第144話「停止した古都」
粉々に砕けた円柱型の魔導具が等間隔で並んでいた。それはゆるく弧を描いており、何か巨大な土地を取り囲んでいるようだ。僕らはそのすぐそば、ギリギリ円の内側に入ったところで一息ついていた。
感情を持たない魔導具も、境界の内側にまでは攻撃の手を向けてこない。確証のない賭けではあったけど、僕らはギリギリのところでそれに勝利したというわけだ。
「アヤメ、ユリ、ヒマワリ、ありがとう。みんな怪我はない?」
「機体各部に損傷なし。エネルギーも許容範囲内であると判断しています」
「腕部フレームおよび脊椎骨格フレームに若干の歪みが生じていますが、自己修復機能の適応範囲内です」
「ノープロブレム。完璧よ!」
矢面に立っていたユリだけは体に損傷があるようだけど、それも本人としては軽傷の範囲に入るらしい。三人が持っていたバッテリーはほとんど使い切り、エネルギーの残量を考えると実は危殆に瀕していたようだけど、誰一人欠けることなく立っている。
とりあえず、それだけで十分だ。
「ところでマスター。やはりここまで来ても、〝割れ鏡の瓦塔〟らしきものは確認できませんね」
酷使した槍の具合を確かめた後、周囲を見渡してユリが不思議そうに首を傾げる。彼女たちでさえ苦戦を強いられるほどの魔導具が守りを固めていたというのに、その奥に守るべきものの姿が見つけられない。
なんとも不思議な事態だけれど、僕にはひとつ予想がついていた。
「とりあえず、内側に進んでみよう。たぶん、もう魔導具も仕掛けられていないと思うし」
魔槍を投げてくる魔導具の射程圏内に収まっていた土地は、地面が深く抉られて酷い有様だった。けれど、そこから一歩内に入ってみれば、驚くほど穏やかな土地が広がっている。相変わらず不毛の大地には変わりないけれど、少なくとも何か破壊的な衝撃を受けているようには思えない。
ユリの自己修復が終わって、ヒマワリがまた元の子供形態に戻り、僕の息が落ち着いたところで歩き出す。
「ヤック様、これは……」
果たして、僕の予想は正しかった。
歩き出してすぐにアヤメが何かに気がつく。遅れてユリとヒマワリも。一歩前に出たユリが槍の切先を虚空に向けて突き出すと、まるで水面を刺したかのようにほのかな波紋が正面に広がった。
「なによこれ、空間が歪んでるの?」
「すごい……。やっぱり、これくらいの封印指定迷宮だと秘匿結界も構築されてるみたいだね」
ヒマワリたちの時代にはなかったものなのだろうか。珍しく、彼女たちはこの時代の技術の産物である目の前の光景に驚いている。
「危険なものではないのでしょうか?」
「秘匿結界は姿を隠すためのものだから。怪我をするようなものじゃない」
警戒心をあらわにするアヤメたちを安心させるため、僕は先んじて透明な膜に向かって足を踏み出す。
「ヤック様!」
彼女たちの目には、僕が何もない荒野に進んだ途端、その姿が水のなかへ消えたように見えているはずだ。垂直の見えない壁に波紋が広がり、僕の姿がぼやけて見えなくなる。特定の範囲内の内側にあるものの存在を隠してしまう、卓越した魔法技術の集大成とも言える術式。――それが秘匿結界だ。
古くはエルフたちが自身の里を秘匿するために作ったものと言われ、それを人間の魔術師たちが研究し、実用化させた。とはいえ、大迷宮を丸々すっぽりと包み隠すような規模のものが、実際にあるとは思いもしなかったけど。
それだけ、ギルドが〝割れ鏡の瓦塔〟を重要視していることの証左でもあるはずだ。遠方からその姿が見えるだけでも、命を顧みない探索者たちを誘い、無為に溶かしてしまうと危惧しているというわけだ。
「マスター、これは……」
「うわぁ、何よこれ!」
僕の後を追いかけてユリたちが入ってくる。そして、開口一番に驚愕を現した。
秘匿結界の向こうに広がっていたのは、寒々しい無辺の荒野などではなかった。
それはまさしく、異常としか言いようのない光景だ。世界の法則そのものが捻じ曲げられ、まるで常識というものが通用しない。そんな冷厳とした事実が無慈悲に宣告されるような景色が広がっている。
「これは、廃墟……でしょうか?」
空を見上げ、アヤメが推測を口にする。
秘匿結界の内側は地面が大きく抉れ、その断片が空中に固定されていた。古びた城壁や屋根、粉々に砕けた家具らしきものも見られる。それらがまるで、ひとつひとつ鋲で留められたかのように浮かんでいる。
普通、そんなことはありえない。高く打ち上げられた物は、必ず地面に落ちてくる。それが自然の摂理というものだ。けれどここでは、その常識が破綻している。
五十年前、迷宮から溢れ出した魔獣によって蹂躙された大都市が、その残骸を今もそのままに残しているのだ。
「そして、あれが僕らの目指すダンジョン――〝割れ鏡の瓦塔〟だよ」
空に浮かぶ廃墟の群れの向こう。石と木材の破片に包まれるようにして立ち上がる巨大で異質な建造物があった。継ぎ目のない滑らかな、石とも鉄ともつかない不思議な材質の塔だ。
かつて栄華を誇った巨大な迷宮都市の残骸が、まるで鳥の巣のように見える。それほどまでに、その塔は大きく鮮烈な存在感を放っていた。
「たしかに、あの外観は私の記憶にも一部一致します」
「あら、第一一一施設のことは覚えてるのね」
ゆっくりと首肯するアヤメに、ヒマワリが皮肉ぶったことを言う。彼女は、長い眠りの中で記憶の一部が欠落しているのだ。それを指摘されて喧嘩が勃発するかとも思ったけれど、アヤメはただ冷静に塔を見つめている。
第一一一閉鎖型特殊環境大規模実験施設。それが、〝割れ鏡の瓦塔〟の本来の名前だ。アヤメたちの生きた時代、あの塔が本来の役割を果たしていた時のもの。その内部では、到底現代では理解できないような様々な実験が繰り広げられていたという。
「ひとつ、分かっていることがあるんだ」
その思考が読めないアヤメの横顔をそっと見つつ、僕は事前に調べていたことを語る。
といっても、封印指定迷宮でありわざわざ秘匿結界まで構築されているような土地だ。ただのいち探索者に過ぎない僕が、ギルドの資料室で調べられる情報はかなり限られている。それでも〝割れ鏡の瓦塔〟に関する逸話は真偽の定かでないものも含めていくつかあり、中には多くの探索者たちの間で語り継がれるものもあった。
「今のこの光景は、魔獣侵攻が原因なんだ。五十年前のある日、突然に塔が地面から抜けた。それと同時に無数の魔獣が溢れ出し、町も同時に急上昇と崩壊が始まった」
この異常な光景は、中心にある〝割れ鏡の瓦塔〟が原因であるというのが多くの探索者たちの理解だ。なんの前触れもなく塔が浮き上がり、それに追随するようにして町が崩壊した。世界そのものを蚕食する異常は、ジリジリと拡大を続けていった。
当時、この迷宮都市には著名な魔術師や学者も多くいたらしい。彼らはなんとかその被害を食い止めようと死力を尽くしたけれど、有効的な手立てはなかなか見つからなかった。
「それを押し留めたのが、かの有名な時の魔法使いなんだよ」
この土地の結界は二重構造だ。
一つは外側で周辺一帯をすっぽりと包み込む、探索者ギルドによって構築された秘匿結界。
もう一つは、侵食の止まらない迷宮の空間異常を食い止めた、時の魔法使いによる大結界。
「彼はなんの前触れもなく唐突に現れて、瞬く間に大結界を構築した。その結果、都市の時間が停止して、崩壊の進行も止まった。だから今も、変わらずその時の惨状が残っているんだって」
あの噂話は本当だった。
秘匿結界の内側には崩壊した都市とその中央に浮かび上がる塔があった。
秘匿結界を超えて少し歩けば、透明なガラスのような硬い壁が現れる。これこそが、内部の時を封じて魔獣侵攻を食い止める時の魔法使いの大結界だ。
「……というわけで、この大結界をどうにか越えないといけないわけだけど」
「えっ、入れるわけじゃないの?」
透明な壁に手をついて振り返ると、虚を突かれたヒマワリが目を丸くする。てっきり、あの警備網を乗り越えれば後は易々と入場できるものと思っていたのだろう。
ところが状況はそう甘くない。むしろここからが迷宮探索の本番だ。探索者ギルドが用意した警備網は前哨戦にすらならない。
「とりあえず、殴ってみましょう」
至極冷静な顔で拳を握って見せたのは、やっぱりアヤメだった。
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