第02話 日課は今日も継続中

「――んじゃ、行ってきまーす」


 朝、俺は玄関でやや大きめの声でそう言ってから家を出る。袖を通しているのは中学校の制服。ネクタイが緑色なのは二年生である証拠だ。周りの一部男子が変に着飾った言葉を使い始めているが、俺はそんな中二な病を患うこともなく、平凡な中学生を保っていた。


 ……眩しっ。


 インドア派である俺には、この朝の日差しが眩しすぎて仕方がない。玄関扉を開けた瞬間にはもう目を細めずにはいられない。

 やはり、影に生きる俺にとって、光は害でしかないのだ。だが、それもあと少しの辛抱だ。そう待たぬうちに反転世界から闇の勢力が進行してきて、この光に満ち溢れた世界を蹂躙して――――


「――ユウ、いつまで待たせるのさぁ~」


 俺の思考をかき消すように、鈴を転がすような声が聞こえた。その声の主は、もちろん俺の幼馴染である碧だ。今日もいつの通り待っていてくれたのだ。


 中学生になった碧は小学校の頃とは見違えるように成長していた。俺はそんな碧をジッと見詰める。


「中背痩躯で瑞々しい白肌。艶やかで癖のない黒髪は肩甲骨の下辺りまで伸ばされており、今こうして俺に向けられる半開きのまなこもいとうつくしきかな。胸こそまだ幼いものの、それもまだ発展途上。巨乳に夢が詰まっているというのなら、貧乳には希望が宿っている」


 そんな碧のことが、俺は――――


「好きだ――って、ぐはっ!?」


「今日も告白ありがとう、ユウ。まぁ、残念ながらボクの好感度は下がったけどねっ!?」


 一体何が気に食わなかったというのか、碧が俺の懐に踏み込んで、鋭い右ストレートを鳩尾に叩き込んできた。細い腕に乗っかる運動エネルギーこそ大したことないが、喰らった場所が場所だ。俺がその場に膝を折るのも必然であった。


「もう知らないからね!」


 ふん、と鼻を突き上げるようにしてそっぽを向いた碧が、俺をこの場に残して一人そそくさと歩いていく。俺はまだ苦しい呼吸の中、喉から声を絞り出して手を伸ばす。


「ま、待ってぇ……あお、い……」


 パタリ。


 コミカルに倒れてみたものの、碧は無視してそのまま遠ざかって行った――――



◇◆◇



「まったくもう。ユウにはデリカシーってものがないよね」


「ご、ごめんって……」


 俺は駆け足で碧に追い付いていた。見慣れた通学路を並んで歩きながら、隣で頬を膨らませる碧に、もう何度口にしたかもわからない謝罪の言葉を言う。


 碧が両手で制服の上から自分の胸をスッと押さえて唇を尖らせた。


「何が『胸こそまだ幼いものの』だよ。何が『貧乳には希望が宿っている』だよ。馬鹿にするにもほどがあると思うなっ!」


「ち、違うってば」


「ボクだって一応女の子なんだから、そういうの普通に傷付くんですけどっ!」


「ほ、本当にごめん。で、でも俺はそんなお前が好きだって言うことを伝えたくて……」


 そう言うと、碧が突然足を止めた。振り返ると、碧が自分の身体を両腕で抱くようにして立ち、軽蔑するような視線を向けてきていた。


「な、なにユウ。もしかして貧乳好きってこと……? うわぁ……」


「んあぁもう! 違うんだって!」


「えっ、ちょ、なになになにっ!?」


 俺は碧を建物の壁に押しやるようにして、ドンッ! と逃がさないように手をついた。


「俺はお前が好きなのっ!」


「……っ!?」


 今日まで何度も『好き』と言い続けてきたが、目の前の碧は今まで見せたことのないひゅじょうを浮かべていた。顔を赤らめ、明らかに恥ずかしがっている。


 ……もしかして、壁ドンって最強?


 遂に決着か!? と俺は淡い期待を抱く。しかし、別に碧が俺にときめいたわけでないことは、すぐにわかった。


 周囲から「おぉ……!」とどよめきの声が上がっていた。

 ここは中学校へ向かう通学路。当然周りは人だらけ。同じ中学に通う生徒や、他校の生徒、出勤途中と思われるスーツ姿の男性や散歩をしている老夫婦。それらが皆、こちらに注目していたのだ。


「ばかっ、ユウの馬鹿っ! 何で公衆の面前で白昼堂々、こんな目立つことをやってくれたのさ……!?」


「……大変申し訳ありませんでした」


 はぁ、と呆れたように大きくため息を吐いた碧が、早々にこの場から消え去りたくなったようで、俺の手を掴んで早足で引っ張っていく。


「お、おい……!」


「早く学校行くよ!」


 俺の半歩先を早歩きする碧。後ろからでも黒髪の隙間から覗く耳の先端が赤く染まっていることがわかった。でも、それは恋によるドキドキではない。ただの羞恥。


 俺はこうして手を掴まれただけでも、心臓が大きく跳ねたというのに。


 好きになるって、こんなにも辛くて苦しくて切ないことなんだ。


 俺はそのことを、どうしても碧に教えてやりたいんだ――――

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