第148話「全力で走ってきたから」
ユリが初めて魚を釣ってきたのは三日目のこと。ヒマワリが燻製に手を出し始めたのは五日目のことだ。その間にも拠点は徐々に拡充され続け、七日経った今では雨風も凌げる立派な屋根までついてきた。
アヤメは相変わらず眠っている。彼女が解析に集中できるように地面に敷いた毛布の上に寝かせている。
「ヤック、林檎の燻製ができたわよ」
「やはり岩場は狙い目ですね。今日も大漁でしたよ」
二人はすっかりこの生活を楽しんでいるし、僕も目の前に広がる〝割れ鏡の瓦塔〟の奇妙な光景に慣れきってしまった。
それでもやっぱり、アヤメがいないことの違和感は拭うことができないようだ。
「……マスター、アヤメの様子も徐々に落ち着いてきています。おそらく、もう間も無くでしょう」
少し反応が素っ気なさすぎたか、ユリが僕の肩に手を置いて言う。僕はアヤメの表情からその内側の機微まで繊細に読み取ることはできないけれど、同じ機装兵同士なら分かることもあるのかもしれない。
「アンタが悩んだって解析は早まらないわよ。それより、いつ目覚めてもいいように準備しとくほうがいいんじゃないの?」
「そうだね。……うん、その通りだ」
ヒマワリも厳しいような言い方をするけれど、実際にはアヤメのことを信じている。彼女が必ず何かを成し遂げて目を覚ますと確信しているからこそ、自分はできることをやっている。
僕は誰だ。僕はアヤメのマスターだ。
彼女の主人を名乗るのならば、彼女のことを信頼しないでどうする。
「よし、ユリ。僕も釣りに行こうかな!」
「なんと。ようやくマスターと一緒に釣りが!」
この七日間、やっぱりアヤメのことが心配でここから離れずに過ごしてきた。けれど、やっぱりアヤメを信頼して、ユリと一緒に食料を集めてもいいのかもしれない。
毎日釣りに通っていたユリは、たびたび僕も誘ってくれていた。彼女自身釣りをすっかり気に入ってしまったようで、持ち前の学習能力でぐんぐん腕を上げている。
「もはや近くの川で私が釣れない魚はいないですから。マスターにも手取り足取り支援させていただきますよ」
「ユリもなかなか言うようになったねぇ」
日々改良を続けている手製の釣竿を掲げて豪語するユリ。そんな彼女の姿に成長さえ感じる。真面目一辺倒だった彼女が、ここまで楽しめる趣味を見つけたのだから。
「まったく、仕方ないわね。ただし釣ってきた魚はちゃんと自分で捌きなさいよ」
「わ、分かってるよ。ヒマワリにばっかり任せたりしないから」
「そういうことじゃなくて……。ああもう、行くなら行きなさい!」
料理はすっかりヒマワリの担当になってしまったけれど、僕も多少は下拵えを手伝ったりしている。いくらマスターといえど、おんぶに抱っこで世話をされるのは申し訳がない。
疑うヒマワリに胸を張って答えると、彼女はなぜか少し機嫌を悪くした。
「釣竿ならお任せください。こんなこともあろうかと、いくつか種類を用意していますので」
ユリはいつの間にか、見慣れない釣竿の束を抱えている。どれもこれも、彼女が森の中で拾った木を使って作ったものらしい。ずらりと並べたそれらを示し、これはしなりが強いだとか、これはかなり軽いとか、売り文句を勢いよく飛ばしている。
これまでは気付かなかったけど、もしかしてユリって結構な収集癖があったりするのだろうか。
「マスターにおすすめなのは、やはりこの複数の木を合わせて組み上げた――」
「あなたたち、何をしているのですか?」
ユリが手の込んだ作りの竿を手に取って紹介し始めたその時だった。僕の背後から、冷たい声が放たれる。それを聞いた途端ユリは固まり、ヒマワリも驚きに目を丸くした。
他ならぬ、僕だって。
耳を疑いながらゆっくりと振り返る。冷静沈着な落ち着いた声。それでいて、よく聞き慣れた親しみのある声。
僕の背後に立っていたのは――。
「アヤメ!」
「お待たせいたしました、ヤック様」
メイド服を整えた長身の女性。長い黒髪をかるく揺らしながら、丁寧に深々と頭を下げる。再び顔を上げた時、その深みのある青い瞳が僕を捉えた。
七日間にわたって眠り続けていたアヤメが、眠りにつく前と何ら変わらない様子でそこに立っていた。
「アヤ――」
「ユリ、資源と時間は有限なのですから、無駄に用途の限られたものを量産するのは控えた方が良いでしょう。ヒマワリも、見たところ料理以外の家政が行き届いていません。ハウスキーパーとしてユリと協力しながら運営すべきです。それから」
「ちょ、ちょっとアヤメ!」
せっかく目覚めたというのに、立ち上がった途端に周囲の状況への指摘を始めるアヤメ。あまりにも情緒というものがない。慌てて僕が止めなければ、彼女はどこまでも指摘していただろう。
アヤメの目の前に立ち、彼女と目を合わせる。
「いろいろ言いたいことも聞きたいこともあるけど、とりあえず。――おかえり、アヤメ」
「……。ありがとうございます、ヤック様。遅れてしまい、申し訳ありません」
そんなことないよ、と思わず笑う。
彼女はきっと全力で走り続けてきたんだろう。平然としているように見えるけど、僕には少し疲労の色も感じられた。
「ユリが釣った魚をヒマワリが燻製にしたんだよ。今日はそれを食べてお祝いにしよう」
「お祝い? その前に、まずは解析の結果を」
「いや。それよりも先にお祝いだよ」
不思議そうな顔をするアヤメに、ここは強く主張する。彼女は七日間も休まず頑張ってくれたのだ。結果よりも先に、まずはそこを労わないと。
僕はアヤメを強引に座らせて、ユリとヒマワリを呼ぶ。そして、彼女を労うための宴について話し合うことにした。
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