第149話「誘われるままに」
ユリが釣ってきて、ヒマワリが燻した川魚の燻製で、アヤメの復帰祝いをする。盛大なお祝いで日が暮れたころ、僕らは焚き火を囲んでアヤメから解析の結果について詳しい話を聞くことになった。
眠りにつく前、アヤメは『大結界の構築に我々の時代と同水準の科学技術を根源とした理論の適用が考えられる、という可能性があることが判明した』と表現した。かなり曖昧としていて捉え所のない言い方だったけど、そこから数日かけてより確度の高い情報を手に入れたはずだ。
「まず、あの大結界の性質について全てを解析できたわけではありません」
第一に重要な前提として彼女はそう言った。
本来ならば結界の解析には専用の設備と十分な時間が必要になる。そこを今回はわずかな手がかりだけを頼りに、突貫工事のような勢いで強引に進めた。その結果、分かったことは大結界のほんの一端に過ぎないという。
「大結界はたしかに我々の活動していた時代に広く普及していた技術が根幹にあります。しかし、そこから更に独自の理論に基づいた発展が見られ、私の持ち合わせる知識だけでは説明のしきれない点も多々あります」
アヤメは膝の上に干物の載った木皿を置いて、はっきりと語る。
「その上で、大結界を破る方法を発見できました」
「ほんとに!?」
思わず立ち上がってしまうほど、その言葉は驚きだった。ギルドの有するあらゆる手段を用いても理解の端すら開けなかった謎の大結界に、アヤメは手が届いたのだ。
けれど浮き足立つ僕とは対照的に、ユリが冷たい言葉を浴びせる。
「アヤメ、それは安全性を確保できているのですか? 大結界は魔獣侵攻を押し留める役割を今も果たし続けているように見えます。それを不用意に破壊した場合、取り返しのつかない事態に繋がる可能性も拭えないのでは」
それは真っ当な指摘だった。
時の魔法使いは〝割れ鏡の瓦塔〟の魔獣侵攻を止めるために大結界を構築した。それを破壊してしまえば、再び被害が広がる可能性は考えられる。しかも、今回は時の魔法使いが現れるという楽観的な期待もできない。
そんなユリからの追及を受けて、それでもアヤメは表情を崩さない。冷静な顔つきのまますぐに頷いた。
「もちろん、その点も考慮しています。大結界の情報基盤部分にアクセスし、その構造データの解析を行いました。そこには、開発者――おそらくはヤック様の言う時の魔法使いが残したコメントが記述されていたのです」
「コメント?」
「結界の機術式に、設計意図のメモを付記してたんでしょ」
首を傾げる僕に、すかさずヒマワリが補足を入れてくれる。とはいえ、奇妙な話だ。魔法によって構築される結界に無駄なものを入れるような余地はない。魔法については門外漢の僕でも、その程度のことは分かる。
けれど周囲の反応からして、七千年前には当たり前のことだったのだろう。ユリも深くは追及せず、続きを待っている。
「そこには、この大結界に部分的な穴を開けて内部に入るためのアクセスキーの存在が示唆されていました。そのキーを探すことに非常に時間を要したのですが」
結界の中に、結界を開くための鍵がある。これもまた奇妙な状況だ。鍵はふつう、隠しておくものなのに。いや、もしかして時の魔法使いは――。
「わたしたちがいつかここに辿り着いて、大結界の中へ通ると思ってたみたいね」
「おそらく、その予想は正しいのでしょう」
ヒマワリの言葉にアヤメは頷く。
時の魔法使いが大結界を構築したのは、五十年前のことだ。その時、その咄嗟の判断で、彼はそこまでの未来を予見していたのだろうか。そして、やはり彼はハウスキーパーの存在を認知しているのだろうか。
大結界は時の魔法使いが持っていた迷宮遺物によって構築されたという説もまことしやかに囁かれているけれど、アヤメの話を聞く分には時の魔法使い自身が特異な存在に思えてくる。例えば、彼はアヤメたちと同じ時代の人なのかもしれない、とか。
「それで、キーは手に入ったの?」
興奮が抑えきれず、前のめりになりながらアヤメに向かう。彼女はぱちくりと瞬きした後、頷いた。
「はい。たしかに」
「ど、どんなものなの!?」
「……いえ、実体はありませんが」
「え?」
予想外の言葉に、今度は僕が瞬きを繰り返す。キーなのに、実体がない? 確かにまあ、アヤメはずっと寝ていただけだから、鍵を手に入れる時間はなかったと言えばそうだけど。もしかして今から作るのだろうか……。
「ヤック様、ブレードキーを貸していただけませんか?」
「これ?」
アヤメに求められ、首に下げて肌身離さず持っていた青刃の短剣を服の下から取り出す。透き通った水晶のような刃が特徴的な、不思議だ迷宮遺物だ。アヤメたちハウスキーパーとの契約に必要なもので、僕がマスターとして正統であることを示す要でもある。
僕がそれを差し出すと、アヤメは鋭い刃の先端に指先で触れる。切れることはないだろうけど、少しぎょっとする僕の目の前で、短剣が白く輝き始めた。
「うわっ!? こ、これは……?」
アヤメの指先から流れ込むように、細かな光の粒子が透き通った青の中へ消えていく。よく覗き込んで見てみると、光の粒子に思えたものは、見知らぬ記号の群れのようでもあった。
ユリとヒマワリも見守るなか、ブレードキーに記号が染み込んでいく。
「大結界のアクセスキーを解析するには、二つの前提条件が必要でした」
短剣の先端に触れたまま、アヤメが口を開く。
「ひとつは、大結界の情報基盤部分にアクセスし、その構造式を解読する能力を持つ者の存在。つまり、ハウスキーパーを含めた機装兵です」
アヤメは現代の最先端を往く技術者たちが束になっても敵わなかった大結界の内部を見通した。それはきっと、彼女だからこそできたことだろう。
けれど、アヤメはそれだけでは足りないと言う。
「ふたつには、このブレードキーです。つまりマスター資格を有した者がいなければ、鍵を行使することができません」
光が短剣に吸い込まれる。アヤメが指を離した時、すでに短剣はいつもと様子も変わらないものに戻っていた。何か特別な重みが増したようにも思えない。
「つまりハウスキーパーと、それと契約したマスターがいないと開かない結界だったってこと?」
「そういうことになります。なんとも不思議ではありますが……」
「我々のような一団の来訪を予見していたのですね」
ユリのしみじみとした声が染み込む。
僕らは行き当たりばったりに目的地を定めて進んできた。〝割れ鏡の瓦塔〟を目指したのも、ココオルクでヒイラギたちと出会ったことが原因だ。そんな奇跡的な状況も、まるで時の魔法使いの手のひらの上で踊っているような気さえしてくる。
それと同時に、彼が僕らをこの中へ誘おうとしている意思も感じる。この先に、僕らは行かなければならないのだ。そのために、彼はこの結界を築き上げたのだから。
「アヤメ、ユリ、ヒマワリ。準備はできてる?」
「問題ありません」
「もちろん。槍の腕も鈍ってはいませんよ」
「当然じゃない」
時刻は夜。出発には適さない。
それでも、もはや居ても立っても居られなかった。僕は短剣を握り、腰に下げた妖精銀の剣を確かめ、立ち上がる。いつアヤメが目覚めてもいいように、準備は絶やさなかった。ユリたちも釣りや料理に興じながら、ずっと待ち構えていた。
今すぐにでも、出発しなければ。
「行こう、
青く、ほのかに輝く短剣。その切先を、五十年間何人たりとも通すことのなかった大壁に向ける。詳しい話を全て理解したとは言い難い。けれど、僕は確信していた。その思いのまま、刃を突き立てる。
「開け!」
驚くほどあっさりと。拍子抜けするほど簡単に。刃が壁に通る。そのまま滑るように刃は走り、人ひとりが通れるだけの隙間が開く。その向こうからはほのかに風が吹き込んでくる。
何よりも――。
「これは……」
大結界の外は夜だ。紫紺の帷が天球を多い、焚き火の光だけが揺らめいている。
それなのに、開かれた裂け目の向こう、〝割れ鏡の瓦塔〟の方は燦然とした陽光が降り注いでいる。瓦礫の散乱する廃都は苔むし、荒野には似つかわしくない鮮烈な自然が侵蝕している。
大結界の内側は、すでに迷宮だ。異世界と言ってもいい。
僕は気を引き締め、意を決して一歩を踏み出した。
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