立てて相島の額を頭蓋骨と中にある脳髄ごと貫いた。


 。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る