第5章

第139話「未返却品を探して」

 コルトネ山の峻険な尾根の連なりは、空高くを流れる風さえも断ち切る。堅固として立ちはだかる分厚い灰色の山肌は荒々しく、山巓には白雪が滲んでいる。神聖都市アレクトリアやパセロオルクがある南側は比較的暖かい気候で過ごしやすかったのに対し、山を越えたオギトオルクは骨身に染み入るような寒さだ。針葉樹林が静寂に包まれる深雪の冬季ということもあるけれど、それにしても僕は全く経験したことのない厳寒に震えるしかなかった。


「ヤック様、こちらへ。衣服を共有することで効率的に体温の確保が図れます」

「うわっ!? ちょ、アヤメ……!」


 白い吐息を吐き出しながら、深い森の中の雪道を進む。そうしていると後ろから暖かいコートに包まれた。驚いて振り返ろうとしても、背中に布越しの柔らかな感触がして、肩を超えて細い腕が回り込んでくる。耳元に吐息を感じて、思わず大きな声を出してしまった。

 自分のコートの前を広げて、そのまま包み込むように僕を後ろから覆ったのは、寒さの中でも平然とした表情のアヤメ。長い黒髪は毛先まで艶々として、雪の結晶のひとつも付いていない。その手にはずっしりと重たいトランクを携えているけれど、僕のほうにはその重みが伝わってこないよう繊細な加減をしていた。


「ちょっと、何をやってるのよ」


 密着してきたアヤメに鼓動を速くしていると、彼女の頬に長い猟銃の先端が突きつけられた。割り込んできた声の主は、僕と同じくらいの小柄な少女。雪の白に鮮やかに映える金髪を背中に流した、アヤメと同じくメイド服を装ったヒマワリだ。


「ヤック様の体温確保を図っていました」

「平然と嘘付くわね。わたしたちの体温なんて、コイツと比べたら低すぎるでしょ」


 確かに、背中に感じるアヤメの温度はほとんど雪と同じだ。彼女もヒマワリも、見た目は綺麗な女性のそれだけど、実際には人間ではない。エルフでも、獣人でもない。

 彼女たちは精緻に人間を模倣し、それをはるかに超える力を宿した古代の遺産。ダンジョンと共に長い時を眠っていた機装兵。――彼女たち曰く、ハウスキーパーという存在だった。


「二人とも話に熱中しすぎですよ。今日の予定から少し遅れていますから、急いでください」


 無言で睨むアヤメに臆せず睨み返すヒマワリ。そんな二人の攻防を、その間ではらはらしながら見守っていると、前の方から呆れたような声がする。振り返れば、槍を携えた赤髪の女性が雪をかき分けて道を作り、立っていた。彼女もまたメイド服を着ているように、アヤメたちと同じ人型機械だ。


「ごめん、ユリ。もうちょっと速度を上げようか」

「申し訳ありません、マスター。道は拓きますので」


 恭しくこちらに頭を下げるユリ。彼女もまた、僕と契約を交わし旅を共にする機装兵だ。より厳密に言えば、彼女だけは戦闘特化型機装兵のバトルソルジャーなのだけど、アヤメの下でハウスキーパーとしての修行も続けている。その関係で、動きやすくアレンジはされているものの、しっかりとしたメイド服をしっかり着こなしている。

 針葉樹林の中にある獣人族の迷宮都市ココオルクを出発して数日。いまだ広大な森を抜けるには至らず、自分たちの雪を踏み締める足音だけが響くなかを歩き続けていた。メイド服を着て重たいトランクやずっしりとした猟銃、槍なんかを携えて歩くアヤメたちは平然としているけれど、この中で唯一の人間である僕はさすがに疲労を隠せなくなってきた。


「というか、道は合ってるんでしょうね? これで方向を間違ってましたなんて言ったら許さないわよ」


 第二世代ハウスキーパーという少々特殊な機体であるヒマワリは、迷宮の内部にいなければ子供くらいの身長と歩幅になる。その影響で、他の二人と比べれば若干だけど僕に共感してくれるところもあった。

 そんな彼女の文句に、ユリは確信を持って頷く。


「ココオルクでヴァリカーヤから受け取った地図は、今のところ大きな誤差が見られません。方角に関しては、地磁気の変動でもない限りは信頼していいでしょう」

「GNSSさえ使えればこんな不正確な地図に頼ることもないのに。はぁ」


 元々、今より何千年も前に隆盛を誇った時代の出身であるヒマワリたちは、たまに僕の理解できない言葉で話す。今では再現どころか一部分の模倣さえもできないような高度な技術の賜物だという機装兵が、ごく当たり前に何千何万といた時代だ。彼女たちには魔法のような能力がたくさんあるけれど、彼女たち自身はそれを魔法とは呼んでいない。


「GNSSが使えたところで、地殻変動の影響は免れません。新たに測量をして地図を更新しなければ、本来水準での活動は叶わないでしょう」

「そんなこと分かってるわよ。〈工廠〉の区画改変だって、地圧の歪みに対応するためってところも多かったんだから」


 僕を抱き込んだまま話すアヤメに、ヒマワリも諦めた様子で普通に返す。僕としては、そろそろ解放してほしいんだけど……。

 下手に歩きづらいとか言ったら、そうですかと返されて抱き上げられかねない。足手纏いになることは分かっているけれど、やっぱり自分の足で歩きたかった。


「七千年という時間は変化するには十分すぎるものがあります。ココオルクの保管庫は奇跡的に機能が保全されていましたが、他が全てそうとも限りません」

「いつ貸し出し品が爆発するとも分からないってことよね」


 ユリたちが憂いを帯びているのには理由がある。

 彼女たちと共にこの時代に残った過去の遺物――現在は迷宮ダンジョンとして知られる遺跡群。その中には、迷宮遺物として強い力や凄まじい価値を秘めた物品が残されていることがある。彼女たち機装兵自身も、厳密に言えば迷宮遺物と言える。

 先日まで滞在していたココオルクの近郊にあった迷宮〝銀霊の氷獄〟は、今の表現で言えば危険な迷宮遺物を無数に保管している倉庫の役割を果たしていたという。

 七千年前に生じた謎の災害〝大断絶〟を乗り越えて、生き残った機装兵たちは現地の獣人たちと密約を交わして迷宮遺物を守り続けてきた。けれど、中には〝大断絶〟以前に〝銀霊の氷獄〟から持ち出され、そのまま返却されていないアイテムもある。

 僕らはその、管理下から離れてしまった可能性の高い迷宮遺物を回収するため、また、機能不全に陥った迷宮そのものに対処するため、こうして旅をしている。

 〝銀霊の氷獄〟に保管されていたアイテムは、どれもこれも扱いが難しく、大きな危険を孕んでいる。ともすれば第二の〝大断絶〟を発生させかねないほどの力がある。――これは〝銀霊の氷獄〟で活動するハウスキーパー、ヒイラギの言葉だ。


「この森を抜ければ、少しは歩きやすくなるでしょう」

「とりあえず雪はなくなるからね。……それでも大変なことには変わりないけど」


 アヤメたちがヒイラギから受け取った物品貸出記録。そこには未返却のアイテムについての情報が記されている。その中で三人が回収の優先度が最も高いと考えたものが、この先にある。


「〝割れ鏡の瓦塔〟か……」


 そこは、厳密に言えばすでに迷宮ではない。

 かつては巨大な迷宮都市を擁し、豊富な迷宮資源を算出することで栄えた北都でありながら、今はその面影さえ残らず、ただ荒涼とした原野だけが広がっているという。

 僕らが〝銀霊の氷獄〟の未返却物品を回収すると同時に掲げているもう一つの、第一の目標が達成されなかった土地だ。

 その大迷宮は五十年前に大規模な魔獣侵攻スタンピードを発生させ、一夜にして壊滅した。その後は封印指定がなされ、現在までほとんど人が足を踏み入れていない。そんな場所に、これから向かうのだ。

 雪がまたちらほらと降り落ちてきた。それを手のひらの上に受け、少しずつ溶けていく様子を眺める。手が完全に乾いてしまったのを見て、僕は再び歩き出した。

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