第22話:SideGM せめて二人で



「メグちゃん!!!」


 声をあげたのは常盤紅子だ。

 彼女は咄嗟に稲見メグの名を呼ぶとまるで弾かれるような勢いで駆け出した。タイルの確認もせず、真っ赤に染まっていたタイルが崩れていくのも気にすることなく。

 そうして稲見メグの元へと向かうと勢いのままに小さな体を抱きとめ、滑りこむように転がった。

 稲見メグが蹲っていたタイルが崩壊するのと二人の体が転がるのはほぼ同時。一秒でも遅ければ崩壊に巻き込まれて落ちていたかもしれない。


 ギリギリの救出劇。

 見ていた日下部春樹が息の詰まった声を出し、観客達もまるでスポーツの名プレーを見たかのように盛り上がった。


「メグちゃん……、大丈夫……?」

「あ、おねえちゃん……メグ、メグ怖くて……」

「大丈夫だよ。大丈夫だから、もう泣かないで……」

「でも、おねえちゃん……、メグのせいで」


 泣きじゃくりながら稲見メグが常盤紅子を呼ぶ。

 震える声。恐怖で引きつった稲見メグが見つめるのは命懸けで助けてくれた常盤紅子。


 ……そんな彼女の体を無惨に貫く、鉄の杭。


「……だい、じょうぶ……、だよ……」


 己の無事を知らせる常盤紅子の声は、その言葉とは裏腹に弱く細い。ヒュ、ヒュ、と軽い空気を漏らしながら喋り、ついには堪えきれなくなったのが「ぐっ」と詰まった声をあげた。

 苦しそうに咳き込みだす。荒い咳の果てにゴボッとくぐもった声をあげ、真っ赤な血が彼女の口から溢れた。本人も己の吐血に驚愕しているようで血に染まった己の手を見て顔を歪ませている。

 若く美しい少女の吐血。驚愕と恐怖で歪む顔。憐れみと危機感を誘う光景だ。


 常盤紅子の体、体の正中線上にある鳩尾を少し左にずれた腹部、そこを鉄の杭が貫いている。

 長さは彼女の腕ぐらいはあるだろう。太さは一般的な鉄パイプと同等か。

 天井から襲い掛かった杭は容赦なく彼女の背から腹へと貫通し、それでいて抜けきることは無く不自然に少女の体の途中で留まっている。杭を大量の血が伝い、元より赤く光っていたタイルを更に濃い赤で染めている。


「常盤さん!!」


 日下部春樹が声をあげるが、それに対しての返事は無かった。

 常盤紅子は返事をする余力もなく、ヒュウヒュウと掠れる音を漏らしながら呼吸をすることに必死で、稲見メグもまた彼女の体を支え、そして次のタイルへと移動させようとしている。

 だが既にタイルは一度踏まれており二人同時に乗れるタイルはもう無い。

 もはや考えながらの移動は無理だ。戦略も無く、ただ目先の三十秒を求めて移動するしかない。


 そんな中、常盤紅子が己を支える稲見メグを呼んだ。


「……メグちゃん、向こうに、飛んで」

「おねえちゃん……?」

「日下部くんの、方に……、こっちは、もう、タイルが少ないから」


 話しながら常盤紅子が緩慢な動きで顔を上げ、部屋の一角を見た。日下部春樹がいる場所だ。

 出口側に居る彼は心配そうな表情を浮かべ、駆け寄る事も出来ずに歯痒そうにしている。


 彼のいる付近はまだ足場が残されている。こんな状況下でも彼は効率的な移動を心掛け、トラップを踏んでもその場で耐えきる事が多かったのだ。

 対して常盤紅子と稲見メグがいる場所は先程の救出劇もあって残りのタイルが減りすぎている。

 各所に穴が空いており、日下部春樹のいる方へと渡るにはどこかしらで穴を、それもタイル二つ分の穴を飛び越えねばならない。このまま粘ったとしても出口までの道が途絶えれば終わりだ。


 まだ向こう側に渡れる内に移動をと考えたのか、常盤紅子が稲見メグに指示を出す。

 だが稲見メグがそれを渋るのは、穴を飛び越える恐怖もあるだろうが、なにより今の常盤紅子が一人では動けそうにないからだ。

 当人もそれは理解しているのだろう、不安気に見つめてくる稲見メグの表情に気付くと口角を少しだけ上げて笑った。

 血の気が失せつつある青ざめた顔を、それでも無理に引きつらせて繕う、痛々しさしかない笑み


「でも、メグが行ったらおねえちゃんが……」

「私は……、もう、無理、……かな」


 己の限界が近いことを察しているのか、常盤紅子が浅い呼吸を繰り返しながら告げた。

 宥めるために稲見メグの頬を撫でるがその手は震えており、撫で終えた後に「血が着いちゃったね」と困ったように笑う声も掠れていた。

 以前のゲームでは恐怖し時にヒステリックに声を荒らる事もあった常盤紅子だが、死が直前に迫った今は落ちついている。死への覚悟が決まったか、もしく既に恐怖を感じる余力すら無くなっているのか。

 目も虚ろで焦点が揺らいでいるが、それでも日下部春樹を見つめた。


「日下部くん……、メグちゃんを、受け止めて……」

「分かった。メグちゃん、大丈夫だから、全力でこっちに飛んできて!」


 足を負傷していた日下部春樹がそれでも立ち上がり稲見メグを鼓舞した。手を伸ばすのは自分が掴むからというアピールだろう。

 その声に促され、稲見メグがゆっくりと立ち上がった。最後に一度常盤紅子に抱き着く様は別れの哀愁を漂わせている。


 次いで稲見メグがタイルを飛び越えた。小さな体で、肉体的な負傷と精神的な疲労を負った身で、それでも残った力を振り絞るようにして穴を飛び越えたのだ。

 日下部春樹が咄嗟に服を掴み体を引き寄せ、稲見メグの体がタイルに転がる。

 幼い子供が硬いタイルに体を打ち付ける様は痛々しいが、底の見えない穴に落ちるよりましだ。


「メグちゃん、大丈夫!?」

「う、うん……、平気」

「よく飛んだね。頑張ったね。常盤さん、常盤さんも早く!」


 続くようにと日下部春樹が声を掛ける。だが常盤紅子はそれには続かず、ぼんやりとした表情で日下部春樹達を見るだけだ。

 彼女の細い腹部からはいまだ鉄の杭が突き出ており、絶え間なく血を垂れ流している。不自然に杭が貫通している状況では傷を押さえて失血を押さえる事すら許されないのだ。


「私、もう……、無理だから……」

「常盤さん、諦めないで。僕が引っ張るから」


 日下部春樹は飛ぶように訴えているが、今の常盤紅子の状況を見るにどう考えても穴を飛び越えることは出来ないだろう。

 それどころか歩く事すら今の彼女に辛いはずだ。現に三十秒経過の電子音に急かされてタイルを移動するも、その動きは酷く緩慢で、歩くというよりはバランスを崩しかけながら足を擦って移動しているに近い。

 もはやタイルの境目も見えないのか二つのタイルを同時に踏んでしまったが、それを気にしている様子もない。


「日下部君、メグちゃんのこと、よろしくね……。メグちゃん、きっとお母さんとお父さんに会えるから……諦めないで」

「……常盤さん、そんな」

「おねえちゃん…」


 掠れた声で紡がれる常盤紅子の遺言。

 死を悟った落ち着いた口調。……だがさすがに電子音が鳴り出すと恐怖が勝ったのか「ひっ」と細い悲鳴を漏らした。

 血で真っ赤に染まった足がずりと後ろに下がりかける。だがそれを律するように踏みとどまったのは、これを最期にと考えているのだろうか。細い脚は恐怖で震え、後退りかけては立ち止まってと繰り返している。

 そうして最後の電子音が鳴ろうとした瞬間、ついに恐怖心に負けたのか常盤紅子は一つ後方のタイルへと後退った。彼女の体が震えている。


「わ、私、もう死ぬんだ……、ここで、もう痛くて苦しくて、楽になりたい……」

「常盤さん……」

「でも、怖いよ……。死ぬしかないとしても、死ぬのは怖いよ」


 真っ白な紙のように血の気が失せた顔で、そこにインクを垂らしたように血の跡を着けて、弱々しく漏らされる常盤紅子の泣き言。

 死を覚悟してもなお付き纏う死への恐怖に年若い少女が抗えるわけがない。取り乱し泣き喚き、生き残る二人を恨み罵詈雑言を吐かないだけマシだ。

 そんな常盤紅子の言葉を聞き、日下部春樹と稲見メグが同時に息を呑んだ。


「……メグちゃん」


 と、ポツリと呟くように日下部春樹が稲見メグを呼んだ。

 しゃがみこんで目線を合わせ、小さな少女の手を握る。何かを託すように強く。


「今日の事も、僕達の事も、全部忘れて良いから」

「おにいちゃん……?」

「お父さんとお母さんと幸せに生きて」


 穏やかな声で告げると、日下部春樹はゆっくりと立ちあがり……、


 そして、満身創痍の体で、タイル三枚分の穴を飛び越えた。


 常盤紅子のいる方へと。



 ……出口とは逆の方向へ。



「日下部君……」


 日下部春樹を呼ぶ常盤紅子の声は、信じられないものを見たと言いたげだ。

 失血で白んだうえに恐怖で青を刺していた顔が、今だけは驚愕の色を濃くしている。虚ろだった目を丸くさせて自分の眼前に立つ日下部春樹を見上げる。

 そんな常盤紅子に対して日下部春樹は苦笑を浮かべ、彼女の手を取った。


「僕も一緒にいくよ」

「……でも、なんで、だって次のゲームにいけたよ」

「どのみち一人しか残れないんだ。……それに、僕も死ぬのは怖いから」


 それならせめて二人で。


 そんな日下部春樹の言葉に無情な電子音が被さった。

 日下部春樹は穏やかに微笑みながら、常盤紅子もまた先程の恐怖の表情を安堵へと変えて、互いに赤く灯るタイルの端に立って寄り添うと稲見メグへと向き直った。幼い少女はしきりに二人を呼んでいるが、今更もう彼女の元へと戻ることは不可能だ。二人にもその気は無いだろう。

 常盤紅子が立っていられるのも辛いと日下部春樹にもたれかかる。日下部春樹はそれを受け力ない体を支えるように背に腕を回し……、


 次の瞬間、最後の電子音が単調な音を上げると同時に、二人の姿は崩れる足場ともに消えていった。



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