第150話「鮮烈な歓迎」

 ブレードキーで開いた大結界の先へ足を踏み入れる。緊張と警戒を保ちながら一歩踏み込むと、一瞬にして空気が変わった。乾燥した砂塵の冷たい風が、湿った緑の匂いを乗せる。

 そこは廃墟の並ぶ都の跡だった。往時は素晴らしい栄華を誇ったのだろう。けれど、暴力によって蹂躙され、その影を僅かに残すのみになっている。更にはわずかに残った構造にも厚く落葉が積もり、深緑の苔が蔓延っている。蔦が複雑に絡まり、石を押し除けるようにして大樹が伸びている。

 五十年でこれほどまでになるのだろうか。

 大まかには円形を描く大都市の廃墟には水路も巡り、外の荒野が意外なほど澄んだせせらぎもある。そして都市の中央に、それが聳え立っていた。


「あれが〝割れ鏡の瓦塔〟だね」


 大結界の外からも見えた巨大な迷宮。都市の廃墟はその塔に近づくほど浮き上がり、細かな島のようにして周囲に佇んでいる。世界の法則を無視した異常な光景だ。これをみるだけでも、ここが異世界であることが理解できる。


「とりあえずあそこを目指せばいいのかな」

「面倒な道のりになりそうね」


 きっと以前は整備された立派な道があったのだろう。それも都市が浮き上がると同時に跡形もなく破壊されたようだけど。塔に至るには、まず瓦礫の浮島を足がかりにするしかない。

 天頂には白く輝く太陽がある。それもまた、不思議だった。


「暑いくらいのいい天気だね」

「日差しにもご注意を。水分補給はこまめに行ってください」

「ありがとう。気をつけるよ」


 普段の迷宮探索では、基本的に地下に潜ることになる。こんなに明るい太陽の下で緊張しながら進むのは、少し奇妙な感覚があった。それでも油断していいわけではない。いつでも動けるように妖精銀剣の柄に手を添え、周囲を見渡しながら歩みを進める。

 大結界の中は恐ろしいほど静かで、強烈な違和感を抱く。その正体を少し考えて、虫や鳥の声すらしない静寂に気がつく。そこかしこを流れる細い水路の、サラサラと水の流れる音だけだ。それも深い緑のなかに吸い込まれていくような気がして頼りない。


「五十年間誰も入っていないからかな。生き物もなにもいないようだけど」

「植物を生物から外すのであれば、その可能性も考えられますね」


 緑の王国。そんな印象を抱かせる街並みだった。人の営みが徹底的に破壊され、その上に木々が青々と生い茂っている。生命力に溢れ枝葉を伸ばし、艶々とした葉を広げている。その根本に何かが埋まっているような気がして、焦燥に駆られる。

 このまま何にも出会うことなく塔へ辿り着けるのかもしれない。そう思った矢先のことだった。


「マスター、何かが近づいてきます」


 ユリが槍を構え前に出る。知らず知らず弛緩しかけていた気を引きしめた直後、僕の耳にも落葉を踏む力強い足音が聞こえてきた。


「これは――ッ!」


 猟銃を構えたヒマワリがはっとする。

 直後、崩れかけた石塀を突き飛ばし、轟音を響かせながらそれが現れる。


「キィイイイイイイイイッ!」

「ゴーレム!? ユリ、気をつけて!」


 騒々しく乱入してきたのは、金属の躯体の魔獣。ヒマワリにとってはうんざりするほど馴染み深い存在だろう。昆虫のように六本の細長い脚を持ち、頭部にグルグルと回転するノコギリがついている。


「チェーンソークワガタってこと? ユリ、退きなさい!」


 ギギギギギギッ! と甲高い音を響かせるゴーレム。恨みのこもった声で猟銃の引き金に指をおくヒマワリ。けれど、その射線上にユリが立つ。


「はぁああっ!」

「ギィギギギギッ!」

「何やってるのよ!」


 ユリはヒマワリの呼びかけに応じず、自身の槍でゴーレムに立ち向かう。そして刹那、後ろを見て口を開く。


「ヒマワリは他のものを叩いてください!」

「っ! ――いつの間に!」


 目を見開いたヒマワリが背後を。そこに、同じ形をしたゴーレムが急接近していた。黒々とした殻を開き、半透明の翅を絶え間なく羽ばたかせながら、頭部のノコギリを回転させながら迫る。

 ユリが一匹を槍で貫いている背後で、ヒマワリが今度こそ引き金を引く。


――ドガンッ!


 空気を震わせる大きな音がして、ゴーレムが木っ端微塵に吹き飛ぶ。硬い身体だけに、砕けると脆い。


「どうやら伐採用に使われていた機械が暴走しているようです。ヤック様、しばしお待ちを」

「き、気をつけてね」


 金属の殻を持つゴーレムに、僕の剣は歯が立たない。ここは素直にアヤメたちに任せておくべきということを、〝黒鉄狼の回廊〟で学んだ。せめて邪魔にならないように身を縮める僕の周囲に、廃墟の陰から次々とゴーレムが飛び出してきた。


「ギギギギギッ!」

「ギガギィィギギギッ!」


 軋むような、耳障りな音を発して飛びかかってくるゴーレム。それを、アヤメの鉄拳が次々と粉砕する。


「はぁああっ!」


 青い燐光が尾を引き、アヤメの機敏な動きに軌跡を残す。乱舞という表現がこれほどふさわしいものはないだろう。四方八方から迫りくるゴーレムが、木っ端のように破砕されていく。


「大気中のM濃度も十分です。これならば――!」

「ちょっと薄いわよ。もう!」


 やはり大結界の内部はほとんど迷宮と同化してしまっているらしい。まだ塔には辿り着いていないというのに、アヤメたちは不自由なく武器を振るっている。ヒマワリが完全体に移行できるほどではないようだけど、ユリにとっては不自由ない。

 夥しい数のゴーレムが、あちこちから殺到する。僕は悲鳴をあげることしかできないけれど、ユリは冷静に戦況を見つめ、分析していた。


「これだけの数。どこかに――。あれか!」


 ユリが槍を投げる。徒手空拳になるのも厭わず、無数に集る鉄虫の隙間を貫いて、その奥へ。


「ギィイイイイアアアアアアッ!」


 槍が見えなくなった直後、これまでとは全く違う断末魔が突き上がる。

 直後、あれほど勢いに乗っていたゴーレムたちが、一斉にボトボトと地面に落ちた。バチバチと脚を震わせながら、それでお歩いたり飛んだりする力はないようで、地面が一瞬にして黒く染まった。


「ひえええっ」

「ちっ。わたしだって狙撃銃が使えれば……」


 ユリが地面に落ちたゴーレムを踏み抜きながら進み、槍を手にとって掲げる。それには、ひとまわり大きな身体で鋭利な顎を持つゴーレムの親玉が貫かれていた。あれがこの虫たちの司令塔になっていたのだろう。根幹を破壊したことで、全てが一網打尽になったというわけだ。

 ヒマワリが悔しそうにしているけれど、僕は気が重たかった。


「これが最後、な訳がないよね」

「むしろ前哨戦といっていいでしょう。ヤック様、慎重に進みましょう」


 アヤメがゴーレムを握りつぶす。ボロボロと崩れ鉄屑になる機械を見届け、僕は快晴の空の下で暗澹たる気持ちが湧き上がるのを感じていた。

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