第163話「転移装置」
「転移装置?」
聞き慣れない言葉だった。けれど、首を傾げる僕とは違い、アヤメ達は何やら驚いている。
「転移装置って、アンタそれ真面目に言ってるの?」
「まさか、完成していたのですか?」
どうやら、機装兵的にはテンイソウチとやらは常識らしい。とはいえ実際に存在するものとして、というよりは想像上のものなのかもしれない。ヒマワリもユリも、ロックの言葉をにわかには信じられない様子だった。
「テンイソウチっていうのは?」
「その名の通り、物質を二地点間で移動させるものです。ただし、移動にかかる時間はなく」
「……て、テンイってそう言う意味!?」
古代の言葉で話しているのかと思ったら、ロックはちゃんと僕にも理解できる共通語に直してくれていた。それでも分からなかったのは、その意味するところを上手く想像できなかったからだ。
「えっとつまり……?」
「このケースの一方に物体を入れて起動すれば、それがこちらに移動します」
天秤のような台座の上に並ぶ二つのガラス管を指差しながら、ロックが解説してくれる。当然ながら、ガラス管が直接繋がっているわけではない。一応、太いケーブルが束になって繋がっているけれど、そこを通じて移動できるようなものではない。
「いったいどうやって……」
「マギウリウス粒子の仮想性に注目し、そこにゆらぎの姿を定義することで普遍的存在可能性の拡大解釈を発展させ――」
「ごめん、全然分からないや」
軽率に質問すれば、百倍になって返ってくる。そのうちの一割だって理解できず、僕は慌てて白旗を揚げた。
物質を離れたところへ一瞬で送る転移装置。そんな技術があるなら、世界はどれだけ便利になるだろう。これまでの過酷な旅路を思い返し、あれが一瞬で済む世界を想像する。
どんな山奥でも新鮮な魚が食べられるし、世界中の人に会いに行ける。パセロオルクにも気軽に帰ることができるだろう。
「これが今も使えたらいいのにねぇ」
「今どころか、昔も実用化はされてなかったはずなんだけど」
思わず理想をこぼすと、ヒマワリが不可解そうな顔をする。今よりもはるかに技術の発達していた彼女の時代でも、転移装置は一般に普及していたわけではなかったらしい。どうやら、この大きな装置は実験段階のものだったのだとか。
「実用に至らなかったということは、転移技術は安定しなかったのですか?」
「いえ、技術自体は完璧であったと記憶しています。実験環境での転移成功率は九割を超え、特に改善が進んだ終盤ではほぼ失敗もなかったのではないかと」
それならば何故、とユリはいっそう不思議がる。
「費用対効果……いえ、エネルギーロスが大きすぎたのでは?」
ロックが答える前にそう言ったのはアヤメだった。彼女は真鍮のように輝く金属製の天秤部分をそっと撫で、古びた機械の往時に思いを馳せている。実験では成功しながらも、一般に普及することはなかった画期的な技術。その理由。
彼女の端的な指摘に、ロックは少し笑いながら頷く。
「ご名答、と言わせてもらおう。実験は成功したが、小さなネズミを一匹、この距離のぶん移動させるだけでも、この施設の月間使用電力の二四〇〇%を消費したんだ」
「それはもう、収支が全く合わないではないですか」
「だから実用化には至らなかった」
呆れて嘆息するアヤメに、ロックも素直に頷く。
〝割れ鏡の瓦塔〟が実験施設として稼働していた頃。つまり施設長が存命で、全ての実験が順調に続けられていた頃のことだろう。全盛期とも言える時代、消費するエネルギーもまた莫大なものだったはず。この転移装置は、小さなものをごくわずかに移動させるだけで、それを遥かに超える莫大なエネルギーを求めた。
あまりにも法外な要求に、研究員たちも驚いたことだろう。なんとか節約できないかと試行錯誤したはずだ。それでも今、この画期的な転移装置は倉庫の奥で埃をかぶっている。
「所詮は夢物語だったということさ」
「先ほどの説明を聞いている限りでは、非科学的な分野にも干渉しているようでしたが」
「手当たり次第、あらゆることを試していたそうだ」
当時を知る人間はすでにいない。ロックも、実際にこの実験に立ち会ったわけではない。
改めて転移装置を見ると、そこに寂寥感さえ抱く。ある意味では、この施設の黄金期を表すようなものなのかもしれない。
「そういえば、ここでもエネルギー問題なんだね」
ロックの話を思い返しながら、ふと気付く。
ジンはこの施設を完全に掌握できるだけのエネルギーを求めているし、何かとエネルギー不足に悩まされる運命にある場所なのかもしれない。
「あ、だから〝紅光の墜星〟を借りたのかな。それを使えば、転移装置も自由に動かせたり……して……?」
素人考えの冗談と思いつつ語っていると、なぜか周りが静かだ。困惑して振り返ると、ロックたちが一様にこちらを見ている。四対の青い瞳に見つめられると、急に落ち着かなくなってしまう。
「な、なんてねぇ」
「……実際、その理由で借りた可能性はあるかもしれません。エネルギー問題さえ解決すれば、転移装置は実際にとても強力な技術ですから」
「でも、実用化には至ってないんでしょ?」
〝紅光の墜星〟はすでにこの施設に運び込まれているはず。ならば、それをどこかに隠してしまうのではなく、転移装置に組み込んでしまうはずだ。けれど転移装置は現にここにある。
ロックが知らないなら、別の転移装置があるというわけでもないはずだ。
「違う。そうじゃない……。問題はエネルギーだけじゃなかった」
はっとしてロックが口を開く。なにか、唐突に思い出したようだ。
「エネルギー問題は第二の問題なんだ。それ以外に、致命的な問題があったはず」
「ロック? 大丈夫?」
彼の様子がおかしい。
険しい顔をして、頭を抱えている。何か、肝心なことを忘れている。
「――ここは、どこだ? 検疫所。なぜ、私はここにきた?」
「ロック、大丈夫?」
彼は明らかに取り乱している。周囲を見渡し、狼狽えている。
様子のおかしい彼を、アヤメ達も警戒しながら注視している。
「碇だ。――碇を探さなければ」
誰に伝わるわけでもなく、自分に言い聞かせるように。彼は口の中で呟く。
碇とはなんだろう。意味は分からない。ただ彼は何かを探している。
「ああ、すまない……。すまない、ヤック殿」
「ロック、あなたの言動は異常です。落ち着いてください」
一瞬にして、彼は急激に老けたように見えた。いや、加齢するはずがない。表情が険しくなっているのだ。余裕が消えている。
アヤメがなんとか落ち着かせようと声をかけるが、彼はふらふらと動き続ける。
「違う、そうだ。そういうことか。――そうじゃない」
破綻した言葉を続けている。
なぜか、急に彼が恐ろしく見えた。どうすればいいのか、全く分からない。そのまま、彼を見つめることしかできない。
ロックは何かに気が付いたようだ。けれど、それを口にはしなかった。その代わりに、彼はよろよろと動く。焦燥した表情のまま、埃をかぶった転移装置の方へ。
「待って、ロック!」
なぜか、僕にはその姿に覚えがあった。さっきも感じた謎の既視感。ヒマワリは気のせいだと一蹴したけれど、そうじゃない。何かを僕は忘れている。――僕は、この部屋に一度入ったことがある。
「ダメだ、ロック!」
「ヤック様!」
「マスター、離れてください!」
咄嗟に、深く考える余裕もなくロックの背中を追いかける。けれど、アヤメとユリが僕の腕を掴んで抑える。逃れようともがいても、当然脱することはできない。
「止まりなさい!」
そのうちに、ヒマワリが銃を構えた。照準は、ロックに。
警告にも拘らずロックは転移装置へ向かう。すでに機能を止めて久しい、古い天秤の機械へ手を伸ばす。
「ああ、ヤック殿。――次こそは」
真鍮に指先が触れたその瞬間。
「――ッ!?」
僕らは鮮烈な白い光の奔流に飲まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます