第152話「助けてくれた人」
「マスター、手を」
「くっ、ふっ! ――うわっとと!」
道中はなるべく音を立てないように、ゴーレムたちに気取られないように進むことを徹底する。けれど、そんな僕らの思惑を阻むように、道は悪くなっていく。
そもそも、目的地である塔が空中に浮かんでいるのだ。その周囲には浮島のように町の残骸が浮かんでいる。幻想的な光景だけど、いざ登ろうとすれば過酷という言葉さえ生ぬるい。
「ぱぱっと跳びなさいよ! 落ちやしないわ!」
「そう言われても……」
かつては中心街として栄えた街並みは朽ちてなお荘厳だ。神殿や貴族の館らしい列柱の残る古い建築様式の建物が浮遊している。乗ったところで揺れるわけではない。けれど島から島へ渡ろうとすると、眼下に奈落の広がる隙間が立ち塞がるのだ。
ヒマワリに鼓舞されて、意を決して跳躍する。距離にしてみれば、小川の幅くらい。地上に同じ幅の線を描けば、難なく飛び越えられる距離に違いない。それでも印象から抱く恐怖は段違いだと思い知る。
それに、
「また崖だね……」
「ここを登るしかなさそうです。ヤック様、私が支えましょう」
浮島は塔に近づくほど高度を上げていく。つまり横方向ではなく縦方向にも進む必要があるということだ。ユリが先行し、安全を確認した後で僕も続く。アヤメがお尻を下から押し上げて、ユリが手を引っ張って、ようやく登れる。
「はぁ、はぁ……。普通のダンジョンより何倍も過酷だよ」
「仕方ありません。ダンジョンは施設の遺構ですが、こちらは空間異常の産物ですから」
アヤメにすっぱりと切られるが、ため息のひとつも吐きたくなる。こんな道とも言えないような道のりを、あとどれくらい続ければ目的地に辿り着けるのか。
途方に暮れて、手でひさしを作りながら塔の方を仰ぎ見たその時だった。
「あれっ?」
「どうかなさいましたか?」
ユリが不思議そうにする。
「見間違いかもしれないけど、浮島の影に人がいたような……」
大小様々な建物が周囲の地面ごと浮き上がり、木々も茂っている。そんななか、太陽の光が煌めくなかで人影のようなものがチラリと写ったような気がした。僕の言葉を聞いてユリやアヤメたちも周囲を見渡すけれど、彼女たちの卓越した視力でもそれらしいものは見つからなかった。
「何か見間違えたんじゃないの? それこそゴーレムならいくらでもいると思うけど」
「うーん……。それとは違うような気がしたんだけどなぁ」
僕自身、はっきりと見たわけではないから確信はない。けれど、直感はゴーレムではないと囁いていた。
「生き残りの可能性もあります。少なくとも、注意しながら進みましょう」
「五十年も生き残ってる奴なら、相当な猛者でしょうね」
ユリの希望的な推測をヒマワリは肩をすくめる。
結局注意して進め、という状況に変わりはなく、僕は次なる浮島へと狙いをつけた。
「そういえば、この迷宮に貸し出されてるのって」
「〝紅光の墜星〟ですか?」
「うん。名前くらいしか知らないけど、どうやって探せばいいのかなって思って」
しっかりと根の張った草を掴んで登りながら、僕らがこのダンジョンに挑む理由を思い返す。危険な物品を保管する金庫の役割も担っていた〝銀霊の氷獄〟には、現在も返却されていないアイテムがいくつかある。僕らはヒイラギからその物品貸出リストを預かり、未返却品の行方を探っていた。
〝割れ鏡の瓦塔〟に貸し出されているのは、〝紅光の墜星〟と呼ばれるアイテムだ。それがどのような役割を果たし、どのような姿をしているのか、僕は何も知らない。胸元のブレードキーには、それに関する情報も入っているはずだけど。
「説明は難しいのですが、一言で言うならば、恒久的に無制限のエネルギーを放出するリアクターです」
「うーん。分かるような分からないような……」
「うまく使えばエネルギーに悩む必要がなくて、いつでもわたしがお姉さんになれる代物よ」
「ふーん?」
「なんで納得できてないのよ!」
要はものすごいバッテリーということだろうか。たしかにヒマワリが常に迷宮の外でも関係なく完全体を維持できれば、それほど心強いこともないけれど。
「うまく扱うことができれば非常に便利な代物でしょう。ですが、扱い方を誤れば大変な危険を伴います」
「それは、魔獣侵攻よりも?」
「比べものにならないでしょうね。大結界でも耐えられるか」
空恐ろしいことを最も簡単に断言されると、余計に現実味が薄くなる。
膨大なエネルギーを秘めた物体とは、どういった代物なのか。アヤメの話では、さほど大きなものでもないらしいけど。
「設計図によれば拳大程度の球体のようです。その大きさのせいで、探すのも大変だと思われますが」
「そうだよね。迷宮に入って終わりってわけじゃないんだよね」
まだ道程の半ばにも達していないことを思い知り肩を落とす。
ヒイラギからの回収依頼の優先度が高い代物だけあって、それがひとたび暴走すれば〝大断絶〟に匹敵する被害が出る可能性もある。だからこそ一刻も早く手に入れなければならないのだけど、それが難しい。行方の手がかりもほとんど無いようなものなのだから。
「ふぅ」
崖を登り切り、ひと休憩。相変わらず頭上の太陽は微動だにしない。
「もしかして、この中って時間が止まってるのかな?」
「少なくとも、あれは本物の太陽ではないでしょう」
冗談まじりに言ってみると、思いの外重大な答えが返ってくる。驚いて言葉を放ったアヤメを見ると、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「そもそも、現在は夜のはずです。本物の太陽は見えないのでは」
「そ、それはそうだけど……。なんで太陽みたいなものが浮かんでるの?」
汗ばむほどの熱気に、冷たいものが混ざる。アヤメたちの時代は、太陽すら容易く空に浮かべることができるのだろうか。もしや、あれこそが〝紅光の墜星〟なのでは……?
「植生生育促進用の照光機でしょう。あれほど大規模なものはともかく、小さなものであれば他の施設でも見られますよ」
「もしかして、光球のこと? たしかにあれを大きくすれば似てないこともないけど」
地下深くに広がるダンジョンは基本的に薄暗くランタンなどの照明器具が欠かせない。とはいえ、時折、それらが必要なくなるくらい明るい階層がある。一般には光球と呼ばれる小さな光の玉が浮かんでいることがあるのだ。
たしかに、その周囲では草花がよく育っている。薬草なんかを目当てにする探索者は、光球を目印に活動していることも多い。
それにしても、あんなに大きなものは見たことも聞いたこともないけれど。
「〝割れ鏡の瓦塔〟は大迷宮と呼ばれていたのでしょう。実際、第一一一施設はかなり規模の大きなものでした。照光機が特別なものであっても不自然では無いかと」
「それが何千年も動いてること自体が不思議だと思うんだけどなぁ」
逆に言えば、〝紅光の墜星〟はあんな太陽の比ではないエネルギーを発するということだ。そこに想像が及ぶと、背筋が冷たくなる。
僕らが手に入れる前に暴走なんてしないでほしいな……。
「っ! ヤック様!」
「えっ? うわぁっ!?」
そんなことを考えていたせいか、わずかに気が緩んでしまっていた。
僕はアヤメの声で、手を伸ばした先にいるクワガタ型ゴーレムの存在に気がつく。そこで思わず声を出してしまったのが運の尽きだった。
「ギイイイッ!」
大きな二本の顎を開いてこちらへ飛びかかってくるゴーレム。鈍色に輝くそれに恐れ慄き、思わず手を離す。クワガタの顎は勢いよく空を切るが、事は終わりではない。
「うわあああああっ!?」
「マスター!」
「ちょ、何やってんのよ!」
支えを失った身体が重力に従って落ちていく。運の悪いことに足元は脆くなった石床で、僕の体重を支えきれなかった。アヤメたちが手を伸ばすも、僕の腕が短すぎる。
吸い込まれるように、浮島の隙間へ。その下に広がるのはゾッとするほどの高度と、硬い地面。明確な死が脳裏をよぎる。
「ヤック様!」
アヤメが地面を蹴って、躊躇なくこちらへ。空中で捉えても意味はないだろうに。
「アヤメ――!」
僕も本能的に手を伸ばしてしまう。彼女の白い手袋に包まれた指先と触れそうになった。けれど、わずかに届かない。
背筋が冷えるどころではない。全身が総毛立つような恐怖。
探索者のほとんどはあっけなく死ぬ。魔獣に殺されるとか、トラップに引っかかるとか、そんな名誉のある死に方ではなく。こんな事故のようなどうしようもないことで――。
「危ない!」
「えっ、うわああっ!?」
無数の思い出が瞬く間に駆け巡ったその最中のこと。横から予想だにしない衝撃で突き飛ばされる。太くがっしりとした腕に抱かれていることに気付いたのは、その直後のことだ。
「えっ、だ、誰!?」
「舌を噛むよ。気をつけて!」
「うわあああああっ!?」
混乱する僕をしっかりと掴み、突如現れた男性は軽やかに崖を蹴る。浮島の頼りない側面だ。けれど力強く踏み締め、軽やかに駆け登っている。明らかに人の力ではない。
「アヤメ!」
「ヤック様! こちらは問題ありません!」
僕を追って落ちていたアヤメも地面に手を突っ込み身体を固定する。籠手の凄まじい握力で、余裕すらあった。彼女がそのまま追いかけてくるのを見て、安堵する。そして改めて、僕を助けてくれた人を見る。
「貴方は……」
「まさか人間と会えるとは。長生きするものですね」
白い歯が陽光に輝き、爽やかな笑みが炸裂する。
気が付けば僕はユリたちの待つ浮島に戻り、優しく下された。
少し遅れて戻ってきたアヤメが、ユリとヒマワリがじっとその男の人を見ている。
「貴方の所属を教えなさい」
冷静なアヤメの誰何に、その男性は優しげな表情で口を開いた。
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