[19時16分  大きな公園  ―退魔士―]


 「お金がないねぇ」


 蔵内くらうち多十郎たじゅうろうは公園のベンチの上で腕を組んだ。中年男がまとう和服の袖が、風を孕み大きくふくらむ。


 相棒の犬――妖犬ようけんが呆れたように口を開いた。


 「当たり前だ、金というものは使えば無くなる」


 「とはいえ使わないと、食い物が手に入らない。食い物がなければ飢えて死ぬ。まったくこの社会というのは難儀なんぎなものだね」


 「ならば雌が不必要にあふれている店で、生きていくのにまったく必要がない酒を飲む必要がどこにある」


 妖犬にはわからないだろうが人間にはうるおいというものが必要なんだよ、と蔵内は無精ひげを撫でながら笑った。四十半ばではあるが表情が作り出す雰囲気は時に不釣り合いなほど若くなる。


 「雌に溺れるものが良く使う詭弁きべんだな。潤いだけでは食っていけんぞ。とりあえず、明日の私の飯は確保してもらおうか」


 「おいおい、疾風はやて。一日くらい食わなくても、妖犬は死なんぞ」


 「百年喰わなくても死なんな、われは。だが、我はお前の飼い犬だ。そしてお前は我の飼い主だ。主である以上、食わせる義務というものがある」


 なんで困っている人間に正論を吐くかね、この犬は、と蔵内は天を仰いだ。東京には夜空はない。必ずどこかに光があり、それが完全な闇が成立することを阻んでいる。


 そのせいで光と闇が混じり合い境界がかすむことになるわけだが。


 「まあ仕方がない。何か狩って金を稼ぎますか」


 欠伸あくびをしながら男は立ち上がった。その口調の軽さが男の実力を示している。その奔放な性格から組織との折り合いも悪く、さらに野放しにするには危険すぎる実力の持ち主であるため、能力制限まで施されているが、それでも一匹の犬だけを相棒に妖魔狩りという仕事で食っていけるだけの力がこの男にはある。


 「どうする? 新宿の支局で仕事を探すか?」


 「まあそうなるかな。その前に何か飯の種が見つかればいいんだがな」


 男の歩みに疾風が続く。

 夜の街を十五分ほど歩いた時だった。


 「…………ん?」蔵内が足を止めた。都立草舎そうしゃ高等学校とある校門から中を覗く「どうだい」


 「いる、な」


 疾風が低い声で答えた。


 問題は金になるかどうかだよなぁ、とぼやきながら、蔵内は校門を軽々と飛び越えた。

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