[20時11分  北校舎・三年B組]

 「まいったね。おじさん、君みたいな子を相手にするのは苦手なんだけれどもね」


 「そう言うなよ。俺の方は一晩ぶっ続けでもかまわないぜ」


 青山あおやま騎士きしの身体が床を流れるように滑る。左の肩を多十郎たじゅうろうに向かって突き出し、右手の位置を相手の視界から隠す。効果的な一撃を狙っているのであれば、たとえ出どころを隠されようが姿勢から剣筋は判断できる。


 しかし。


 狂犬という少年の異称を知らないものの、多十郎は相手の本質というものを理解していた。戦闘を目的とするものはとにかく手数が多い。理由は簡単。その方がやりとりを多く楽しめるからだ。


 剣術の指南役がいたら額に青筋を立てそうな位置から剣が放たれる。大振りの一撃をかわすと、続いて細かい連撃が襲ってくるが、そこに戦術の組み立ては見えない。青山騎士の戦い方は間違いなく計算によるものではない。


 したがって先を読むこともできない。来るものに即座に対応していくしかない。


 舌打ちをして、自分の左腕に施された封印を見る。瀕死の一歩手前までいけば自動解除されるらしいが、そんな事態に陥りたくはない。


 「疾風はやてっ!」

 「承知」


 犬が二人の間を横切る。その一秒の数分の一の間に、右手の小刀と左の手の長刀を交換する。青山騎士の目はそれを捉えた。唇が嬉しそうに歪む。


 案の定、距離を取った。警戒ではない。次の出方を期待している光が青山騎士の目にある。


 だと思ったよ、小僧。


 「あー、君。青山くんだったっけ」意味のない持ち替えで時間と距離を稼いだ多十郎が、ゆっくりと言葉を紡ぐ「いやぁ、びっくりしたよ、おじさん。こんな夜中にまさかこんなに激しい運動をすることになるとは思わなかったよ」


 「汗をかかないどころか、呼吸すら乱さない奴がなに言ってやがる」青山が笑う「まあいい。まだまだやれるんだろ、おっさん」


 「やれるさ。でもね、おじさんぐらいの年になると、いい加減、効率ってものを重視するようになるんだよ。無駄な体力の浪費を避けるためにね」さて、次の言葉に乗ってくるか「具体的に言えば、君の目的を知りたいんだがね」


 「言わねえよ。それを言って、あんたと目的がかぶっていなかったら、これでおしまいになっちまうだろ」


 やっぱりね、と口の中でつぶやく。さて、どうしようか。


 疾風の位置を確認。ここは撤退するのが上策のようだ。青山相手にやりあっても負けはしないだろうが、後に残るのは疲労だけ、というのはなんとしても避けたい。


 一晩寝たら体力が回復する青少年とは違うんだぞ、中高年は。


 青山が動いた。楽しげな瞳と共に、楽しげに刃が振りまわされる。いまは防御に徹し、さばく。ひたすら捌く。まったく、なんて手数だ。それに一撃毎に強さと速度と軌道を全て変えてくる。全く、どうしてこんな奴に戦いの才能が宿ったのか。


 いや、逆か。戦いの才能が、こいつを作ったのか。


 妖犬の疾風は少し離れたところで戦況を見守っていた。元々、探索が彼の任務である。戦えないこともないが、この白刃のやり取りに身を投じるつもりは毛頭ない。


 だからこそ、戦っている二人よりも早くその影に気付くことが出来た。


 青山騎士の放った剣の軌道がわずかに逸れた。


 逸らした、ではない。逸れた、である。なにものかの妨害を受けた少年の目が、わずかに多十郎からずれた。同時に、多十郎の身体は少年の横を通り抜けた。身体を反転させ、青山の剣が中年退魔士の背を追う。が、その刃にどこからかわずかな抵抗がかけられた。かまわず振るう。何かを切る感触が他に伝わった。だが、刃は間に合わない。ただ虚空を斬る。


 「あらら、切られちゃったか」


 窓に女がいた。少女と大人の境目にいるようなその女は、獲物を見張る猫のような姿勢のまま二人の戦いに介入したワイヤーを回収する。


 「ありがとう、お嬢さん。助かったよ」


 疾風が確保した教室の出口への移動を完了した移動した多十郎が、窓にいる女に声をかけた。いえいえ、そんなおじさまぁ、とやたらと甘い返事が返ってくる。


 なんというか、忙しい夜だ、今日は。


 「助けてもらえたことに感謝しているよ。名乗っておこうかな。蔵内多十郎だ」


 「わたしはルナ」月を背に少女が窓辺に立った「職業は怪盗――の見習いです」


 で、次の相手はお前がしてくれるのか、と二人のやり取りをつまらなそうに聞いていた青山騎士が剣を握りなおした。


 「まさか。わたしの目的は盗みだよ。あんたがなにを目的にここにいるかはしらないけれども、戦う理由はなにもないわ。戦ったら勝ち目はないけれども、逃げ足だけなら勝負にすらさせない自信があるわ――じゃあね、若造くん。おじさま、また会いましょう」


 その言葉と共に、身をひるがえそうとした時だった。


 「『夜の灯火ともしび』」


 少年の唇が動いた。怪盗の動きが止まる。


 「偶然というのはあるものだな。黙って行かすのはしゃくだから口にしただけだが、いいものを引き当てたらしい」少年はわらった「そいつの回収が俺の目的だ。この場でのやりとりはおしまいかもしれんが、お前がここを徘徊はいかいするのであれば、いずれ俺とぶつかる。ぶつかった以上、やり合うことになるぜ」


 続いて、瞳は中年退魔士へ。わかったよな、おっさん、とは目で語る。


 目的がぶつかりあった以上、この怪盗見習いと戦闘になる可能性は十分にある。そして、目の前にいる手練てだれの中年男は、その状況を見過ごすことができるほど薄情ではないだろう。


 一瞬だけ眉を寄せると怪盗見習いを名乗る女性は窓の外の夜へと消えた。剣撃を楽しませてくれた相手も犬と共に廊下へと消えた。


 笑いがこぼれてきた。

 抑えることができない。


 少年は真夜中の教室で一人哄笑こうしょうした。


 そのあまりの異様さに中を覗いたヤクザトリオが引き返すほどに。

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