第158話「異常な空間」
次の瞬間、僕は白い部屋にいた。シミひとつない純白の四角い部屋だ。ついさっきまで薄暗い地下のようなところにいたはずなのに。
「これはいったい……?」
「論理的推察ができません。エラーを想定しますが、どうやら私だけの問題ではないようですね」
「うわっ!? な、何よこれ!?」
ユリ、アヤメ、ヒマワリも同じ感覚に襲われたらしい。突然切り替わるように周囲の景色が変わり、困惑している。中でも僕が目を疑ったのは、少し遅れて入ってきたヒマワリが、まるで部屋の隅から突然現れたように見えたことだ。
「やはり、施設内はこのようになっていましたか」
「ロック! こ、これはどういうことなの?」
なにやら訳を知っていそうなロックも、何もないところから突然現れる。彼はどう説明したものかと悩み、僕らを部屋の隅に呼び寄せた。
「もう一度、こちらへ歩いてみてください」
「わ、わかった。……うわぁっ!?」
当然行き止まりであるはずの部屋の隅に向かって数歩進む。そのまま壁にぶつかるかと思った直後、僕はまた暗い地下空間に立っていた。振り返ると、どこかへ繋がる深い横穴が広がっており、そこに向かって歩けば穴の中には入れず白い部屋へと戻る。
アヤメたちもそれを確かめ、どうやらこれが偶然性によるものではないと理解したようだ。不思議そうな顔をしつつも、この瞬間移動のような現象が現実であることを認める。
「これはいったい何がどうなってるの?」
「第一一一施設が時空間に関する研究を行っていたことは話しましたね。塔の周囲がその影響で異常な空間になっているとも。塔の内部も、そのような時空捻転や破断の影響を受けているのです」
ロックはさらに噛み砕いて説明し、それによれば塔の内部の空間は見た目が当てにならないほど不規則にシャッフルされているということだった。穴に飛び込めば別の部屋に出て、壁に向かって歩けば別の場所へ辿り着く。その法則や規則は、ほぼ把握することも不可能なほどに入り組んでいるという。
「流石にこんな迷宮は初めてだよ。いくらなんでも、迷路すぎる……」
探索者が挑む場所は迷宮と言われてこそいるけれど、実際にはきちんと地図もある。たまに構造が変化することはあっても、見た目が当てにならないということはない。これはもう、迷いの宮とかそう言う次元を超えている。
「実際、このような構造に異常が生じている環境を探索するのは困難なのでは? これでは危険の予測もできません」
ユリは僕の側にぴったりついて、ロックに向かって苦言を呈す。この現象を事前に説明しなかったことを怒っているらしい。
「私もここまで異常が拡大しているとは思わなかった。なんといっても、私自身施設に入るのは三十年ぶりくらいだから」
「それにしても忠告くらいはしてもいいでしょう」
「申し訳ない……」
そうは言っても、もし事前に予告されていても対応なんてできなかった。これはどうやって気をつければいいのかさえも分からないのだから。
「一応、対応策もないわけではないんだ」
申し訳なさそうな顔をしつつ、ロックは言う。それを早く言えとばかりにユリが睨む。同じバトルソルジャー同士ということもあり、だんだん遠慮がなくなってきているようにも見えた。
「ひとつは、この施設の特殊破壊兵装を使うこと。けれど、今、私はそれを持っていない。そもそもジンによって隠されていて、どこにあるかも分からない」
「別の策もあるのですか?」
「……ジンは、この施設の構造も全て把握している。そして、彼の下にいる機装兵たちも、そのマップデータはインストールされているはずだ。そうでなければ、自由に出歩くこともできないからな」
「そのデータを手に入れるには――」
ロックとユリたちが、頭の上で話し込んでいる。聞こえ漏れてくるものから、僕もある程度の予測はできた。
地図がないならば、地図を持っている者から奪うしかない。つまりはそういうことなのだろう。
「あなた達は、機装兵と敵対したことは?」
「あるわよ。うんざりするくらいね」
ロックの問いに、ヒマワリが答える。その声が少し硬くなっていることに、僕は気付いた。機装兵と敵対すること、本来仲間であるはずの者に刃を向けること。その意味を、ヒマワリはよく理解している。
アヤメも、ユリも、同じく頷く。それを見て、ロックもなにか察したようだった。
「人工知性ジンは、現在暴走状態にあり施設保安の観点から非常に危険と判断される。よって、対象およびその影響下にある機装兵および自律機械群は全て敵対的存在として処理することが認められる。――と、私は解釈する」
「異論ありません。〝紅光の墜星〟の安全管理復帰のためにも、この状況に対処する必要があるでしょう」
彼らは誰かに向かって宣言するように、自身の行動の正当性を訴える。それが誰に聞き入れられ、受理されるのか、僕には分からないけれど。これはアヤメ達にとって重要な段階を踏んでいるのだと解釈した。
これによってアヤメ達は、自身に課せられた制限を抜けることができる。それは例えば、味方を害することであったり、保全すべき施設を破壊することであったり。本来ならばしてはならないこと、できないことを実行するための前準備なのだ。
「それで、そう都合よく地図を持った奴が来るの?」
銃を構え、剣呑な雰囲気を醸し出すヒマワリ。覚悟を決めた彼女に、ロックは自信を持って頷いた。
「私たちが施設内に侵入したことは、ジンもすでに把握している。彼にとって、私は最後の一ピースだ。私を取り込むか、排除できればひとまずの目標を達成できる。そのために、すぐに誰かを送り込んでくるだろう」
だから、ここで待っていればいい。彼はそう言った。
何もない白い部屋だ。部屋の一角に向かわなければ、別の場所へ飛ばされると言うこともない。逆に言うと、ここから先へ向かう術もないのだけど。それでも大丈夫だと彼は太鼓判を押し、泰然として待つ。
「道は向こうが教えてくれますよ。ヤック殿は、安全なところでお待ちください」
彼にそう言われてしまえば、僕もできることはない。ヒマワリと一緒に壁際に寄り、部屋全体を眺める。いつ、どこから何が現れてもいいように。
「ユリ、あなたはまず戦いを見ていてください。BS-02M型の戦い方を学習するんです」
「分かりました。それまでは、アヤメ達も?」
「ええ、できる限り加勢は控えていただいた方がいいでしょう」
果たして、
「わざわざ入ってきてくれるとは、ついに気が変わったか? BS-02M111N99」
天井から、ロックによく似た男性型機装兵が降りてくる。軽やかな身のこなしで、しかし重量を感じさせる音をさせて。
現れたのは、さっき外で急襲してきた機体とは別のようだった。腰に赤い手斧をさげている。
「その斧はBS-02M111N72か」
「よく覚えているな」
「ああ。ちゃんと覚えているさ」
BS-02M111N72と呼ばれた機装兵は笑っていた。けれど、そこには空虚な不気味さがあった。どう形容するべきかは分からないけれど、あえて言うならば、魂がこもっていないような。彼らのことを考えれば当たり前かもしれないけれど、アヤメやユリやヒマワリとは明らかに違う。
彼はロックとも旧知の仲のようだ。いや、これから現れる機装兵は皆そうなのだろう。それでも、ロックは淡々と拳を構える。武器のない圧倒的な不利にも関わらず、緊張の気配はなかった。
「せめて、大切に使おう」
「何を勝つ気でいるんだ?」
お互いに合図はなく。
穏やかな雑談の延長で、両者は激しく衝突した。
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