第142話「警告線の向こう」

 僕たちを攻撃してきたのは、話が通じないどころか言葉さえ理解しない魔導具だった。そんな事実にぐったりとしつつも、まだ状況は終わっていないことを思い直す。

 〝割れ鏡の瓦塔〟の魔獣侵攻によって生じた荒野は広大だ。槍を撃ち出す魔導具が設置されていたのは、あくまで外縁にすぎない。

 崩れた魔導具の向こうには、また延々と荒野が広がっている。それを見渡してヒマワリが嘆息した。あの槍があくまで露払い程度のものだったことを、その光景が何よりも雄弁に語っていた。

 長らく人が立ち入っていないことは分かっている。にも拘らず、大地はえぐれ、黒く焦げていた。まるで激しい天変地異でも訪れたかのように、深々と戦禍の傷跡が刻まれている。

 魔槍はあくまで警告なのだ。そして、これより先に立ち入ろうとする者には容赦しないと。


「というか、迷宮の影も形も見えないのはどういうことなのよ」


 地平線まで見通せる荒野を前にしてヒマワリが唇を尖らせる。たしかに、一見したところ〝割れ鏡の瓦塔〟らしいものは気配すら感じられない。けれどこの向こうには必ず、ギルドが封印指定したダンジョンがあるはずだ。

 そうでなければ、これほどの警備体制が敷かれているはずがない。


「アヤメ、ユリ、ヒマワリ。この先はもっと攻撃が激しくなるかも。気をつけてね」

「言われなくても、この様子を見てたらなんとなく分かるわよ」


 ヒマワリが呆れたように肩をすくめる。


「ご安心ください、ヤック様」


 恐怖に足が竦む僕に向かって、アヤメはいつもの平然とした様子で軽く言い放つ。重たいトランクを地面に置き、錠を解いて左右に開く。整然と詰め込まれた荷物のなかに、黒い長方形の箱がある。彼女はそれを、ユリとヒマワリに手渡した。


「バッテリーを使い、マギウリウス粒子の充填を。ここからは、特殊破壊兵装リーサルウェポンの使用を全面的に解禁します」


 アヤメたちはこれまで、ダンジョンの脅威を悉く排除してきた。特殊破壊兵装と呼ばれる、彼女たち専用の武器は凄まじい威力を秘めていて、強大ま魔獣さえも簡単に退けていた。

 本来ならば、この時代の産物である魔導具に負けるなんてことはないはずだ。僕でさえそう確信できるほど、アヤメたちの生まれた時代と現代には大きな開きがある。

 にも拘らず、彼女たちが全力の準備をし始めている。ここが迷宮の外で、マギウリウス粒子の供給を得られない状況であることを加味しても、破格の対応だ。


「こんなのなくたって、第二世代のわたしなら余裕じゃない?」

「たしかに、この時代の技術水準では我々を破壊することは叶いません」


 バッテリーを手の中でいじるヒマワリに、ユリが答える。彼女はおもむろにメイド服の襟元を押し広げると、そこにバッテリーの先端を突き立てた。

 キュィィ、と小さな音がして、黒い長方形の側面に青いラインが浮かび上がる。それは時間の経過と共に短くなっていき、代わりにユリの体内へとエネルギーを充填していく。

 機装兵である彼女たちは、食事からもエネルギーを補給できるけれど効率が悪い。最も適しているのは、こうして純度の高い高濃度の魔力であるマギウリウス粒子を直接取り込むことだ。

 空気中のマギウリウス粒子の濃度が高い迷宮内であれば、バッテリーを用いずとも常にエネルギーを充填できる。けれど、地上ではこうして直に充填する必要がある。

 〝銀霊の氷獄〟を離れて二週間ほど。節約しつつも徐々に体内のエネルギー残量を減らしていたユリの表情に生気が戻る。


「しかし、マスターをお守りしながら進むとなれば、三人でも万全の体制を整える必要があります」


 エネルギーを完全に取り戻したユリは、それに留まらずスリットの下の太ももに巻きつけたベルトへバッテリーを差し込んでいく。


「我々の処理能力を飽和させる攻撃があった場合、ヤック様が危険にさらされます。後衛のヒマワリが最後の砦であることを忘れないように」


 自身もエネルギーを充填し、破城籠手を備えたアヤメが言う。二方向からそんなことを言われたヒマワリも、それ以上反論することはなくエネルギーの充填を始めた。


「ヤック様、ここから〝割れ鏡の瓦塔〟まではどれほどの距離になるのでしょうか」

「そうだなぁ、地図が正しければ荒野の中心だから……」


 ここまでの距離をざっと振り返り、ここからの距離を割り出す。


「だいたい五……六キロメートルくらいかな」


 彼女たちの使う長さの単位に合わせて、数字を修正する。走るだけなら、僕でも走り切れるくらいの距離だ。けれど、足元は凸凹としていて石も多い。その割に遮蔽物になりそうな岩や木はなく、見晴らしがいい。

 侵入者に目を光らせる魔導具から逃れながら進むことを考えれば、あまりいい条件ではない。


「ヤック様は私のすぐ後ろに。ユリは前方、ヒマワリは後方です」

「ま、当然そうよね」


 アヤメたちに不安はない。準備を整え、あとはそれをこなすだけ。気負ってすらいないように見えた。ひとり緊張する僕の肩に手が置かれた。振り返ると、そこにはアヤメたちと同じくらいの背丈に成長し、大人びた不敵な笑みを浮かべるヒマワリが立っていた。


「アンタは何も考えず真っ直ぐに走ってなさい。寄ってくる羽虫は全部、わたしが叩き落としてあげるから」


 バッテリーからのエネルギー供給を受けて完全体へと姿を変えたヒマワリ。彼女はガチャリと重厚な銃を肩に載せている。


「アヤメ、一応言っておくけど、バッテリー全部使っても15分が限界よ」

「計算上は問題ありません」


 ヒマワリがこの姿でいられるのには限りがある。

 けれどアヤメは問題ないと頷く。


「それでは、行きましょうか」


 先陣を切るのはやはりユリだ。短槍〝堅緻穿空の疾風槍〟を携え、足に力を込めている。彼女は僕らの用意が整ったのを確認し、前を睨む。そして――。


「はっ」


 弾かれたように走り始める。

 一瞬にして境界を飛び越え、警告を無視したことを明らかにした。その瞬間、荒野に仕掛けられた侵入者排除の凶刃が動き出す。


「ユリ!」

「問題ありません。我々も3秒後に出発します」


 地平線の霞の渚で白い光が立て続けに煌めいた。直後、


――ドガガガガガガッ!!!!


 凄まじい轟音と衝撃。それはこれまでの槍の投擲とは比にならないほどの殺意を抱いてユリを狙っていた。鋭利に尖った鋼鉄の槍が、次々とユリを襲う。それを前にして彼女は臆することなく、華麗に身を曲げる。

 耳に響く甲高い金属音。ユリが侵入者撃破のための槍を凌いだ音だ。


「攻撃対象、照準固定。弾薬装填――」


 そして攻撃が引けば、反撃の時間が訪れる。

 アヤメに手を引かれ、走り出す僕の背後で静かに囁くような声がした。思わず振り返ると、地面に伏せて長大な銃を構えるヒマワリがいた。銃身から二本の脚を立てて、側面に青い光を輝かせながら――。


「特殊破壊兵装〝千変万化の流転銃〟、固有シーケンス実行」


 彼女は静かに引き金をひく。

 白雷が迸る。


「――〝石激る軌跡〟」


 それは六キロメートルの遥かな距離を一瞬にして貫き、槍の投擲手を正確に貫く。

 地平線の向こうで鮮やかなオレンジの爆炎が立ち上がる。

 背後では重たい音と共に間髪入れず再装填が始まっている。


「ヤック様、急ぎましょう」

「う、うん!」


 ユリを信頼しながら、ヒマワリを応援しながら、僕はアヤメと共に荒野を走り出す。

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