第10話:SideGM 裏切り



 椅子に座る前から常盤紅子の精神状態は限界が近く、日下部春樹に庇われてようやくこのゲームに応じていた。

 それが予期せぬ方向に動き始めて錯乱しているのだろう「どうして終わらないの!」と声を荒らげた。

 モニターに映る少女の顔には恐怖の色が濃く宿り、固定された体をそれでもとしきりに動かそうとしている。もっとも鉄の椅子は屈強に鍛えた男が暴れようとも壊れるどころか動くことも無いほどに頑丈に作られているのだ、細身の少女が暴れたとところでびくともしない。


「なんで、もうゲームは終わったはずでしょ!!」

「どう、して……。なんで……」

「もう嫌! 嘘だったのよ。どうせここでみんな殺されるの!!」

「……常盤、さん、落ち着いて…………」


 錯乱して声を叫ぶ常盤紅子を、日下部春樹がなんとか落ち着かせようとする。だが既に装置が五段階進んだ状態では上手く声が出せないのか、苦痛で掠れた声はより常盤紅子を恐怖に陥れるだけだ。

 同じように苦しげに息を吐いたのは久我銀丈だ。堪えるように歯を食いしばり「誰ですか」と唸るような声を漏らした。


「誰か、違うボタンを……、誰かが嘘を」

「わ、私じゃない。私ちゃんと押したよ。機械だって動いたし!」


 久我銀丈の言葉に常盤紅子の混乱が増す。そこに稲見メグの火がついたような泣き声が被さり、もはやまともに会話等できる状態ではない。

 こうやって騒いでいるのは時間の無駄だ。苦痛を長引かせるだけである。

 そう考えたのか、苦し気な声を出していた日下部春樹が「僕が押します」と掠れた声で告げた。


「日下部君、押すって……」

「僕が、動かすから……。そうしたら、終わるはず……」


 だから早く、と日下部春樹が皆を急かした。



 ◆



 ゲームマスターの手元にあるタブレット端末に、日下部春樹がボタンを押したと表示された。

 それに続くように、彼に対して涙声で謝罪を繰り返す常盤紅子、苦し気に唸る久我銀丈がボタンを押す。泣き喚いていた稲見メグも常盤紅子に促されて応じ、最後にボタンを押したのは喋ることも苦痛なのか一言も発していない八幡流星だ。

 全員のボタンが押され、装置が動く。耐え切れなかった日下部春樹が声をあげた。


 その瞬間に歓喜の声をあげたのは観客の一人。

 四十代の女、名前は羽場。若さへの抵抗が目立つ蘇芳と違い、彼女は年相応の容姿をしている。見に纏っているのも年齢にあったブランドの服や装飾品だ。

 だが顔に浮かべる歪んだ笑みは蘇芳のものと同様。目当てのものが理不尽に嬲られる様に興奮し、愉悦の光景を一瞬も見逃すまいと、ぎらついた目で舐めまわすようにモニターを眺めている。

 そんな羽場の期待通り、モニターには彼女のコマである日下部春樹が苦痛の表情を浮かべている。

 既に五段階目まで進んでいたうえ更に一度装置を進行させたのだ。苦悶し当然である。


 だがそんな日下部春樹の健気な犠牲をもってしてもなお、装置は彼を解放せず鉄の椅子に縛り付けていた。


 まだ足りないのだ。


 モニターからは常盤紅子の声があがる。誰が、どうしてと、混乱する彼女の声に稲見メグの泣き喚く声が被さる。

 そして常盤紅子が「次は私がやる!」と叫ぶように名乗り出たのを切っ掛けに、ゲームマスターだけが見れるタブレットが反応した。全員のボタンが押されたのだ。ちらと一瞥して再び顔を上げる。

 背後のモニターからはまたも稼働音が聞こえ、鉄の椅子に囚われた憐れな参加者達の声が続く。


 だがそれでも鉄の椅子は彼等を放すことはなかった。


 背後のモニターからは混乱と喚き声、眼前の観客達からは歓喜の声、それらが中間に立つゲームマスターに荒波のようにぶつかる。

 これこそがゲームにあるべき盛り上がりである。まだ序盤とはいえ参加者も観客も十分過ぎるほどに熱中している。前者の胸には絶望と疑心暗鬼が、後者の胸には愉悦と期待が、溢れんばかりに満ちていることだろう。

 それら両極端な二者を己の手の上で転がしていることにゲームマスターは愉悦を覚え、だが歪む笑みは仮面の下に隠したまま落ち着いた態度でモニターを見上げた。


 日下部春樹、常盤紅子。二人が余分に装置を進行させてもなおゲームは終了しない。

 それはつまり、最低でももう一度装置の進行が必要ということ。

 そして同時に、三回分の裏切りが秘められているということだ。



 ◆



「どうして、なんで終わらないの……。もう嫌、苦しいよぉ……」


 モニターの左端で泣き顔を晒しながら、常盤紅子が哀れな声ですすり泣く。その合間に咳き込み、ヒュウヒュウと頼りない風のような呼吸を喉から漏らす様は苦し気だ。火が付いたように泣いていた稲見メグも疲れ果てたのか今はか細い声をあげている。

 呻き声とすすり泣く声、それらが混ざり合う空気は通夜を彷彿とさせる。

 それでも鉄の椅子は彼女達を解放せず、胸元の装置も圧迫し続けている。鉄製の装置に情も憐れみもあるわけがない。そもそも人を苦しめ殺すために作られた椅子なのだ。


「なんで終わらないの……誰が、ずるいよ……誰なの……」


 泣きながら常盤紅子が訴えるが、もちろんだがそれに対しての返事はない。

 この場で裏切者が名乗り出るわけがない。誰もが苦し気に呻くだけだ。先程までは彼女を気遣ってやっていた日下部春樹も余裕がないのか今は短い呼吸と苦痛の声を漏らしている。

 その中には演技をしている者が最低でも一人は居るはずなのだが、落ち着いた場でモニター越しに見ている観客達にすら分からないのだ、背を合わせて座り苦痛に耐えながらの参加者達に分かるわけがない。

 そして分からないからといって犯人捜しをしている余裕も彼等には与えられていない。ゲーム自体のタイムリミットが迫っているのだ。


 元々このゲームに設けられている制限時間は十五分。

 問題なくゲームを進められれば余裕を持って終えられる時間である。

 だがひとたびイレギュラーが起これば十五分は短すぎる。誰が犯人なのか、誰が犠牲になって苦痛を受けるか、混乱の中では話し合う余裕もなくただ押し付け合うだけで、その間にも時間は減っていく。

 実際に今も制限時間は刻一刻と迫っており、気付いた久我銀丈が掠れた声で残り時間が少ないことを訴えだした。


「早く、進めないと……。このままでは全員の装置が……。誰が、嘘を、早くしないと」

「やだ、私こんなところで死にたくない、家に帰りたいよ……。どうして、なんでみんなちゃんと押してくれないの……」


 誰が裏切者なのか分からず、互いの様子を窺うことすら許されない。

 ただ他者を責めるか嘆くぐらしか出来ず、それがまた焦りと絶望、己の無力さを痛感させられる。

 そんな中「あぁぁぁ!」と重苦しい空気を破くような怒声が響いた。発したのは苦しさに呻き言葉を発せずにいた八幡流星だ。モニターに映る彼の顔は先程まで苦痛で歪んでいたというのに、今は鬼気迫る獣のような激しさと迫力を見せている。


「俺が押した! 俺の機械を動かす!!」

「八幡さん……、でも」

「さっさとボタンを押せ!!」


 流星の声は獣の咆哮のようだ。

 六段階目まで進んでいるので既に肋骨は折れているだろう。そこから更に圧迫を受けるのだ。ただでさえ耐え切れない苦痛、今後もゲームが続くことを考えればこれ以上の負傷は誰だって負いたくない。

 まだ出会って数十分の、それも裏切者が居るような関係で庇い合う義理だってないはずだ。

 それでも八幡流星は自らが苦痛を背負うと断言し、他の者達には【止】のボタンを押すように告げた。怒鳴りつけ命じるような勢いだ。


 その声に急かされ、全員がボタンを押した。



 ◆



 ゲームマスターの手元にあるタブレット端末が反応する。画面にはゲームの進捗が一覧になっており、誰がどのボタンを押したのかが一目で分かるようになっている。

 合計の数値が二十と記され【終了条件達成】の文字が端末の画面に映し出される。それを確認するのとほぼ同時に、今までの稼働音とは違う機械の音がモニターから聞こえてきた。

 参加者達の胸部を圧迫していた装置が跳ね上がるような勢いで頭上に戻り、椅子の拘束が解かれたのだ。参加者達が椅子から転げ落ちていく。


「これにて第一ゲームは終了です。脱落者はゼロ、全員が次のゲームへ進みます」


 モニター越しに見ているのだからゲームの結果など説明せずとも分かる。それでもゲームマスターが観客達に声を掛けるのは仕事だからだ。

 観客達も今更それを指摘などするわけがなく、興奮を冷ますように各々ワイングラスに手を伸ばしたりソファの背もたれに身を預けたりと一息吐き出した。途端に一休憩と言った空気が流れる。


 もっとも、モニターの中は休憩等と言ってられないだろう。

 椅子からは解放されたが次のゲームが待ち構えているし、なにより、自分達の中に裏切者がいるのだ。それを忘れて次へと移れるわけがない。

 長引く苦痛と晴れぬ恐怖、それらが疑心暗鬼に拍車をかける。


 第一ゲームは終わった。

 だが楽しみはこれからだ。


 仮面の下で己の口角が上がるのが分かる。

 見れば、観客達の顔も歪に歪み、瞳の奥に欲望のぎらつきを見せてモニターを見つめていた。



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