[20時31分  北校舎・一年D組]

 酒の効果の一つに、口を軽くするというものがある。


 「さて、と改めて聞きたいんだが」和服を着た退魔士はあぐらを組み直した「あんた達は、その『砂糖』とやらの取引の為に来たんだよな。うん、『砂糖』がなにかは聞かないよ。で、その取引の場だが……」


 蔵内くらうち多十郎たじゅうろうの目が、交渉をまとめてきた田川たがわに向いた。常日頃から言動が軽いが、いまは酒が入ったため、さらに饒舌じょうぜつになっている


 「うん。そうっす。三階の教室っすよ」それだけでは十分でないと感じたのか、杯を傾け、さらに言葉を続ける「三年E組っす」


 なるほどね、と言いながら多十郎は空になった田川のさかずき徳利とっくりの中身を注いだ。先程から彼の分はただの水に変更しているのだが、雰囲気で酔うタイプらしく、杯に口を付けては、いやぁ、この酒美味いっすね、水みたいに喉を通っていきます、と繰り返している。


 まあ、水だからな。


 多十郎は大柄な男に目を向けた。見た目だけならば、ここにいる誰よりも強そうだ。


 「えーと、藤木ふじきさんだっけ? あんた、こっちは自信あるかい?」


 自分の二の腕を叩いてみせると、大男は怯えたように首を横に振った。


 「そうか、まあそれでいいよ。喧嘩なんてしないに越したことはないからね」


 身体は大きく、筋肉も充分に付いている。だが、それは物を動かしたりすることはできても、人を傷つけることはできないのだろう。見た目や交わした会話からして、彼らがいわゆるヤクザ者であることは間違いない。間違いないが、三人全員共にこの世界で成り上がっていくのに必要な資質が欠落している。


 片隅でひっそりと生きていくことはできるとは思うが。


 「となると、やっぱり三階に行くのはやめた方がいいな。俺を見てもわかるだろ。あそこにいるのは、あんた達の常識が通じない奴だ」


 それに、と言葉を挟む。


 「狙われているんだろ、あんた達。白服だっけ? その拳銃をぶっ放してきたってやつ。どうも今晩のこの学校は、常識内でも常識外でも厄介な奴らが集まっているみたいだね」


 帰るのなら校門まで送って行くよ、という多十郎の提案にリーダー格である堀井ほりいは首を横に振った。


 「危ないよ。こういう日は仕事を放り投げて家に帰り、風呂に入って寝る方がいいと思うけれどもね」


 そうっすよね、と横から口を出す田川の声には耳も傾けず、ヤクザトリオ最年長の男は年が刻まれた目尻の皺をやさしく崩した。


 「明日の米代が掛かっていますから」


 「なるほどね。そいつは重要だ。貸してやれればいいんだけれども、俺もそいつばかりは心許なくてね」


 お互い辛いですな、と中年を過ぎねばわからない笑みを浮かべて男達は笑い合った。


 「そういえば、蔵内さんは連れとはぐれているそうですね。よろしいのですか、探さなくて」


 野たれ死ぬ程、かわいいやつじゃないからな、と多十郎は答えた。実際、あの犬の化け物が死ぬというのは、この町が消滅するような規模の事態が発生しない限りありえない。


 「まあ、こうやって楽しく酒に付き合ってくれたお礼だ。しばらくはあんた達の護衛を引き受けるよ。ま、出来る限りで、という条件付きだからね」


 とりあえずこれを空けたら、と多十郎は杯を掲げた。


 「もうちょっと見通しの良いところに行こうか。その方が色々と便利だからね」


 「感謝します」


 あぐらをかいた膝に両手を乗せ、堀井は深々と頭を下げた。一瞬動きを止めた後、多十郎は杯を置いて同じ動きを返した。

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