[19時31分  中庭  ―巫女と幽霊と幽霊犬―]

 「あーやーめーちゃーん、もうおやつにしようよぉー」


 あぐらをかいたまま宙に浮いている笑子えみこは、その姿勢のままひっくり返った。さすが幽霊。天地逆転の態勢にもかかわらず、スカートのすそは重力を無視してガード状態を維持している。


 「あと二十振りするまで待ってください」


 えー、と逆さまのまま口を尖らせる幽霊少女に小さく笑いかけると、袴姿の菖蒲あやめは木刀を構え直した。後ろでまとめた長い髪に、夜の光が落ちる。神社の娘にして、巫女みこにして、この学校の三年生である少女は、目を閉じた。呼吸を整える。


 次の一振りのため、息をわずかに吸った時だった。


 「ワンッ」


 犬の声が張り直した気持ちを崩した。目を開けると、笑子と同じく青い光をまとった一匹の幽霊犬が舌を出して座っていた。二つに分かれた尻尾を親しげに振る。


 小さな笑いがこぼれる。


 「笑子、おやつにしましょうか」


 「むーっ、わたしが言っても聞いてくれなかったのに。菖蒲ちゃんはレモンに甘すぎると思う」


 「笑子にも充分甘いですよ、わたくしは」


 木刀を収め、いままで素振りをしていた場所に向かい一礼すると、瀬尾せお菖蒲あやめは中庭のベンチに置いていた大きな巾着を手に取った。どこでおやつにしますか、という言葉に、菖蒲の教室で、という答えが返ってくる。


 人間一人と、幽霊一人と、幽霊犬一匹の組み合わせは開けておいた扉から北校舎に入った。階段を上がる。この学校では、一年生に一階が割り当てられ、以降、学年が進むごとに階が一つ上がることになっている。


 最上級生の菖蒲は、三階にある三年B組の教室に入ると、窓際にある自分の机に座った。灯りはつけない。月の光の下でお茶会の準備が始まる。みんなが座る椅子の向きを幽霊の笑子が変える間に、巾着きんちゃくからお菓子を取り出す。本日のお茶請ちゃうけは親戚が持ってきてくれた二種類の草餅くさもち。それを小皿に分け、さらにポットに入れた温かいほうじ茶を人数分注ぐ。


 「おおっっ、きれいな色だね。もう食べていい?いいよね?」


 はい、どうぞ、という返事の最後に、いただきますという言葉が重なった。同時に笑子が草餅を口へと放り込む。


 「んー、美味しい。餡子あんこ入りなんだね、これ」


 「はい。もう一つ真ん中がへこんでいる方がありますよね。そちらはそのへこみにきな粉と白蜜を入れて食べるそうですよ」


 答えながら、机に上半身を預けている犬の幽霊にお皿を差し出す。


 「はい、レモンもどうぞ」


 可愛らしい鳴き声と共に、犬の幽霊も草餅にかぶりついた。少女と幽霊と幽霊犬とによる深夜のお茶会。幽玄的、というよりは、どこかおかしさのある時間がゆっくりと過ぎていく。


 「そういえば、菖蒲ちゃんはもう三年生だよね。学校にはいつまで来るの」


 「夜は年度末……来年の三月三十一日まで来ますよ、ちゃんと」


 「あーあ、菖蒲ちゃんもいよいよ最終学年かぁ。ねえねえ、卒業した後は、誰か遊びに来てくれるの?」


 探してはいるのですがね、と巫女の少女は湯呑に口を付けた。この学校に長年住み続けているこの幽霊のお茶会が始まったのは、菖蒲の母がここの生徒であったころからである。


 以降、卒業前に後継者を指定することで一年も途切れることなくお茶会は継続している。


 「いまの在校生には適当な者が見つからないのですよね。でも、ご安心ください。来年、従妹いとこが入学する予定なので、わたくしと入れ替わる……とは思います」


 「思う?」


 少し成績の方が、と苦笑する。


 「度胸も、巫女としての実力もわたくしより上なのですが……」


 「そうなんだぁ――あ、そうだ。あの子はどうかな? ほら、たまに夜中に忍びこんでくる男の子がいるじゃない」


 「ああ、彼ですか」言われて思いだす「笑子に言われて調べてはみたのですが、どうもその、評判が……いえ、悪い人、という意味ではなく、粗忽者そこつものというか……」


 えー、いいじゃない別に、と笑子は椅子の上に浮かびながらあぐらをかいた。


 「要するに、おっちょこちょいなんでしょ。楽しいと思うけれどもなぁ」


 それはそうなのですがね、と腕を組む。目の前の幽霊は自分よりも長い年月を重ねているはずなのだが、どうも話していると、姉目線になってしまう。どうせ毎夜の話相手となるのであれば、笑子にはもっと素敵な男の子を選んで欲しい。


 「レモンはどう思いますか?」


 「わんっ」


 さすがに犬の、それも幽霊の返事は、わからない。いまのは肯定ですか、それとも否定ですか、と笑子に尋ねる。


 「草餅のお代わりが欲しいって」


 一瞬の空白。その後、少女二人の小さな笑い声が重なった。

 刀を携えた無粋ぶすいな乱入者が現れるまで。

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