[20時20分  北校舎・一年D組]

 からくも虎口ここうを逃れたヤクザ三人組は二階の隅にある教室に飛び込んだ。


 「ほ、堀井ほりいの兄サン、い、いまのはなんだったんっすか」


 口調と行動が軽い田川たがわが、あえぐように言葉を溢れさせた。普段の言動の軽さが見事に消え失せている。


 「さあな」


 短く言葉を返し、教室の入り口に戻る。さきほど三人が飛び込んだ扉には、一番大柄な藤木ふじきが扉を押さえるような形で座り込んでいた。その肩に手を置く事でねぎらうと、堀井は廊下の様子を窺った。追ってくる様子はない。


 まったく、なんでこんなことに、と自分にしかわからぬように堀井は溜息をついた。


    ・


 「砂糖」の受け取り場所として指定された教室に向かう途中、激しい音が聞こえてきた。時代劇の殺陣たてみたいな音だな、と思いながらも三階に着いた時にはその音は止んでいた。


 代わって聞こえてきたのは、こちらを不安にさせる笑い声であった。


 声の発生源は目的の教室からではなかったものの、その教室の前を通り過ぎねばならない以上、無視することもできない。


 というわけで、できるかぎりそっと覗きこんではみたのだが、中にいたのは狂犬の異名を持つ少年。非合法系のお仕事中の身とはいえ、身体能力的基準で分類すると、一般人というくくりの中に入れられる三人組はあっさりと見つかった。


 「四人か」


 少年の口がそう動いた。直後、その姿が消える。


 再びその存在を目で捉えるよりも早く、三人組の背後で風切音と金属音が交差した。少年は右手に剣を握ったまま、廊下に立っていた。


 ヤクザ三人組に背を向けて。


 少年の瞳の先には白い服の男がいた。夜の中であまりに派手なその姿は、目立つが故になにかの錯覚ではないのかと思ってしまう。


 「あんたの狙いはこいつらだな」


 銃弾を叩き落とした少年の問い掛けに、白い服の男が肩をすくめる。おどけた仕草だが隙はない。


 「あんたはこいつらを狙った。俺はそれを邪魔した。つまり、俺はあんたの敵だ。いいな」


 それから、と少年は銃口へ背を向けた。廊下に座り込む三人組の間を通り、四人を見据えることのできる位置に立つ。


 白服と少年に挟まれた三人の中で、最年長である堀井が静かに足へと力を入れた。鉄火場をくぐった経験などないが、この先なにかが起こるというのは四十年以上も生きていれば理解できる。ひょろりとした田川は完全に落ち着きを失っており、和製フランケンシュタインのような身体を持つ藤木はその大きな身体を戸惑いで満たしている。


 少年が口を開いた。


 「わかってねえようだから言っておく。その白服は、おっさんたちの敵だ。きっちり急所に向けてぶっ放したから間違いねえ。で、俺はこの位置に立つことに寄って、おっさんたちをそいつの銃口の前に立たせた――なにが言いたいのかというと」少年が剣を構える「これで俺もおっさんたちの敵だ」


 さあ、みんなで始めようぜ、という言葉と同時に少年は剣を振るった。衝撃波でも出ているのだろうか。その一振りで、当たってもいない廊下の窓ガラスが割れる。


 常識が追いつく事態ではなかった。走れ、という堀井の言葉に二人の部下は駆けだしていた。もちろん少年のいる方向とは逆へ。すなわち、白い服の男へ。堀井もそれに続く。


 白服の男もまた自分の経験と常識をあっさりとくつがえす事態に判断が遅れた。本来の狙撃対象である三人はすぐそこにいる。撃てる。殺せる。が、恐怖に近い感情は、銃口を少年へと向かわせた。自身の判断に舌打ちをしながらも、引き金を引く。


 放たれた銃弾は少年の胸元に向けて飛ぶ。飛び、そして一閃と共に叩き落とされた。白服の男の横を標的であった三人が駆け抜けた。


 銃弾が、剣で弾かれた。

 ならば、取るべき選択肢は一つしかない。


 白服の殺し屋もまた、その場から逃走した。


    ・


 結局あの白服男はなんだったのだろう。


 いわゆる「殺し屋」であるのは間違いない


 少年の言葉によれば、彼は自分達を狙っていたらしいが、理由に心当たりがない。ヤクザとはいいながら、実際のところはグレーゾーンに片足の親指の爪先を突っ込んでいるだけの町の便利屋である。クスリ類には手を出していないし、風俗にすら関与していない。せいぜい「砂糖」が精一杯の悪事である。


 まあ仕事柄ある程度の恨みを買うのは致し方ないが、それでも銃口を、それも殺し屋を差し向けられる程のものというのはどうも想像がつかない。


 横にいる巨漢が不意に身体を震わせた。それが堀井を思考の迷宮から引き戻す。足音が聞こえた。


 どっちだ。あの白服か。それともあの物騒なガキか。

 扉の向こうで足音が止まった。


 「そこ、誰かいるのかい」


 年を重ねた男の声。おそらく自分よりも年上だろう。あの二人ではなさそうだ。

横で不安そうな顔をする大男を、窓際で震える軽薄男のところまで下がらせる。


 立ち上がった。襟元を整える。

 扉を開いた。


 そこに立っていたのは、和服の男であった。


 「おっと、初対面さんだね。俺は蔵内くらうち多十郎たじゅうろう

 「堀井ほりい義之よしゆきと申します」


 そうかいそうかい、で、奥の二人はあんたの連れかい、という問いにうなずく。


 「ところで、あんたたち、上の階で面倒事に巻き込まれたクチかな」

 「ええ、まあ」


 俺もさ、と笑うと中年男は教室に入ってきた。


 「なんとなくわかっていると思うが、いまこの学校はちと面倒な奴らが集まってきている。どうする? 帰るのなら校門まで送るけれども」


 「まだ仕事の途中でしてね」


 あー、そりゃぁ投げ出すわけにはいかないよね、と多十郎は笑うと、袖から取り出した札を扉に張った。


 「いまのは?」


 「御守りみたいなものかな。まあ神頼みより効果はあるけれども。実は、俺の方もツレとはぐれてしまって、さっさと逃げ帰るわけにもいかない状況というでね」


 お互い苦労しますな、という堀井の言葉に多十郎は笑った。袖に再び手を入れる。


 「そちらも一息入れたいところだろ」徳利と杯を人数分取り出して笑う「どうだい、一杯やらないか?」

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