[19時42分  小さな公園  ―おじさん―]

 溜息をつくと幸せが逃げていく、という言葉が真実であるかどうかは不明だが、少なくとも、溜息をつくような状況が幸せではないことは確かである。


 具体的に言うと。


 「――ああ、うん。済まないね、まだ寄らないといけないところがあって。先に休んでいてくれ。うん、おやすみ」


 という家族あての電話を切ったスーツ姿の坂上さかがみ卓也たくやは公園のブランコに座ったまま大きく溜息をついた。家族にはあのように言ったものの、予定などはなにもない。


 昼間と同様に。


 中年男はまた溜息をつくと、先程食べ終えた激安店の半額弁当の残骸をゴミ箱に捨てた。このまま自分も捨てられればいいのに、とつぶやき、どうしようもないほどに暗い笑みをうかべる。


 勘の良い人であれば、スーツ姿・家族へ仕事が忙しいという嘘の電話・公園のブランコ・半額弁当で済ます夕食、というキーワードでピンとくると思うが、まさにその通り。


 二か月前まで愛する妻と二人の娘の為に働くごく普通のお父さんであった坂上さんは、うん、まあ、つまりはそういう事態に陥っていた。


 具体的に言うと、一か月前のとある日、独裁経営をしていた社長が愛人と共に会社の金を手にどこかへと去り、お金を管理していた経理の人間も動かせるお金を自分のカバンに詰め込んで消え、さらに社長に取り入ることで役職についていた口先男の無能な仕事ぶりが得意先数社への契約違反という形で発覚するという、致命傷三連発が、わずか十五分の内に連続発生したのである。


 従業員わずか十数人の小会社がその事態に耐えられるはずもなく、一斉に仕事を引き上げられ、さらに違約金の請求が行われた。


 かくして会社は事実上つぶれてはいるわけだが、同時に会社が受けていた仕事というのは残っている。


 残された社員達のうち坂上を含む数名は、律儀にも受けていた仕事を他社に引き継ぐべく一カ月ものあいだ東奔西走とうほんせいそうしたわけだが、それも昨日で一通りが終わり、後は会社の書類上の終焉を待つばかりとなっていた。


 問題は、その終焉の先である。


 金というものは使えば無くなる。無くなれば、食い物が手に入らぬ。食い物がなければ飢えて死ぬ。


 死にたくない以上、働かなければならないのだが、問題は働きます、という意志をしめしただけでは働くことが出来ないという現実である。


 世の中、いろいろとその辺りをサポートしてくれる仕組みはあるのだが、追いつめられると物事というのは見えなくなってくる。さらに、家族に心配をかけたくないという理由で現状を伝えるのを先延ばしにしてしまった結果、坂上さかがみ卓也の精神状態は追い詰められていた。


 それなら、まずは家族へ正直に打ち明ければいいじゃないか、と言う人もいるかもしれないが、当たり前のことが当たり前にできるのであれば、この世の中、こんなにややこしいことになってはいない。


 ともあれ。


 精神状態がかなりアレな状態の坂上は鞄を手にふらふらと公園を出た。ふと目を上げると、視線の先に月と学校の屋上が重なった。


 「保険金って……自殺でもおりたよな」


 つぶやく。


 正常とはいえない精神状態が、正常とは言えない選択肢を導き、坂上の足を学校へと向かわせた。


 学校の屋上へと。

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