[20時24分  北校舎・三階廊下]

 あたりまえのことだが、学校の廊下というのは剣戟けんげきを行うことを想定して作られてはいない。


 つまり、狂犬の異名を持つ少年がその剣を最も効果的に振るうに足る空間を確保するためには、立ち位置というものが非常に限定されることになる。


 不本意ながら青山騎士との戦闘に突入してしまった警視庁特務に属する桂木かつらぎ玲香れいかは、的確な立ち位置を相手に与えない、という戦い方を選択した。どれほど才能があろうが、どれほど身体能力があろうが、それを発揮するための必要条件というものは存在する。その条件を満たさせない彼女の戦い方は、結果として長期戦に突入してしまった。


 これもまた不本意である。


 プロという職業が成立している格闘技は、そのほとんどがラウンド制を取っている。一定時間戦い、そして休憩を挟む。それが採用されている理由は簡単だ。人間の身体は長時間戦うことができるようには作られていないからである。


 元々、玲香れいかの本来の任務は情報収集である。身体能力は常人より優れ、またそれを生かすための装備をまとってはいるが、戦闘には特化していない。接近戦の場合は、相手の姿勢を崩し、追い込み、そして離脱する。それが彼女の戦闘スタイルである。だが、現在はその三段階のうち、一段目と二段目を延々と繰り返している。


 繰り返さなければならない状態に陥っていた。


 「いいぜ! いいぜ! あんたすごいよ!最高だよ!」


 青山あおやま騎士きしが姿勢を崩されながら、嬉しそうに笑う。自分が思い通りに剣を振れない。思いように力を入れられない。それはもどかしい。そのもどかしさを、戦闘中に一呼吸ずつ修正し減らしていく快感が少年に喜びを与えていた。


 「少年」


 手にしたナイフで少年の剣を受け止めながら、玲香は鋭く息を吐いた。


 「いい加減、諦めてくれないだろうか。こっちは仕事中だ。君とやりあうのは面倒以外のなにものでもないのだが」


 「だったら、一撃目を受けた時点で無様ぶざまに逃げるべきだったな」


 少年が押し返す。わずかに玲香の姿勢が崩れた。致命的なものではない。だが、戦闘継続に使うべき体力がまもなく危険水準に入ることを知るには充分であった。


 戦闘によりひびの入った窓を盗み見る。ここは三階。あそこから逃げるか。


 「――なんだ?」


 少年が自分の視線と同じ方向に顔を向けた。窓からの逃走を見破られたか、と思ったのだが、青山騎士の瞳は窓ではなく、そのの向こうに向けられていた。


 水平方向に。


 「失礼」


 言葉と同時にひびが入っていた窓ガラスは完全に砕けた。黒い執事服の男が宙を歩き、優雅に押し入ってくる。


 「二条にじょう執事のつつみと申します。そちらの方に」狂犬の少年に目を向ける「お嬢様がご挨拶を致したいと」


 最も早く反応したのは玲香れいかだった。かかとで床を蹴り、大きく距離を取る。追いすがろうとする少年の動きを、一歩前に出た執事が潰した。舌打ちと共に、視線を窓の外へと戻す。


 そこには少女がいた。宙に足を預けているというのに微動だにしない。自分が自分であることに絶対的な自信を持っている瞳が少年に向けられる。


 「はじめまして。二条桜子さくらこよ」


 「青山騎士だ。名前は知っている。魔法遊びに興じている金持ちの道楽娘がいるってな」


 「挑発ならもう少し気が利いたものにしてくれない? まあいいわ。わたしの目的は『夜の灯火ともしび』。わたしのおばあさまの所有物であり、あんたたち魔法使い様たちの協会に属したバカが盗み出して、そのまま行方不明になったものよ」


 なるほど、と青山騎士は牙をむいてわらった。目的が重複した。ありがたい、という以外に言葉が出てこない。


 「俺の目的も『夜の灯火』だ。身内の恥をそそぐために派遣された。で、あんたとしては、自分が正当後継者だから俺には手を引け、と言いたいんだろうが、返答は次の通りだ」


 剣の先を少女に向ける。


 「『お前が二条桜子である証拠はどこにもない。かたりの可能性がある以上、俺は自らの手で「夜の灯火」を回収して協会に届ける。それを邪魔するお前は敵だ』」


 そう、と桜子もまた笑った。


 「一つ聞くが、この学校に展開している邪魔な結界はお前のものか」


 「そうよ」


 礼を言う、と少年は身体ごと少女に向き言葉通りに一礼した。そして笑う。


 「お前のおかげで今夜は戦いが楽しめているぜ」

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