[20時05分  北校舎・三年B組]

 少し時間を巻き戻す。


 ちょろい系男子の和之かずゆきとしっかり系男子の弘忠ひろただがいる二年B組の真上には三年B組がある。そこでは、瀬尾せお菖蒲あやめ一人一匹いちにんいっぴきの幽霊と共に深夜のお茶会をのんびりと楽しんでいた。


 その男が現れるまでは。


 「あー、すまんね、お嬢さん。おじさん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」


 声が耳に届くと同時に、菖蒲あやめは机の脇に置いていた木刀を掴み、即座に声の主へと向けた。


 「おっとごめんよ、驚かせちゃったみたいだね」


 男は――現在金欠中の退魔士である蔵内くらうち多十郎たじゅうろうは教室の入り口で両手を上げた。上げながら中を確認する。少女が一人。これは人間だ。そして、その奥にいる一人と一匹。これは幽体。


 即ち、狩りの対象となる存在だ。


 「何かご用でしょうか? わたくし達はいま楽しいお茶会の最中なのですが」


 言いながら体重を少しずつ移動させていく。おかしい。なぜ自分はこの男の接近に気付かなかった。この和服中年男が相当の実力者であることは、笑みと共に両手を上げながらも袴に隠された脚の動きを見せないことからも理解できる。


 だが、ここまで気付けないのはおかしい。


 なにより。


 多十郎たじゅうろうもまた、わずかではあるが混乱していた。校内に入ってから、突然、感覚に異常が生じた。退魔士たいましというのは、仕事がら無意識のうちに視覚や聴覚を越えた「感覚」としか呼びようのないものを常に展開している。


 この学校の敷地に入った時に、まずこの教室を目指したのは、その感覚に掛かるものがあったためだ。だが、校舎に入ると、その感覚が働かなくなった。それ自体はめずらしいことではない。侵入者対策のために結界が展開されているというのは良くある話だ。


 例えば、目の前の少女が、その後ろにいる幽霊を、自分達のような退魔士から守るために。


 しかし、そうであるならば、その結界を作ったであろう彼女自身が、自分の接近をなぜここまで許したのか説明がつかない。なにより彼女自身、多十郎がここに現れたという事実を必死になって分析しているように見受けられる。


 ――第三者がいるのか。


 「えーと、まあ、あれだ。とりあえずおじさんはお嬢さんと戦う気はないよ。うん、本当」


 「そうですか。ではお名前を」


 「おやおや、こんなところでお譲さんみたいな可愛い子からナンパされるとは思っていなかったよ」軽口を叩いて様子を見る。警戒は緩みもしなければ強くもならない。良い意味で動揺がない「おじさんは蔵内多十郎。で……」


 おい、と呼ぶと廊下で控えていた従犬が入ってきた。


 「こいつが――」


 われ疾風はやてだ、と犬が答えた。そして次の瞬間、なぜか動きを止める。


 どうした、疾風、と小声で尋ねるが返事がない。いったいなにが、と相棒の視線の先を探ろうとした時だった。


 「へえ、なんだか楽しそうじゃん、ここ。俺も混ぜてよ」


 廊下から少年の声と床を蹴る音が同時に聞こえてきた。即座に多十郎の身体が沈んだ。そでに隠しておいた短刀をてのひらに滑らす。


 廊下から凶刃きょうじんが飛び込んできた。鋭い斬撃。それを短刀で受け流す。


 受け流した瞬間、多十郎は自分の対応が間違っていたことを知った。いまのは命を狙っての一撃ではなかった。力量を探るための。戦いを楽しめる相手かどうかを知るための一振りであった。


 背後でガラスが割れる音が聞こえた。視線をわずかに流す。さきほどまでそこにいた巫女と幽霊と幽霊犬の背中がまどの向こうに去っていく。窓枠にはロープのかぎが掛かっている。気配は下へと移動。が、それに構う余裕はない。


 一閃を浴びせてきた少年が距離を取った。残念なことに勘は当たっているらしい。戦闘という行為自体を楽しむ笑みが刀を握る少年にはある。


 「青山あおやま騎士きし


 「やれやれ。若い子の相手は疲れるんだけれどもなぁ――疾風」


 「わかっている」


 多十郎は右手の小刀を構えたまま、左手で長刀を抜いた。左手首に巻いた包帯が目に入った。その下にある封じの紋を思い出し、顔をしかめる。


 これさえなければ楽勝なのに。まったく、協会のクソババアが余計なことをしてくれた。おかげで、面倒な事態になりそうだ。


 多十郎は床を蹴った。

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