第147話「待っている間」

 ユリの言葉通り、アヤメの沈黙は長く続いた。残された僕らは焚き火を囲んで携帯食料の質素な夕食を摂り、毛布にくるまって眠りにつく。寒々しい荒野の真ん中とはいえ、大結界そのものが風除けになってくれているのか、雪の降り積もる針葉樹林での野営と比べればはるかに快適だった。

 そもそも、僕たち以外に生命と呼べるようなものがない土地だ。敵に怯えることなくぐっすりと眠れるのは、二週間ぶりのことだった。


「ユリとヒマワリも寝ていいんだよ?」

「我々はこのままでも問題ありませんので。マスターはお気になさらず」


 それでもユリたちは武器を携え、焚き火を絶やさないように起きていてくれる。アヤメがいれば三人で順に交代しながらということもできるのだけど、二人だと負担も増えるだろう。僕も起きて見張りに立とうかと提案したけれど、当然の如く却下されてしまった。

 二人に見守られながら眠りにつき、そのまま一度も起きることなく次の朝を迎える。目覚めたのも、携帯食料ではない美味しそうな香りがしてきたからだ。


「おはよう……。って、ずいぶん豪勢な料理だね」


 大きなあくびを漏らしながら体を起こすと、焚き火に昨夜はなかった大鍋が掛けられていた。僕が背負ってきたリュックの中に入っていた調理道具だ。そこには水が張られ、野菜や肉がグツグツと煮込まれている。


「ようやく起きたわね。遅いじゃないの」


 木べらで鍋をかき混ぜていたヒマワリがふふんと鼻を鳴らしてこっちを見下ろしてくる。とりあえず起き上がって軽く服装を整えた後、鍋のことを尋ねる。


「あの、これは? こんな野菜なんかは持ってきてなかったはずだけど」

「感謝しなさい。アンタが寝てる間に集めてきてあげたんだから」

「集めて?」


 荷物になるから、食材を持ち歩くことはほとんどない。そもそもこの野菜や生肉、まるで今朝採れたばかりかと思うほど新鮮に見えるような……。

 ヒマワリの言葉も理解できず寝起きの頭で悩んでいると、背後でどさりと重たい音がした。


「おはようございます、マスター」

「ああ、ユリ――ってうわああっ!?」


 姿の見えなかったユリの声に振り返ると、目の前に凶悪な顔の猪が迫り出してきた。驚いて飛び上がると、猪の向こうからユリが顔を覗かせる。


「申し訳ありません。ちょうど血抜きが終わったので、持ってきたんです」

「血抜き!? え、どういうこと!?」


 よくよく周囲を見てみれば、焚き火の周りに野菜――いや、山菜が積み上げられている。鹿や猪がずらりと並び、一部はすでに骨と肉に分けられて、ロープに吊るして干されているものまである。

 僕が眠っている一晩のあいだに一体何があったのか。アヤメは相変わらずこんこんと眠り続けているだけだし。


「データ解析は数日がかりになりと思われるので、まずは生活の基盤を整えようかと。荒野の外には森もありますので、そこで取ってきました」

「取ってきましたって……」


 あっさりと言ってのけるユリに唖然とする。

 たしかに、アヤメは長くなると言っていた。だから携帯食料だけで食い繋ぐのも厳しいと、昨晩少し話したような気もする。けれど、その日の夜のうちにこれほどの状況が整うとは。

 荒野のすぐそばにはくっきりと境界が現れ、深い森が広がっている。立ち入り禁止区域の近くで周囲に集落もないこともあり、植物も動物も豊富ではあるだろう。けれど、何も真っ暗な夜に行かなくても。


「厄介な魔導具は壊したし、魔獣でもない動物に負けるわけないでしょ?」

「そう言われたら、そうなんだけど」


 調味料で味を整えつつ、こちらを諭すような雰囲気で言うヒマワリ。なんだかいいように丸め込まれているような気がしてならない。

 そうこうしている間にも料理は完成し、ヒマワリがお皿に盛っていく。このお皿も、わざわざ木から削り出したのだろうか。見たことのないものだ。


「ココオルクでの経験が活きました。木工技術はまだ鍛錬中なのですが」

「すごく良い出来だよ……」


 恥ずかしそうに謙遜しつつも得意げなユリ。実際、お皿はとても使いやすそうだ。僕が寝てる横でガリガリと削っていたのだろうか。僕も探索者の端くれとして、何かしらの異変があればすぐに起きられるようにはしているつもりなんだけど。

 二人の期待のこもった目で見つめられながら山菜と野獣のスープを口に運ぶ。香辛料をしっかりと効かせた野生味の強い味わいで、霞がかっていた頭が急激に晴れ渡るようだ。


「おかわりもしていいわよ。全部食べなさい」

「さ、流石にそれは……」

「ゆくゆくはパンも焼こうと思っています。ドングリを集めればいけるのではないかと」

「パン窯が必要になるんだけど、何日くらいここにいる予定なの!?」


 ちょっとアヤメたちの言う〝長くなる〟という時間の単位感を間違えていたような気がする。このまま、ここに村でも起きるんじゃないだろうかと想像が変な方向に膨らんでいく。

 結局のところ、全てはアヤメ次第だ。彼女が目覚めてくれたら、事態が変わる。


「アヤメ……」


 祈るような気持ちでアヤメを見るも、彼女は深い眠りのなかにいる。

 その様子には少し既視感もあった。僕がアヤメと初めて出会った時のことだ。彼女はガラス張りの透き通った箱の中で眠っていた。〝大断絶〟の後から、何千年もずっと。


「さ、流石に何千年も眠ってるわけじゃないよね……?」


 想像が突飛なところへと発展し、勝手に血の気が引いていく。


「まずは魚を目指してみましょうか。まずは釣竿を用意する必要がありますね」

「せめて屋根がないと、天気が悪くなったら大変よ」


 そんな僕をよそに、ユリとヒマワリは拠点の拡充計画を話し続ける。村どころか、ここが第二の迷宮都市になるんじゃなかろうか。せめてそうなる前に、できるだけ早くアヤメには目を覚ましてもらいたいものなのだけど。


「ヤック様、丸太を二、三本集めてきます。すぐに戻ってきますので、ご心配なく」

「それならついでにハーブとキノコも探してきなさい」

「き、気をつけてねー」


 いつになく張り切るユリを見送り、干し肉の様子を見るヒマワリを見守る。

 胸中を渦巻くほのかな不安とは裏腹に、開け始める空は爽やかに晴れ渡っていた。

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