最終話 線香花火の灯び

 時刻は夕方六時くらい。空は茜色あかねいろに染まり、日光に照らされていた建物の影が消えかかっている。


 家の東側に庭とウッドデッキがあるため、そこで花火をすることにして、水入りのバケツ、花火用のろうそくを準備する。


 手持ち花火はいつぶりだろうか。多分、小学生以来かな?


 あんまり覚えてないかも。


 高校生になってからはずっと勉強してたし、友達も少なかったし。遊べるような相手は少ない。一応一人はいるけど、結構忙しそうで学校以外の時間で会うのはかなり限られる。


 準備が終わって、ウッドデッキに腰掛けて黄昏ていた、その時。


 ――チャイムが鳴った。みふゆちゃんかな?


 体をグッと持ち上げ玄関に走る。


 玄関の扉を開けると、白の下地に赤とピンク色をまとった花柄のロングワンピース姿の、みふゆちゃんが立っていた。


 線が細くさらさらな髪が際立っていて、とてもきれい。


 風がふわりと吹き、足首まで伸びたワンピースの裾は、ゆらゆらと揺れてとても優艶ゆうえんさを醸し出していた。


「さっきの服、結構暑くてね……。自転車ももう乗らないからこのワンピースで来たんだけど、どう?」


「いいっ。めっちゃ可愛い。似合ってる」


 本当に可愛い。


 やっぱり、どんな服を着ても様になる。


 手持ち花火を広げたウッドデッキまで案内をして、着火用のろうそくに火をつけ準備をする。


「昔とお家変わったみたいだけど、リフォームでもした?」


 身体を右往左往うおうさおうしながら、テレビ横の本棚を見ていたみふゆちゃんが思い出を語るような声音で言った。


「リフォーム、というか建て替えたんだよね。中学二年ぐらい時に家が燃えちゃって」


「あっ……ご、ごめん。そんなことあったなんて、知らなかったよ。それなのに私……」


「別に、謝ることじゃないよ。今初めて言ったんだし」


「で、でも……」


 気まずそうな顔を私に見せて、そう言った。


「ううん、言ってなかったあたしも悪い。だからお互い様、だよ?」


 そう言って、手持ち花火に火を付け着火させた。色が青から緑、黄色と変わっていく。


 花火が落下していく姿は儚い。


 この時間も終わりに近づいているんだな。


 でもまだ、やり残してる事あるし、このままでは終われない。


「みふゆちゃんも早く花火で遊ぼうよっ」


「うん」


 コクリと頷いて花火を付ける。


 軸を中心に白い火が、枝分かれを繰り返しパチパチとはじける。


 無駄に装飾がない、芯があって周りを照らすそれは、まるでみふゆちゃんという人を現しているかのような花火だった。


 同じ花火をあたしも遊ぶことにして、手に取る。


「それで、小さい頃の写真とかは残ってるの?」


 花火に火を灯したと同時に、柔らかくしなやかな声でみふゆちゃんが言った。


 決して責めているわけではないと、その声を聴いて気が付く。


 純粋な質問なのだろうか。いや、純粋な質問なんだと思う。


 手に持っている花火は中盤くらいまで燃えかけていて、もうすぐ燃え尽きてしまう。


 当時の思い出がすべて燃えてしまったことを思い出し、胸がえぐられるような、痛みが走る。


 本当の事言って絶望されないだろうか。失望させてしまうのが怖くて最初の一言が出てこない。


 でも、ここで言わないと、後悔すると思った。


 フラッシュバックする、当時の記憶。


 とても辛い。


 でも、言わなきゃ。



「ぜっぜんぶ……燃えた。……燃えちゃったよっ」



 当時の記憶が蘇りながら発した声は、震えていた。


 写真たちや、当時の品は、凄く大切にしていたもの。


 昔は寂しがり屋で、心細くて、苦しくなった時に見て生きがいにしていた。


 見ているだけで安心できて、心の拠り所になっていて。


 毎日が救われていた。


 だけれど、あたしがしっかりしてなかったせいで家の火事に巻き込まれてしまった。


 少しして、この空気を風のように遠い彼方へ逃がすような、爽やかな声音で言った。


「ねえ、線香花火せんこうはなびしようよ」


 あたしは頷いて、線香花火せんこうはなびを二人分取り出す。


 一本をみふゆちゃんに渡して、ろうそくの近くにしゃがんで火を付ける。


 あたしのとなりで同じようにして、みふゆちゃんも火を付けた。


 パチパチ、シャラシャラとはじける音と、二人の息がする。


「辛い過去を思い出させてしまってごめん。でも、こうしてまた会えて、話せて嬉しかった」


 胸いっぱいになったこの想いがのどの奥に突っかかる。


「幻滅しないの? 昔の大事なもの、全部無くなっちゃったんだよ?」


「するわけないよ。火事なんて私たちには、何もできないんだから。不可抗力なんだよ。昔の思い出も大事だけど、私は、今美玲みれいといる方がずっとずっと楽しいし、これから思い出なんていくらでも作れる」


 ニコッと笑った。


 あまり気にしていないみたいで、前向きなんだな。


 やっぱり凄いよ。


「……ありがと。みふゆちゃんは優しいね。今日のこのことが、不安だったけど会えて話せてよかった」


 線香花火せんこうはなびの火の玉は揺れ始めていた。まるであたしの心と繋がっているみたいに、みふゆちゃんに対する想いがどんどん大きくなるのがわかった。


 夏の夜風よかぜが吹き、爽やかな柑橘系かんきつけい制汗剤せいかんざいの香りが乗せられ鼻孔びこうをくすぐる。


 線香花火せんこうはなびに照らされているみふゆちゃんが、今までより一番きれいに見えた。


 それを見たのはたぶんあたしだけ。


 あたしだけにみせたこの表情は、特別なんだ。


 今、みふゆちゃんを独り占め出来てるんだ。


 誰にも見せたくない。


 横顔を見ていると、ふと気が付いてしまった。



 あたしは、みふゆちゃんが好きだってこと。ずっと、恋をしていたんだってこと。



 気が付くと線香花火の火の玉はとても大きくなっていて、今にも零れ落ちそう。


 この線香花火のともしびが消えないうちに言いたい。


 でも、今は言えない。


 気持ちがまだ追い付いていないから。


 胸の高鳴たかなりはますます大きくなっていて、それに反応するように、線香花火せんこうはなびは消えてしまった。


「あ、消えちゃった。あたしの負けだ」


 みふゆちゃんはふふふって笑って。


「いつから勝負してたの?」


「んー、最初から?」


「ええっ、私、聞いてないけど?」


 二人の反射した笑い声が、あたしたちの耳に返る。


 とっても特別な気分で、時間が過ぎるのが早く感じる。


 そしてふわふわなクッションにいるように、気分がとっても落ち着く。


 時間が止まってほしい。


 神様、このたった一つの願いだけでも叶えてほしい。そう思った。


 あたしはみふゆの肩にそっと、体重をかけた。


 とても温かいみふゆの体温。そして鼓動、息遣い。


 すべて感じられた。


 あたしは頭をみふゆの肩に乗せて目を瞑る。


 囁くような小さい声で、聞こえないように言った。


「大好き。みふゆ」


 みふゆは体重をあたしにかけ返してきて。


「うん、私も大好き」


 小鳥のさえずりのような、小さい声だった。


 どうか、胸の高鳴りは聞こえませんように。


 どうか、ずっとこのままでいられますように。


 あたしは息を、みふゆとシンクロさせて、夜が更けるのを待った。

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