[20時05分  マンション屋上  ―怪盗見習い、と―]

 「うーわっ、また入っていったよぉ。どういうこと? なんで夜の学校にこんなに人が集まるわけ? しかも今夜に限って」


 あー、もう面倒だなぁ、と呟くと、学校を見下ろすマンションの屋上に座る女性は、指先で宙を叩いた。第三者がもしもいれば意味不明の仕草にしか見えないが、特製のゴーグルを通じて得られる視界にはそこにバーチャルキーボードが存在している。


 指が宙を叩くと、それに連動し、映像が展開した。侵入と逃走に備えて設置した各出入り口のカメラがもたらした映像を整理する。陽が落ち、学校が閉門してから入っていった人たちは――


    ・


 まずは黒髪が美しい少女。調べは済んでいる。この学校に通う三年生の瀬尾菖蒲あやめだ。近くの神社の娘だが、どういうわけか一度帰宅した後、毎晩のように学校にやってくる。


    ・


 次が少年二人組。一人は顔立ちと体格が良く、ついでに頭と性格が良さそうで、おまけに運動神経もかなりのものだと推測できる。要注意。


 もう一人は、なんというか、こいつ残念なんだろうなぁ、という雰囲気を身にまとっている。校門を越える動きこそ慣れてはいたが、その後の行動を見る限り運動神経は平凡。おそらく頭の中身も平凡。出会ったら相応の注意を払うことになるかもしれないが、それまでは忘れていて問題はない。


    ・


 それを追うかのようにやたら大きなコウモリが横切った。常識外れの大きさはやはり気になる。


    ・


 その次の三人組は、明らかにその筋の者であった。真ん中にいたちょっと苦労が肩に出ているおじさんがおそらくリーダー格。素敵。すっごく素敵。眉間みけんにできている皺がたまらない。


 あと軽薄を絵に描いて額縁に入れて解説文を添えたような男と、怪奇映画から出張してきた大柄な男がそれに従っているがこれらはまあどうでもよい。


 総合評価としては、普通の人間ならば警戒をするべき相手と判断するだろう。


 逆に言えば、普通ではない自分としてはさして警戒は必要ではない。


    ・


 続いて入ったのは、中年女性と年配の女の二人組。


 関係性がまったく見えないが、どうも中年女性のテンションに、年配の女が引きずられているように見える。足の運びはごく普通。それだけに、なんでこんな時間にこんなところに来たのかが気にはなるが。


    ・


 問題はここからだ。


    ・


 夜を無視するように白一色で身を固めた男。


 その奇抜きばつともいえる服装を前もって知っていなければ、見た瞬間、必ず理解の為に一瞬動きを止めてしまうだろう。足の運びはプロのもの。それ相応の場数を踏んでいると思われる。問題はただの闇稼業の人間かどうか、であるが今のところは判断がつかない。


    ・


 その次に入ったのは、四十半ばと思われる男だった。着崩した和服と無精ぶしょうひげに見せかけながらも整えられているあごひげがおじさん好きにはたまらない。こちらもグッドです。ベリーグッドでナイスです。


 お供に犬がいるというのも高ポイント。

 いいですよ、うんうん。


 問題としてはそのおじさまと犬がどう考えても常識から外れた世界に属する人間であるということ。つまり、自分と同じ側の住人である。


 「んー、素敵なラブロマンスに発展するきっかけになればいいんだけれども」


 そうなる可能性は大いにあると信じたい。とりあえず、髪の乱れを一応直しておく。


 目的物がまったく同じで奪い合いになる可能性もあるけれども。


    ・


 その次に南側から入ってきた小柄な少年。こいつは要注意だ。注意に注意を重ねても万全とは言えない。


 世の中、ごくわずかではあるが、手段のためには目的を選ばない人間と言うものがいる。そしてこいつは絶対にその種の人間であると断言できる。目的遂行のための戦闘ではなく、戦闘を行うために目的遂行の方法を考える人種である。


 でなければ、隠し置いたカメラに向かい、気付いていることを誇示するような笑いを向けたりはしない。


 あー、もうこれだから若い男の子はいやなんだよねぇ、と溜息をつく。


 とりあえずこいつとの接触は極力避ける。運悪く避けられなかったら、ただちにその場を離脱する。


 もし自分がごくごく普通の二十歳の女性であれば、あの少年は興味の欠片かけらも向けないだろうが、残念なことにいまの自分は彼の興味を引くだけの力を有している。


 絶対に。絶対に戦闘だけは避けること、とつぶやき、女性は次の映像に切り替えた。


    ・


 その次に学校に入ってきたのは疲れた様子のサラリーマンだった。身体的に、というよりも人生そのものに疲れたような足取りであるが、もうなんというかそれがたまらない。おじさま、わたしがおじさまのすべてを癒してあげる、といますぐ飛んで行きたくなる。


 左手の薬指に指輪があるのが残念でならない。


 とりあえずこのおじさまのことは心にとめておこう。というか、少々危険ではあるが、どこかで接触しておかないと、いろいろな意味でまずいような気もするし。


    ・


 その次に入ってきた女性はあまり気にすることはないだろう。こちらも人生に疲れてはいるようだが、だからどうした、というのが偽らざる感想である。


 男視点ならば「放っておいたら自殺しそう。助けてあげないと」と感じるのかもしれないが、女の心というものがいかに頑丈であるかを自分自身で知り尽くしている身としては、見ていて欠伸すら出てくる。


 次だ次。


    ・


 最後に入ってきた三人組のことは知っている。知っているがため、笑みがこぼれてしまう。


 執事とメイドという二人の従者を引き連れた少女は、二条桜子さくらこ


 十五年前に「夜の灯火」の正当な持ち主であった女性の孫である。多額の寄付金を納めることでようやく入学の条件の一つが満たされる私立の学校に通う少女が、どこにでもあるような公立校にわざわざ夜中に忍びこむ理由はなにか。


 決まっている。


 女は立ち上がり笑みを浮かべた。


 叔父が行った盗みの中で数少ない失敗である「夜の灯火ともしび」。何者かが先に盗み、その行方がどのような筋からも全く出てこないあの宝石の関係者が、今夜ここに来た、というのは偶然なのだろうか。


 偶然ではあるのだろう、が。


 喜びに身体と心が震える。彼女は自分とは違う道をたどり、そして同じ目的地に辿り着いた。二条桜子が現れるまでは、これだけの人が校内にいることを面倒だと思っていた。だが、彼女の登場により状況は一転した。


 まぎれもなく同じものを奪い合う敵手が現れたのだ。その瞬間、これまで校内へと入っていった人達は素晴らしい障害へと変わった。競う相手がいる。目的不明な人達が中がたくさんいる。不確定な要素が入り乱れることに言い様のない興奮が湧きあがってくる。


 「――ん?」


 女性はまた映像を切り替えた。一人の女の姿が見えた。スーツ姿のそれは一見したところ普通の仕事場で働く女の格好に見える。


 その身体の運びを無視すれば、だが。


 女の動きの端々に特殊な訓練の跡がある。規律ある一員として行動しながらも個人行動を許されている動き。


 強い。


 もし自分がいま身につけているものの助けがなければ、対峙することすら許されずに組み敷かれるだろう。わずかに汗がにじみ、唇の端が自然と上がった。


    ・


 すべての映像を確認し終えた女性の顔に笑みが浮かぶ。予測不能な因子がさらに増えたにも関わらず、遊園地に新しいアトラクションが出来たような楽しさが心を支配する。


 女性は小型のバックパックを背負った。超科学、としか呼びようがない種類の力をまとう少女はマンションの屋上を蹴った。


 月に女性が重なる。


 十五年前にあの「夜の灯火」を盗むことに失敗した怪盗の姪にして後継者であるルナの足が宙を捕らえる。まるで見えない足場があるかのように空中を走り、ルナは学校へとその身を躍らせた。


    ・


 ルナがもう数分この場所で映像を確認しておけば、学校を訪れる人がもう一人増えたことに気付いただろう。


 近所の中学校の制服に身を包んだ少女は、双子の姉に、帰りが遅くなるかもしれないというメッセージを送ると、正門脇の扉をそっと通った。

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