第21話:SideGM 同じ穴の貉



 モニターに映る日下部春樹の顔は見て分かるほどに恐怖と苦痛の色を宿していた。

 三十秒を伝える電子音に急かされて次のタイルに移るも、足を踏み入れる瞬間は体が硬直しているのが見て分かる。

 運良くトラップの無いタイルに立てたとしても、そのタイルに滞在できるのは三十秒。また次の恐怖が迫っている。精神的な疲労が顔に出て当然だ。


 タイルに乗れるのは二度まで、三度目で崩壊する。そのタイルが部屋に敷き詰められており、乗るのは三人。

 となると最大限まで効率的に歩けばそこそこ時間を稼げるだろう。だがこの状況下で冷静にタイルを渡り歩けるとは限らない。

 タイルが減っていき底の見えない穴が露見すれば恐怖が増し、気が気では無くなり、残ったタイルが数えられるほどになると足場の奪い合いという名の落とし合いが始まる。

 単に腕力での落とし合いと考えれば一番有利なのは日下部春樹だ。優れた体躯というほどではないが、それでも細身の常盤紅子と、肩を負傷した幼い稲見メグを突き落とすぐらいは出来るだろう。


 だがそれは万全の状態であればだ。

 以前のゲームで日下部春樹は胸部を負傷している。

 それに……、


「ぐっ!! か、は……」


 ゲームマスターが今後の展開を予想するのとほぼ同時に、背後の大型モニターからくぐもった声が聞こえてきた。

 見れば日下部春樹がしゃがみ込んでいる。「日下部君!」と常盤紅子の声が聞こえてきた。このゲームでなければきっと駆け寄っていただろう。

 日下部春樹がトラップを踏んだのだ。

 見たところ目立った損傷は無いが、胸元を強く掴み苦し気に口を開けている。呼吸が出来ないのか引きつった音だけが喉から漏れていた。


「あら、何があったのかしら」


 穏やかな声色で尋ねてきたのは羽場。

 自分のコマである日下部春樹が突然呻いてしゃがみ込んだことに疑問の表情を浮かべている。

 一見すると羽場は優雅な女性だ。四十代半ば、無理に若作りをすることもなく、年齢に見合ったブランド品をセンス良く身に着けている。一等地の高級住宅街を優雅に散歩するセレブ夫人、そんな印象を受ける女性だ。

 だがよく見ると彼女の瞳はぎらついている。本人は抑えているようだが胸の内に渦巻く欲望は相当なものだろう。だからこそこの場にいるのだ。


 そんな羽場の問いに、ゲームマスターは手元のタブレットをチラと一瞥した後に答えた。


「日下部春樹が踏んだのは電流が流れるタイルです。威力はさほどありませんので動くことは出来るでしょう」


 モニターの中では日下部春樹が苦し気に呻いており、内臓をやられたのかその場で嘔吐した。びちゃびちゃと不快な水音が聞こえてくる。

 吐瀉物の中に血が混じっているのは、先程の電気ショックのせいか、もしくは前のゲームで胸部をやられたからか。

 ひとが嘔吐する様など平時であれば好んで見るものではない。顔を背けるものだ。それも大画面に映し出されれば尚更、見ている方の気分まで悪くする。


 だがこの場では違う。

 日下部春樹が苦し気にえずき血が混じった吐瀉物をぶちまける様に観客達が湧きたつ。


「嫌だわ、汚い」


 とは羽場の言葉だ。

 ハンカチで口元を押さえて嫌悪を露わにしている。だがその目はぎらぎらと光り、ハンカチで隠した口元では生唾を飲んだのだろう喉仏がごくりと動いた。

 興奮しているのだ。どれだけ上品に振る舞おうとセレブ夫人たる言動をしていようと、ここに居る時点で誰もが欲に塗れており、そして己の欲が発散される瞬間を求めている。


 結局のところ【同じ穴の狢】でしかない。

 優雅に振る舞おうとする羽場も、興奮の挙げ句に舌を絡め合う接吻をし互いに相手の股座と胸を揉み合う猿渡夫妻も同じなのだ。

 だがさすがに猿渡夫妻に関しては見過ごせないと判断し、ゲームマスターは静かな声色で「猿渡様、お戯れはそのへんで」と止めておいた。


「タイルの数も目に見えて減ってきました。参加者の精神もそろそろ限界が近いでしょう。どうぞ勝敗の瞬間をお見逃しなきよう」


 粘つくような観客達の欲深い視線を大型モニターへと誘導し、ゲームマスターもまた手元のタブレット端末に視線をやった。



 ◆


 三十秒をかけてタイルを一つずつ進んでいく。見ている側はジレンマを感じかねない遅々とした進行だ。だがその合間にもトラップが作動してゲームに緩急を付けている。

 トラップは基本的には直接命を奪うものではない。だがタイル上での立ち位置や作動のタイミングによっては死ぬこともある。反面、作動しても被害は与えれられずに終わることもある。

 タイルの移動は頭を使えば時間を稼げるが、それを邪魔するトラップに関して完全に運だ。


「きゃぁっ!」


 甲高い悲鳴をあげ、常盤紅子が大きくバランスを崩して倒れ込んだ。重みを受けて三つ分のタイルが反応する。

 彼女は己の右腕を抱えるように庇っており、その手の隙間から血が溢れ出した。

 恐る恐る手を放せば、制服の一部が破かれ……、そして布の隙間からは肌ではなく赤い肉片が覗いていた。痛々しいどころではない傷だ。


「常盤さん……!」

「いた……、うぅ……、なにか……」


 よろよろと常盤紅子が起き上がり周囲を見回した。

 彼女の視線が一点で止まる。部屋の隅だ。

 そこにはピンポン玉サイズの鉄の玉がゴロと転がっていた。

 一部に赤い液体を付着させた鉄の玉……。


 常盤紅子が踏んだのは単純なトラップだ。タイルを踏むと壁から鉄の玉が放たれ、タイルに立っている者を襲う。

 運が良ければ玉は当人には当たらず、対面の壁に衝突して終わる。だが位置が悪いと腹部や、最悪な場合には心臓や頭部を抉る。踏んだ本人ではなく線状に居る者に被害を与える可能性もあるトラップだ。

 その被害を考えると腕を掠めただけで澄んだ常盤紅子は運が良い方と言えるだろう。腕の肉を深く抉られたようだが。


「常盤さん、大丈夫……?」


 自分も何度かトラップを踏んで負傷しているというのに日下部春樹が常盤紅子を案じる。

 彼の怪我でとりわけ目立つのは足だ。左の脹脛はズボンが破けて痛々しい裂傷が走り、右足に至っては靴を履いた状態でも分かるほどに足の半分が歪に歪んでいる。短い距離の移動ですら辛そうに足を引きずり、彼の進んだ軌道に合わせて血がこびりついている。

 最初に受けた電気ショックも後を引いているようで、立っているだけでもふらとバランスを崩し、余計にタイルを踏んでしまう事も幾度かあった。


 満身創痍。だが負傷しているのは彼だけではない。

 先程鉄の玉により腕の肉を抉られた常盤紅子もまた他のトラップを踏んでおり、外傷の他にも視力を失いつつある状態だ。日下部春樹に案じられてそちらを向くが、ぼやけて上手く見えないのか視点が定まっていない。

 稲見メグも同様。最初のトラップで肩を負傷し、その後には一度、タイルの縁から吹き上げる炎に巻かれている。酷い火傷こそ負ってはいないが精神的な負担は大きく、そして火に巻かれた時に逃げたせいでタイルを幾つも踏んでいる。


「日下部くん……、どうしよう……」


 苦痛と恐怖で浅い呼吸を繰り返しながら常盤紅子が日下部春樹に問う。

 泣きそうな表情だ。血濡れになった手で顔を触ったからか、頬や顎にも血が付着している。綺麗に切り揃えられていた黒髪も乱れ、元の美しさが合わさって憐れみを誘う。


 彼女が「どうしよう」と言ってるのはいわずもがなこのゲームだ。


 既に殆どのタイルが一度踏まれており、二度踏まれたことを示すために全体を赤く光らせているタイルも少なくない。

 それどころかよろついたりトラップから逃げるためにと余分に踏まれて崩壊した箇所もあった。当初の予定よりだいぶ進行が早く、更に計画を無視してまばらに穴が空いてしまっている。


 時折遅れて欠片が落ち、ヒュウと軽い音と数秒後に底にぶつかる音を響かせた。

 それがまた冷静な判断力を削いでいく。


「とりあえず、まだ踏んでないタイルが少し残ってるから、そこを目指していこう……。それで、そのあとは……」

「その後は……」


 ゲームの終了条件は【一人脱落】。

 仮に全員がうまいこと進行し、最後に残った三枚のタイルにそれぞれが乗ったとしてもゲームは終了しない。タイルが崩壊して全員が脱落という名の転落死を迎えるだけだ。

 それを考えたのか、元より青ざめていた日下部春樹の顔がより青くなる。


「その時は……、僕が」


 日下部春樹が細い声で言いかけた。

 だがその言葉は常盤紅子にも稲見メグにも届かず、無情な電子音が彼の決意の言葉を掻き消してしまった。

 三十秒という短い時間は話し合うことも長考も許さない。覚悟を決める事すらもだ。


 そんな中でもまた一つ進み……、稲見メグが悲鳴をあげてその場にしゃがみ込んだ。


「メグちゃん!」

「どうしたの、メグちゃん!」


 日下部春樹と常盤紅子が同時に稲見メグを呼んだ。

 彼女は小さな体を縮こませ、床にしがみつくように蹲っている。


「ぐらって……、こわいよぉ……」

「床が揺れたの? 他に、怪我は?」


 常盤紅子の問いに、蹲ったままの稲見メグが大きく首を横に振った。

 自棄になったような動作だ。金色の髪が揺れる。


 稲見メグが踏んだのは単なる脅しのトラップだ。

 踏んだ瞬間にタイルが揺れる。だが崩れることはなく、あくまで揺れるだけである。まさに子供騙しのトラップである。

 もっとも、子供騙しのトラップと言えどもこの状況下で与える心理的負担は計り知れない。現に稲見メグはすっかりと怯えきり、蹲ったまま泣きじゃくだした。

 精神的に耐え切れなくなったのだろう。身を縮こませながら声をあげて泣く姿はまさに子供らしく、本来ならば親が優しく諭すか抱き上げるかでもしてやっただろう。

 だが稲見メグに掛けられたのは親の声ではなく、無情に響く電子音だった。


「メグちゃん、早く、次のタイルに移って……!」


 呻きながら日下部春樹が急かすが、稲見メグはその声すらも聞きたくないとよりいっそう激しく泣き出した。

「やだ!もうやだ!!」だの「おうちに帰る!!」だのと叫び、しきりに母と父を呼び、己の限界を訴えて言葉にならない叫びをあげる。

 彼女が乗っているタイルは既に縁が赤く変わっており、電子音が鳴り止むと今度はタイル全体が赤く染まった。


 二度目の三十秒の始まりで。このタイルに乗れる最後の三十秒。

 その恐怖にもまた稲見メグは声を荒らげて泣き出した。


「メグちゃん! 次のタイルに!どこでも良いから!!」

「もうやだ! 帰る! メグもう帰る!!」


 常盤紅子が声を掛けるも、それでも稲見メグは動こうとしない。

 小さな体をより小さくさせて首を横に振るだけだ。駄々をこねるとはまさにこの事である。なんとも子供らしい仕草だが、その果てにあるのは【死】だ。

 たとえ相手が幼い子供であろうと容赦も慈悲もない。


「メグちゃん! ……っう!」


 助けに行こうとした日下部春樹が苦痛の声をあげてその場にしゃがみこんだ。

 足を庇う体勢を取るあたり痛みで動けなくなっているのだろう。それでも這って稲見メグの元まで行こうとするが、彼等の間には幾つか穴が空いてしまっている。これを超えるのは難しいだろう。

 そもそも時間がない。

 三十秒が経過しようとし、残り五秒を知らせる電子音が鳴り始める。真っ赤に染まるタイルに蹲ったまま、稲見メグが恐怖で甲高い声をあげた。


 タイルが崩壊するまで、あと四秒、


 三秒、


 二秒……、


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