[20時02分  都立草舎高等学校正門前  ―お嬢様と執事とメイド―]

 都立草舎そうしゃ高校は、東京都の練馬ねりま区というところにある。


 練馬区というところを知らない人のために少し解説をすると、東京二十三区という首都を構成する行政区画の中にありながら僻地へきちとしての扱いを受けているところであり、畑が多く、野菜の無人販売所があり、他の区からは「あそこは東京ではない」とまで言われるところである。


 実際、区民自身、ここが大都会東京の一部であるというのは何かの間違いではないか、と思っているくらいだし。


 というわけで。


 そのような場所には不釣り合いなほど立派な車から降りた小柄な少女は腰に手を当てると「東京都立草舎高等学校」という校門の文字を睨みつけた。


 手入れの行き届いた髪に高価な服という格好であるが、それらはすべて顔立ちと瞳を引きたてる方向に働いている。


 その後ろに控えているのは、同じく車から降りてきた執事とメイド。いずれもそれぞれの言葉をそのまま形にしたような、完璧な執事と、完璧なメイドの姿をしている。


 じいやの運転する車は、三人を降ろすと「ご用がお済になられましたらお呼びください」とい言葉を残し、去って行った。


 五月の風が小柄な少女の髪を揺らした。


 「つつみ」少女が執事を呼ぶ「手配は終わっているわね」


 「はい、お嬢様。今晩この学校に関する警備関連はすべて解除しております。もちろん、ここで何かが起きた時には、全て二条にじょう家が後始末をする、という条件付きではありますが」


 「構わないわ。早乙女さおとめ、門を開けなさい」


 はい、とメイドが応じた。

 そして、左脇にある通用口を開く。


 「なんでそっちなのよ! 私が、この二条桜子さくらこが通るのよ! 正門を開けなさい!」


 「お言葉ではございますが、桜子様」メイドが静かに答えた「面倒です」


 「あんた、それが雇い主に対する態度なわけ!」


 「いやいや、お嬢様は冗談がお上手ですな」一歩下がって控える執事が楽しそうにわらった「私と早乙女がお仕えしているのは、お嬢様ではなく、当主であるお父上でございます。そして、我々に命令を出すことができるのは、ご当主様のみであります。いま現在、私と早乙女がお嬢様の命令に従っているのは、単にご主人様が『すまないが、娘のわがままを聞いてやってくれないか』と言っているからであり、お嬢様ご自身に威厳があったり魅力があったりしているわけではございません。にもかかわらず、そのような世迷言よまよいごとを口になされるとは。いやはや、まったくもってお嬢様は……お嬢様は……おや、わたくしはなんと言葉を結ぶつもりでしたのでしょうかね?」


 「おそらく堤さんは『冗談がお上手ですね』という皮肉で終えるともりであったかと。しかしここは素直に『お馬鹿でございますね』とした方がよろしいと思います」メイドが言葉を引き取りながら小首を傾げた「それとも桜子様はやはり遠まわしに小馬鹿にされる方がよろしいですか?」


 「あんたら……」


 まあまあここでお嬢様が短気かつ浅慮せんりょであることを証明し続けるのも時間の無駄でしょう、と執事の堤は後ろから主の娘の両脇に手を入れた。そのまま持ちあげ、小さな子をあやすようにそのまま運ぶ。


 校門脇の通用口を開けていたメイドが、持ち上げられたまま暴れる桜子にうやうやしく一礼する。


 「あ、あんたたちおぼえておきなさいよ」


 「ご安心ください、桜子様」メイドは淡々と答えた「わたくしも堤も、桜子様と違って頭は非常によろしいですから」


 怒りのあまり顔を真っ赤にさせたお嬢様に続き、主と二人の従者は門を抜けた。そこでようやく桜子の身体が下ろされる。


 「さて、いかがなされますか、お嬢様」


 「まずは学校の内部に結界を張るわ」


 少女が右のてのひらを上に向けた。緑色の光が集まり、そこに三十センチ程の光の針が複数生まれる。


 「いきなさい」


 桜子の声と共に針は宙に踊った。桜子の指が舞う。針は忠実に命令に従い夜を駆けた。少女の視界を抜け、学校の壁に、校庭の地面に、屋上へと突き刺さる


 「完全に張り終えるまでに、どの程度掛かりそうですか、お嬢様」


 「効果はすぐに。完全になるまでは十五分ほどかしら」


 「かしこまりました。早乙女さん、お茶を」


 執事の言葉に一礼したメイドは、どこからか椅子とテーブルとクロスと紅茶セットを取り出した。手早くお茶の準備が進められる。


 執事が椅子を引き、桜子がそれに座った。

 見た目だけは完璧なお嬢様のお茶の時間が始まった。

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