第145話「阻む大壁」
彼女は心なしか胸を張り、意気揚々と前に出る。両腕には
「突破します」
拳を構え、壁に向かう。確信に満ちた宣言。その後、鉄拳は繰り出される。
「せぁああっ!」
機装兵、ハウスキーパーの人を凌駕する剛力。そのすべてを前方に撃ち出す拳に乗せる。極限まで研ぎ澄まされた武術の達人のごとき正拳突きが、魔獣侵攻を食い止めた時の魔法使いの大結界に挑む。
決着は一瞬だ。
アヤメの拳が届きさえすれば、その瞬間に結果がわかる。
ユリもヒマワリも固唾を飲んでそれを見守る。
そして――。
「なっ」
予想を裏切られたのはアヤメの方だった。
大結界の透明な壁に、彼女の鉄拳は正しく激突した。にも拘らず壁は微動だにしない。秘匿結界のように波紋が広がることすらなく、ただ厳然とそこにあり続けている。
アヤメは不思議そうな顔で自身の拳を見る。傷ひとつついていない。
「特殊破壊兵装が完全形態ではなかったとはいえ、ここまで手応えがないとは……」
「やっぱり第一世代は弱っちいわね」
ユリはアヤメの実力を認めているからか、愕然としている。一方でヒマワリはこの結果は機体の性能不足であると考えたらしい。ここは第二世代の力を見せつける好機と捉えたか、自身も得意満面に銃を構える。
エネルギーの補給も終わり、彼女も完全体ではないにせよ弾丸を撃ち出せるほどに回復していた。
「極小の一点に向かって強烈な衝撃を与えれば――なんだって木っ端微塵にできるのよ!」
――ダァンッ!
短く乾いた銃声が耳朶を撃つ。銃身に装填された弾丸は、凄まじい爆発力を受けて螺旋を描きながら放たれる。それは一直線に、瞬く間に大結界へ。
そして――。
「はぁあっ!?」
ぽとりと力を失い、地面に落ちる。跳ねるわけでも、埋まるわけでも、ましてや貫通したわけでもない。ただ、大結界に触れた瞬間に前への推進力をすべて失ったように見えた。
「ど、どういうことなのよ! こんなのインチキだわ!」
ヒマワリが憤慨する隣で、ユリも軽く槍で小突いてみる。けれどやはり、結界を貫けるような手応えは感じられなかったらしい。不思議そうに首を傾げ、奇妙な現実に思考を巡らせている。
機装兵が考え込むと、頭部が熱を帯びて頬が少し赤みを帯びる。ぷんぷんと怒っているヒマワリと、アヤメとユリの二人とでは、紅潮の意味が少し違っているように見えた。
「マスターはこの結界のことをご存知だったのですか?」
「話で聞いてただけだけどね。実は、ギルドはここを封印指定した後も、何度か調査隊を送ろうとしたんだ。でも、どうやってもこの大結界をこじ開けることができなかったって」
ギルドはあれほど強力な警備網まで用意していた。逆に言えば、それが可能なだけの資金や技術を持っているということでもある。そんな巨大組織が選び抜いた珠玉の精鋭たちが束になっても、この大結界は破れなかったのだ。
だからこそ、僕はアヤメたちの攻撃でもここが破れるとはあまり思っていなかった。ダンジョン内で、十全な力が発揮できるなら話は別だろうけど。ここは魔力も乏しい乾いた大地だ。
「最初から知ってたなら意地が悪いわよ。苦労してここまで来たのに入れないなんて」
腕を組んで怒りを発するヒマワリ。彼女の言い分も尤もだった。これで大結界を越えられないなら、アヤメたちが死力を尽くしてあの警備網を潜り抜けてくれた努力のすべてが水の泡になる。
けれど僕は謝りつつも、ひとつの希望を提示する。
「この大結界を作ったのは時の魔法使いだって言ったよね。でも、彼が構築した大結界は、今まで誰にも破られてない。つまり、この大結界は僕らの知る技術の外側にある」
魔獣侵攻の直後、颯爽と現れた時の魔法使いは、この大結界を構築することで事態を終息させると、また人知れず姿を消した。その足跡を辿る試みも幾度となく行われたらしいけど、現在に至るまで実は結んでいない。容姿も声も、彼に関する手がかりと呼べるようなものは何一つとして残っていない。
だからこそ、僕の中では一つの仮説が立っていた。
「もしかしたら、アヤメたちならこの大結界を開けるんじゃないかと思うんだ」
僕らの知らない技術、扱うことのできない秘術。そんなものがあるとするならば、それはきっと迷宮にある。数千年もの昔に滅び、それでもなお現在まで残り続ける神秘の遺産。時の魔法使いは、そんな迷宮遺物を使ったんじゃないか。
これもまた、巷で語られる噂の一つにすぎない。
けれどアヤメたちと出会った僕だからこそ、その話が真実味を帯びているように思えた。
「この結界が、科学によるものってこと? わたしは見たこともないけど」
ヒマワリは大結界を一瞥し、眉を寄せる。あまり信じていないという様子が明らかだ。
けれど、アヤメは僕の言葉に応じてまじまじと結界を見つめてくれた。彼女の澄んだ青色の瞳に、鍵が映ってくれると嬉しいのだけど……。
「ユリ、一度この結界を強打してください」
しばらく結界を眺めていたアヤメが顔を上げてユリに頼む。ユリも理由は求めず、槍を構えた。
ヒマワリが訝しげに見守るなか、ユリが鋭く槍を繰り出す。その切先が大結界と衝突する瞬間を、アヤメは瞬きすらせずに注視する。
突き込まれた槍は、やはり音すら立てずに結界の表面で留まる。ユリがどれほど力を込めようと、それ以上前には貫けない。とても不思議な光景だけど、アヤメはそれをじっくりと見つめる。
「もう一度、お願いします」
「――せいっ!」
アヤメの指示で、ユリが再び槍を突きこむ。寸分違わず同じ場所へ、同じ速度、同じ勢いで。それを何度も何度も繰り返す。側から見れば、空中に向かって槍の素振りを続けるユリと、それを指導するアヤメのようにも映る。アヤメは飽きることも休むこともなく、槍と大結界の衝突を観察し続けていた。
彼女の頬が赤みを帯びている。熱っぽい表情が少し心配になるけれど、あれはアヤメが深く考えを巡らせている時のものだ。ユリの突きを見て、何かを考えている。何かを考えられるような、取っ掛かりを得られている。
「呆れた。ヤック、水分補給しないとぶっ倒れるわよ」
せいっ、せいっ、と突きを繰り返すユリと観察するアヤメの姿を見て、ヒマワリは大きなため息をつく。そうして、アヤメの持っていたトランクを開けると、小川で汲んでおいていた雪解け水を持ってきてくれた。
二人の検証がどれくらいかかるかも分からない。けれど、何かが進んでいるのは確かだった。
だから僕はヒマワリとふたり、彼女たちの正確に繰り返される試行錯誤を見守ることにした。
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