第11話:裏切り者は……


 幾度となく鳴り響いた稼働音が嘘のように、鉄の椅子はゲーム終了と共に静かになった。稼働音どころか軋む音一つ上げず、まるで最初にこの部屋に入ってきた時かのように鎮座している。

 時間が戻ったかのような光景。だが胸部に残る苦痛と苦しさが、あの地獄の時間が確かに在ったのだと訴えてくる。

 各々は部屋の隅に座り込み、苦しげな荒い呼吸を繰り返したり小さく身を縮こまらせて泣いていた。


 誰も言葉を発することはなく、時間だけが過ぎていく。

 あんなゲームの後なのだから和気藹々と話をできるわけがない。誰も顔を合わせずそれでていて互いの様子を横目で窺う、疑心暗鬼に満ちた重苦しい空気が漂っていた。

 ……表向きは、だが。


『久しぶりに声上げて叫ぶとスッキリするなぁ』


 そう頭の中での会話で晴れ晴れと話すのは流星。

 彼は先程のゲームで一人だけ七段階目まで装置を進めていた。曰く、五段階目の圧迫を受けた際に骨が歪む感覚がし、肺の異変も感じたのだという。『肋骨と胸骨は折れてるだろうな、肺もやられたかも』とあっさりと話している。

 そこに痛みや苦しさを感じている様子はない。不老不死ゆえか苦痛とは無縁なのだという。


 春樹も同様、それどころかこの場にいる全員が痛みや苦しさを感じることない。

 つまり、あれだけそれっぽく騒いで苦しみゲームをクリアしたが、実際には全員まったくもって苦しさも痛みもなく、それどころか内心で湧き上がる『【進】ボタンを連打したい』という好奇心を押さえるのに必死だったのだ。

 もちろんそんな事は顔には出さなかった。そして顔に出さないことが、なかなかどうして難しい。


『演技するのって大変ですね。僕、今まで演技なんてしたことないから恥ずかしくて緊張しちゃいました。でもその緊張もうまくゲームに緊張してるみたいに見えたみたいで良かったです』

『あぁ、俺も結構緊張してた。でも姐さんの演技指導があってなんとか乗り切れたな』

『私も緊張したぁ! 今まで怯えた事なんてないから怯えてすすり泣くなんて出来るか心配だったの。でも真尋姐さんが指導してくれたおかげで結構うまくできたと思ってるんだ。次に高校生になるときは演劇部に入ってみようかな!』


 室内には絶望の空気を漂わせながらも、頭の中では和気藹々と会話を続ける。

 あのゲームの最中も同じだ。苦悶と裏切りを演じつつ、頭の中では平然と会話をしていた。

 それどころか幽体である真尋の厳しい演技指導が繰り広げられていたのだ。『もっと声を震わせて!』『動けないからこそ声と顔で演じるのよ!』『そんな演技でプロの世界で通じると思っているの!?』と。その熱意はいつの間にか流星と紅子が【姐さん】と呼ぶほどである。

 だがそのかいあってゲームをやりきることが出来た。途中で横やりやゲームの中断が入らなかったあたり、ゲームマスター達も信じ切っているのだろう。


『それならもう少し続けましょうか』

『そうだな。もうちょっと疑心暗鬼に陥ってると見せかけた方が向こうも楽しめるだろ』

『では僕が火種を投下しまーす』


 さっそく、と口火を切ったのは銀丈。

 実際に声を出し、尚且つその声に苦悶の色を交えつつ「どういう事ですか」と呻くように呟いた。

 胸元を掴んでいるのは傷みを堪えるためだ。正確には、痛みを堪えていると見せるためのアピールでしかないのだが。


「三回も余計に作動させる羽目になった……。誰かが指示に従わなかったということです」/『まぁ、誰って言うか僕なんですけどねぇ』

「わ、私ちゃんと押したわ。言う通りに二回装置を動かして、その後にも一回押した」/『上手くいって良かったよね。というか、よく咄嗟に騙そうなんて思いついたね。神の使いなのに人を騙して良いの? 堕天とかしないの?』

「常盤さん、それを証明できますか? 貴女は異様に怯えていた。咄嗟に怖くなって、土壇場で日下部君達に押し付けようと考えたのでは?」/『人間を騙した程度で堕天なんてしませんよぉ。それに、むしろ僕はこのゲームの期待に応えようと思ったんです、すなわち人間の為の行動です』


 脳内での会話はさておき、銀丈が紅子を疑いだす。それに対して紅子は悲痛な声で「私そんなことしてない!」と訴えた。

 そんな訴えに続くのは流星だ。部屋の一角に座り込んだままゆっくりと顔を上げ、鋭い眼光で銀丈を睨みつけた。

 その際に『全員疑われるようにもう一芝居打っておこうぜ』という提案は、鋭い眼光に反して楽しそうでノリノリである。


「そう言うてめぇはどうなんだ。潔白を証明できるのか?」

「そ、それは……」


 流星の言及に銀丈が言葉を詰まらせる。

 だが次の瞬間、流星は鋭い視線を今度は紅子に向けた。次いで紅子の隣で膝を抱えて蹲るメグにも。


「全員が怪しいんだ。この男が言ったように、お前が土壇場で怖がって押し付けた可能性もある」

「そんな、私は……」

「お前じゃなくてそのガキかもしれねぇ。泣き喚いてりゃ疑いの目は逸らせられるからな」


 疑いを掛けられたと分かり、メグが小さな体を震わせた。

「メグじゃないもん……」という声は散々泣きじゃくったせいで痛々しいほどに掠れてしまっている。そんなメグの肩を紅子が慰めるように抱き抱えた。非難の視線を流星に向ける。


「それなら、久我さんだって……」

「俺が? ふざけんなよ、誰がてめぇらの分を被ってやったと思ってんだ」


 反論する流星の声に怒りの声が混ざる。

 だが声を荒らげないのは先程のゲームでの負傷が響いているからだ。それどころか喋ったことで痛みが走り「くそっ」と暴言を吐き捨てると顔を伏せた。もちろんこれもまた演技でしかないのは言わずもがな。


 重苦しい空気が更に重くなる。

 正確に言えば、重苦しい不仲の空気を皆で協力して更に不穏な物に変えているのだが。


 そんな中、春樹が「止めましょう」と皆に訴えた。

 次の瞬間に「うっ……!」と声を詰まらせて咳き込むのは胸の苦しさアピールである。紅子が「日下部君!」と駆け寄り隣に座り込む。

 脳内では真尋が『ナイス演技よ!板についてきたわね!』と褒めてきた。


「ここで疑い合っていても答えなんて出ませんよ……。それに、僕達が仲違いすれば向こうの思う壺です」

「……日下部君」


 春樹が苦しさをアピールしながらも告げる。

 それとほぼ同時に、まるで話し合いは終わりだと言いたげにモニターが切り替わった。

 ゲームが終了して拘束が外れると共に、モニターに表示されていた残り時間は停止していた。だが今は05:00という表示が新たに映し出され一秒ずつ刻んでいく。

 五分以内に隣の部屋に移動しろという事だ。残っていればどうなるか……、今更なのか説明もない。


 この場で争っていても意味が無い、むしろ時間を消費し、そしてゲームマスターを喜ばせるだけ。

 そう考えると怒りの熱も冷めたのか、流星と銀丈がほぼ同時に深く息を吐いた。


「……悪い、熱くなり過ぎた。日下部の言う通りだ。あのゲームの狙いにまんまと嵌っちまった」

「確かに日下部君の言う通りですね。常盤さん、八幡さん、疑ってしまい申し訳ありませんでした」


 謝罪の言葉を口にしながら、銀丈が流星に手を貸して立ちあがらせる。

 それを見た紅子がメグに「行こう」と声を掛け、次いで春樹が立ち上がるのを手伝ってきた。いつ春樹がバランスを崩して倒れても良いように身を寄せてくる。

 上目遣いで春樹を見上げ、その目を薄っすらと細め……、


「私じゃないよ……。日下部君、信じてくれるよね?」


 そう儚げに告げながら。

 不安げな紅子に、春樹はじっと彼女を見つめて頷き返した。


 そうして疑心暗鬼と苦痛と恐怖に塗れながら、タイムリミットの死から逃れるために次の部屋へと移動する。

 まだゲームは始まったばかりなのに既にこの有様なのだ。不安が漂い、その足取りは重く遅い。死から逃れるために部屋を移るが、その先にもまた新たな苦痛と死が待ち構えているのだ。


 といっても、実際にはどれだけの苦痛と死が待ち構えていてもどうという事は無い。

 むしろ楽しみでさえあるのだが。


『ねぇ、さっきのあたしの囁き、悪い女っぽくなかった!? ゲームに怯える憐れな少女でありながらも、春樹が庇ってくれるから利用しようとする悪女の一面も出してみたの。私も裏切り者かもって疑われそうじゃない?』


 春樹に肩を貸しながら紅子が誇らしげに語ってくる。

 顔には相変わらず恐怖の色を浮かべているが、これがゲームの場でなく素を出せる状況ならばきっと得意げな笑みを浮かべた事だろう。

 彼女の話に春樹も同意を示した。確かに、先程の紅子の囁くような言葉は意味深だった。弱々しい少女の訴えにも聞こえるだろうが、反面、春樹を味方に着けるための工作とも考えられる。

 周囲に聞かれないように囁いたのもポイントが高い。といってもゲームマスター達は律儀に音声を拾っていただろう。


『確かに、ここでもしかしたら実は紅子さんが……って思わせるのは良いね。僕も怪しまれるような事をしたいんだけど、今になって方向性を変えるのもおかしいかな』


 いっそこのまま、誰も疑わず生還しようとする純粋な高校生を演じるべきか。

 誰もが疑心暗鬼になる中で一人ぐらいはそういう人物がいるのも良いかもしれない。そう悩むと、目元を赤く晴らしてしゃっくりを上げていたメグが頭の中で『春樹はそれで良い』と告げてきた。

 見た目は泣き晴らして疲労している幼児だが、頭の中での会話ははっきりとした口調だ。もちろんしゃっくりも上げていない。


『春樹はそのままで良い……。そういう良い人が死ぬのを喜ぶ人いる』

『そうかな。それなら僕はこのままの路線でいこうかな』

『次のゲームは何でしょうねぇ。僕が裏切り者っていつばらします? 出来れば裏切り者らしくむごたらしく死にたいですねぇ、インテリ眼鏡はクソ野郎でラストに無様に死ぬって相場が決まってますからね!』

『どこの相場だそれは。でもまぁ、どういう風にって言うなら、俺はせっかくだから普段は死ねない派手な方法で死にたいな』

 表向きは陰鬱と、頭の中では和気藹々と、次のゲームへと移動する。


『さぁ次の舞台が始まるわ! 完璧な演技で観客を満足させるのよ、皆、気合いを入れなさい!』


 高らかに響くのは、この場には居ないはずの故人である真尋。

 すっかりと演技指導に熱が入った彼女の叱咤に、全員が『はい、監督!』と威勢よく返した。


 気分はすっかり演技に生きる者だ。

 もっともその演技は『いかにもそれらしく死ぬための演技』なのだが。



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