第19話:ガラスの個室の終幕
三十までのカウントを言い終え、流星はまるで覚悟を決めたと言った様子で目を瞑っていた。
彼が纏う空気の重さは相当なものだ。何も言わず黙っているが、それがまた他者に何も言わせまいという無言の圧力を漂わせている。
もっとも頭の中の会話では『三十って意外と面倒くさかったな』と愚痴っているのだが。
そんな彼の愚痴に春樹は同意を示した。
これだけの規模のゲームなのだから三十までとんとん拍子で進めるわけにもいかず、どうにか山場を作ろうと考えていたのだ。
結果、途中で春樹が制止に入り、そこで流星が刺された傷を見せる……という展開に決めた。死を目前にした男の覚悟を感じさせる流れである。真尋こと監督が『体があれば拍手したかった』と大絶賛である。
『念のために銀丈に刺されておいて良かったな』
『そうですねぇ、僕も流星さんに【後々に使うかもしれないからちょっと刺してくれ】って言われた時はどうするのかと疑問でしたが、まさかこんな形で役に立てていただけるなんて思いもしませんでした』
他人を刺した者とは思えぬテンションで銀丈が話すが、そもそも流星も刺される側のテンションではないのでお互い様である。むしろ全員が流星の咄嗟の機転を褒めているのだから同じ穴の貉だらだけだ。
そんな中、ガゴッと音が響いた。これは頭の中の会話にではなく、実際に部屋に響いたのだ。
流星が咄嗟に顔を上げる。春樹も何か起こるのかとつられるようにガラスの個室の天井を見上げた。頭の中の会話ではワイワイと楽しくしていた紅子とメグも、顔には怯えの色を浮かべて身を寄せ合っている。
『お、始まるのか』
流星の言葉を機に、頭の中で全員が『二十八!』『二十九!』とカウントダウンをする。
春樹も彼等と共にカウントダウンをしながら、顔では恐怖と不安を浮かべ「八幡さん……!」と流星を案じてみた。試しにとガラスの扉のノブを掴んでみるも当然だが開かない。むしろここで開いたら肩透かし、逆にどうしたらいいのか分からなくなりそうだ。
そうして『三十!』と盛り上がりが最高潮に達した瞬間……、
ガラスの個室の天井から勢いよく白い煙が噴出した。
「……っ!! あ、あぁぁぁぁあああ!!」
流星の悲鳴が響く。
煙が蔓延して個室が見えなくなり、春樹が「八幡さん!!」と声をあげてガラス板に張り付いた。
何度もガラス板を叩き、鍵が掛かった扉を開けようと揺さぶる。震えていた紅子達も春樹の隣に立ち、震える手でドアノブを掴んで共に開けようとし出した。
「八幡さん! くそ、ドアが……!」
「開いてよ、なんで開けてくれないの!!」
悲痛な声をあげ、春樹と紅子が必死に扉を開けようと試みた。だがもちろんだがガラスの扉は願いには応えてくれない。
その間も煙は噴出されて流星の断末魔が続く。ぞっとするような恐ろしい声だ。暴れているのか何度もガラスの扉にドンと衝撃が走る。
もっとも、脳内では、
『うぇえ、臭い!!』
と流星は元気なので実際の心配は皆無である。
匂いが酷いらしいのでこれはこれで大変そうだが。
「八幡さん、大丈夫ですか! 八幡さん!!」/『臭いんですか、それ。僕じゃ無くて良かった……』
「開かない……、ねぇ、日下部くん開かないよ! どうしよう八幡さんが!」/『本当それ。死ぬのは良いけど臭いのは嫌だよね。私の時はシナモンの匂いかホワイトムスクの匂いが良いな』
「あ、っぐぅう、う……」/『お前ら他人事だと思って……。くっさぁ……つらぁ……。あ、でも程よく溶けたから見せてやるよ』
頭の中ではのんびりと会話を続けていると、次の瞬間、春樹と紅子が必死に開けようとしていたガラスの扉に何かがぶつかった。
大きく真っ赤な……、人の体。
否、人の体だったもの、というべきか。
衣服どころか皮膚が溶け落ち、真っ赤になった肉が露見している。
顔も無惨に皮膚が爛れて捲れ、瞼を失った眼球がぎょろりと動いて春樹を見つめてきた。
例えるならば過去に保健室で見た人体模型。筋肉や筋を学ばせるために皮膚を剥がされた、あの姿だ。
煙の中から現れた流星はもはや元の姿を保ってはおらず、無惨を通り越し、ホラー染みたグロテスクな姿でガラス板に張り付いていた。
「いやぁぁああ!!」
悲鳴をあげたのは紅子だ。反射的にガラス板から逃げてその場に倒れ込んだ。
頭の中では『理科室で見たやつ!』と騒いでいるが。
「八幡、さん……?」
「……、…………」
喉も酷くただれて皮膚や肉が溶け落ちているため、流星の口から漏れ出るのは声ではなく異音だ。ゴボッゴボッと不快な音と血と肉片を吐き出している。
それすらも長くは続かず、彼の眼球がどろりと眼窩から零れ落ちるのと同時に体もその場に頽れた。
人間の体とは思えない骨格を無視した頽れ方。ぐちゃりと耳障りで粘着質な音が、流星の体が既に液体と化しかけている事を物語っている。
だがそれでも煙は止むことなく降り注ぎ、不自然にひしゃげ骨と筋肉を露見させた彼の体からも煙があがり始めていた。
ガラス板で隔離されていなければ崩れ溶け落ちた彼の体は春樹の足元まで届いていただろう。だが無情にも血の一滴も、煙すらも届かない。
「酷い……」
あまりの光景に春樹は無意識に嫌悪の色を込めて呟いた。
もちろんだがガラス板の向こうからの返事は無い。
……頭の中では平然と流星は喋り、自分の体に降り注いだ煙が何なのかを解明し始めているが。
そんな頭の中はさておき、彼の肉体は無惨に溶け落ち、もはや体ではなく赤黒い肉塊としか言えない状況までに至っていた。煙の噴出が止んでもなお彼の体は解放されず、肉片のあちこちから粘着質な血の泡を絶たせている。
ガラスの個室は完全に中と外を隔離している。煙も漏れ出て来なければ匂いも何も無い。だが未だグチグチと泡立つ肉塊を見ていると噎せ返るような匂いを感じてしまう。鼻孔の奥にこびりつくような血と肉の匂い。幻覚でしかないのに吐き気を催す。
「……日下部君、次の部屋のドア、開いたみたい」
惨たらしい肉塊を見るのも辛いと言いたげに紅子が顔を背けて次の部屋へと促してきた。彼女にぴたりと寄り添ったメグの頭に手を置いているのは慰めるためと、幼い子供に惨たらしい光景を見せまいという優しさだ。
もちろんこれもまた演技でしかないのだが、二人ともそうと分かっていても春樹の胸が痛みかけない悲痛そうな表情である。演技力が凄い、と心の中で呟きつつ、春樹も負けじと顔に苦悶の色を浮かべ、頷いて返した。
◆
『あー、臭かった。煙くる前に肉片渡しておいて良かった。じゃないと肉体戻っても匂い着いてたかもな』
あっさりと話すのは、先程のゲームで肉体を惨たらしく溶かされて死んだはずの流星である。
もちろん弔われることもなく彼の体はいまだガラスの個室の中だ。赤黒い肉片から臭気を放ち、血の泡を弾けさせているのだろう。
だが当人の意識は既に肉体から離れている。正確に言えば、ガラスの個室の中に置いてきた肉塊から、春樹ともみ合っていた時に渡した親指の爪サイズの肉片に移している。
曰く、肉体が散り散りになった場合、どの部位に意識を宿らせるかは自由で、尚且つどの部分から再生させるかも本人次第なのだという。
とっくの昔に死んで気紛れに受肉しては乗り捨てする真尋とも、ましてや肉体が借り物という銀丈とも違う話だ。
不老不死、死と同等の状態になっても同じ状態で再生する人間の理論である。
なるほど、と春樹も頷き、己のズボンのポケットに手を添えた。ここに流星の肉片がある。
『この肉片から流星さんが回復するんですか?』
『あぁ、みちみち生えてくる』
『なにそれ楽しそう! ねぇ、今度それ見せて!』
『あ、僕も見たいです!』
肉体の再生について紅子と銀丈は興味津々である。
最年少の見た目ながら一番落ち着いているメグさえも、春樹に寄り添うふりをしつつポケットの中の肉片を触ろうとしている。
それに対して流星が『とりあえずゲームを終えてからだ』と彼等を宥めてきた。
確かに彼の言う通りである。
「次のゲーム……」
春樹が呟き、入ってきたばかりの次の部屋の見回した。
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